第31話:鉄をも裂く連撃『凪』
格闘スポーツへのリスペクトなど欠片も持たない、ルールなき「路上の卑劣な暴力」が、誠修館の誇り高き体育会系の看板を一つずつ、確実に、そして冷徹に削り取っていた頃、旧武道棟の剣道部の道場もまた、例外ではなかった。
そこでは、あまりにも卑劣で凄惨な光景が広がっていた。
剣道部は千鶴をはじめ、女子部員も非常に多い部活だ。
頭部や胴の強固な防具を暴力的に剥ぎ取られ、大切な竹刀を木刀で真っ二つに叩き割られた部員たちは、足を強かに打たれ、立ち上がることもできずに床の上に無残に這いつくばって呻いている。
「へへっ、防具を剥いだ女子の袴姿ってそそるなー。うまそうだぜ」
「おいおい、そんなに怯えるなって。あの生徒会長が来るまで、少し遊んでやるだけだぜ」
面を剥ぎ取られ、あまりの恐怖に涙を流して震える女子部員たち。
彼女たちの無防備な肩や胸元に向けて、男たちの手が下劣な劣情とともにじりじりと伸び、まさに絶望が道場を完全に包み込もうとしたその刹那――。
ピシャァァンッ!! と、道場の空気を一瞬で引き裂くような、強烈な戸音の残響が響き渡った。
「そこまでよ、下劣な獣ども」
壊れた入り口に凛として立ちはだかったのは、生徒会長・神谷千鶴だった。
夕闇の光を背負い、金文字の腕章を巻いたブレザーのシルエットは、息を呑むほどに気高く、そして恐ろしい。
「ようよう、お出ましだな生徒会長様。お前のそのブレザーをズタズタにして、裸にひん剥いて泣き叫ばせるのを一番の楽しみにしてたんだぜ!」
下品極まる言葉で喉を鳴らす男たちを前に、千鶴は眉一つ、表情一つ変えず、いつも通り左腰にある漆黒の鞘へと、白く細い指先を静かにかけた。
タイトなブレザーの下で、彼女の細い正中線の軸は、微動だにせず美しく垂直に立っている。
「……ここは高潔な学び舎よ。人の言葉の礼も知らないストリートの獣は、今すぐ薄暗い檻の中へ帰るがいいわ」
「うるせえ! お高くとまりやがって! 刀を抜く前に、この圧倒的なリーチの差は埋められねえよ!」
先頭の不良が、手にした鉄パイプを槍のように千鶴の胸元へと直線的に突き出した。
刀の長さを警戒したのか、いつぞやの襲撃の木刀よりも長い鉄パイプだった。
事実、先ほどまで男たちはこのリーチの差で、剣道部員たちの足を薙ぎ払いこの場を征していた。
しかし、その刹那、千鶴の鋭い一重の瞳が夜光のように閃いた。
「神谷流抜刀術――『凪』」
カッ――!!!
という、この世の静寂を切り裂く乾いた抜刀音。
骨盤の角度を最小限で切り替える『一重身』の神速の体捌きにより、鉄パイプの直線的な突き線をミリ単位の皮膚一枚で完全に躱すと同時に、抜刀の際に出力される凄まじい遠心力を乗せた一閃が中空の闇を鋭く裂いた。
網膜には残らないほどの、神速の凄絶な三連撃。
気づいた時には、不良が突き出した鉄パイプの先端が斜めに綺麗に切り落とされ、千鶴を囲んでいた不良たちの衣服の生地のみが、肉体を傷つけることなくミリ単位で精密に斬り裂かれていた。
「……またつまらぬ物を切ってしまったわ……模造刀でなければ死んでるわよ」
千鶴はスッと後ろに下がると同時に『血振り』をして『残心』を行いつつ、一瞬で漆黒の鞘へと納刀し、ひとり淡々と言い放った。
自分からは、あくまで「模造刀」としか口にしないのが彼女のスタンスなのだ。
千鶴を裸にすると豪語していたリーダー格の男は、逆に衣服を斬り刻まれて自らの無様な姿を晒すことになり、居合抜きのあまりに超人的な動きによる恐怖と、成す術もなく衣服を斬られた羞恥とで、情けない悲鳴を上げて逃げ去るしかなかった。
道場に立ち込める、彼女が放った圧倒的な「本物の武人の殺気」に完全に気圧され、武器を破壊された他の不良たちも、蜘蛛の子を散らすように引き上げていった。
神谷流抜刀術の『凪』とは、一挙動の抜刀から息をも継がせぬ三連続の高速攻撃であり、本来は「試し切り」において強固な巻き藁を連続して一瞬で斬り落とす動作をベースにしている。
初段は、抜刀と同時に自らの正中線を相手の攻撃線から完全に外しながら、最短距離の弾道で相手の「小手」または「手にした武器」を初速で物理的に打ち払う。
神谷流抜刀術が術理的なベースにしている夢想神伝流居合術の、左手で鞘を後ろへと強く引き込む力を最大限に利用した初速加速により、対峙した相手が「今、刀が抜かれた」と網膜で認識するよりも前にすべての勝負を強制決着させる。
続く二段目は、初段の抜刀の勢いとエネルギーを1ミリも殺すことなく、手首の絶妙な返し(手の内)の操作だけで刀身の軌道を中空で瞬時に反転させ、相手の頸動脈付近の皮膚をかすめるように高速で振り抜き、最後の三段目は、強烈な踏み込みと同時にさらなる遠心力を乗せた返しの刃で、相手の胴(腹部)を水平に一閃するのだ。
ちなみに、いまのは難易度の高い片手での三連撃であったが、日本刀はその重心的にも本来は諸手で使うことを想定されているため、二段目と三段目は諸手持ちで行うほうが威力を安定して出すことができる。
千鶴はこの恐るべき三段の斬撃の「間合い」と、刀身の「刃筋」の角度をミリ単位で完全にマニュアルコントロールし、寸止めの神谷流の極致として、人間の肉体を断ち切るのではなく、「皮一枚、あるいは衣服の布地のみを正確に裂き、持っていた武器を破壊する」という離れ業をやってのけたのだ。
『凪』とは、嵐のような凄絶な三段の連撃が通り抜けた後、あまりの速度に、対峙した相手が「自分は今、完全に斬られて死んだ」という脳内錯覚(恐怖による筋肉のすくみ)に陥り、戦場が嘘のように静まり返ることからその名が付けられている。
「千鶴先輩! 無事ですかっ!?」
カメラを肩に提げて息を切らして道場へと駆けつけてきた僕に対し、千鶴先輩は乱れた黒髪ポニーテールを揺らすこともなく、毅然とした生徒会長の威厳のまま言い放った。
「水島くん。事態は一刻を争うわ。如月くん、大川さん、早乙女くん、そして真一の4人を、大至急で生徒会室に集めて……」
千鶴先輩のその緊迫した言葉を途中で完全に遮るように、武道場のさらに奥の突き当たり――空手部の練習場の方から、鼓膜を突き刺すような鋭い女子生徒の悲鳴が放課後の校舎に響き渡った。
「……空手部ね! 命を救いに行くわよ、来なさい、水島くん!」




