第30話:スポーツ格闘技の敗北
柔道部への凄惨な襲撃とほぼ時を同じくして、ボクシング部の練習場でも、謎の不良男たちの計画的な蹂躙が行われていた。
ボクシング部主将・中村の放つ左ジャブのキレは鋭く、その卓越した動体視力とステップのフットワークは、本来であれば素人の大振りのパンチなど、赤子の手をひねるように鼻先で躱せるはずだった。
彼は今年のインターハイでも全国上位入賞を確実に期待されている、誠修館期待の天才ボクサーだ。
ボクシングはスポーツだけでなく、路上の喧嘩であっても、《《素人》》相手の《《素手》》の状態であれば、最強という言葉を超えて無敵という言葉に最も近い格闘技の一つと言ってもよいだろう。
まず、威力がありつつバランスを崩さずに蹴りを放てる素人などはいない。そのため、喧嘩で使われるのはパンチか組み付きとなる。ボクシングはそのパンチでの攻防をとことん追求した格闘技であり、その防御、回避、そして攻撃も、無駄を排した最短の動きである。
素人が「振りかぶって」+「殴る」という2動作を、最短距離の直線で体軸の回転とともに「殴る」という一動作で行うため、ボクシングの攻撃の原理を体現できない者は、絶対にボクサーには勝てないとされる所以だ。
さらに、常人とかけ離れた動体視力と反射神経。これらも加われば、素人の攻撃など止まって見えるというのも誇張とは言えない。
もちろん、組み付こうにも、よほどの熟練者でなければ、ボクサー相手に殴られずに組み付くことなど、できるはずもない。
しかし、襲撃者たちはそんな前提を崩すために、道場に踏み込むとともに、部員たちが動く床の上へと「工業用の機械油」を一面に撒き散らしていた。
ボクサーの最大の生命線である、大地の反発を利用した精密なフットワーク。
それは、油の上においてはまったく役に立たず、かえってバランスを崩す要因とさえなっていた。
対する不良たちは、足元を完全に固定するため、厨房作業用の耐油・耐滑の長靴を履いて万全の足場を確保していた。
「いくらフットワークのステップが速くても、足元がこれじゃあ、自慢のストレートに全体重の質量が乗らねえなあ、主将さんよ!」
ズルり、と足を滑らせて致命的に体勢を取られた中村主将に向けて、不良たちはボクシングのパンチが1ミリも届かない絶対的な射程圏外から、物干し竿のように長い強靭な竹棒で、執拗に彼の喉元や鳩尾を弾丸のように突いてきた。
「ボクシングのガードってやつは、両手に10オンスの分厚いグローブを嵌めて顔面を守る前提のシステムだからな。棒術の突きはガードをすり抜けるし、振り下ろしや払う攻撃にも対応できないだろ!?」
最後は、バランスを崩したところを叩きつけるような複数の竹棒によってタコ殴りに合い、中村は床へと沈んだ。
油で滑る床に足を取られてのたうち回るボクシング部員たちも、長い棒術の格好の餌食となって次々と悶絶し、意識を刈り取られていった。
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柔道部、ボクシング部が凄惨な血を流すのと同様に、レスリング部の部室もまた、冷徹な襲撃の標的となっていた。
レスリング部の主将・高橋は、全身が鋼鉄の塊のような圧倒的なインナーマッスルの肉体を誇っていた。
太古の神話の時代から、世界中に存在する格闘技。戦士として体を鍛え、戦場でも役立つ最強の格闘技。それがレスリングだ。
オリンピックスタイル格闘技の元祖であるレスリングは、相手の身体に密着し、その重心をクラッチして冷たい地面に縫い付けることに特化した、人類究極の格闘スポーツだ。
その驚異的な密着力は他の追随を許さず、ひとたびその太い腕で懐に潜り込まれれば、コンクリートの路上においては「叩きつけによる即死」を意味する。
高橋主将は鋭い眼光のまま、いつでも突進できる低く隙のない低重心の構えを取る。
だが、彼の前に現れた男たちが衣服の裏から引き抜いたのは、素手ではなく、先端がパチパチと不気味な青い火花を散らして放電している黒い機械の棒だった。
「たしかに、お前らレスラーの低空タックルの貫通力は世界一だ。だがな、自分から頭を低く下げて相手の股ぐらに突っ込んでくるって習性は……これの格好の餌食なんだよ!」
高橋は武人の誇りをそのままに、一切迷わず地面を爆発的に蹴って踏み込んだ。
総合格闘技の歴史においてもすべての最強のベース、無類の貫通力を誇る、神速の高速ダブルレッグ・タックル。
しかし、対峙した男は、自分に向けて突っ込んってきた高橋の剥き出しの太い首筋へと、放電するスタンガンの先端を容赦なく深く押し当てた。
「が、はっ……、あ、……ッ!?」
バリバリバリッ!! という凄まじい放電音とともに、数万ボルトの凶悪な電流が直接高橋の神経細胞の肉体を焼き、全身の筋肉が一瞬にしてカチカチに硬硬に硬直する。
タックルが誇る圧倒的な前進の推進力は、皮肉にも、自らの肉体をスタンガンの感電の檻へとより深く押し付けるための最悪の罠となった。
レスリングがスポーツのルールとして当たり前のように行う「相手の肉体に自ら密着する」という行為こそが、非合法の凶器を持つ相手に対しては、最大の解剖学的な弱点となる。
スタンガンや鋭利な刃物がストリートに存在する路上現実においては、素手で飛び込むその誇り高き勇気こそが、文字通りの致命傷を招くのだ。
路上の理不尽なリアリティは、何万時間も鍛え上げられた不屈の肉体を、指先ひとつのスイッチの電流で無残に嘲笑う。
崩れ落ちた高橋の背中に男たちが容赦なく硬い膝を叩きつけ、他の部員たちもまた、自慢の投げ技のリーチに侵入する前にスタンガンの絶対的な電流の恐怖に晒され、戦意を完全に喪失した状態で次々と一方的に叩き伏せられていった。




