第29話:柔道部への襲撃
1996年11月。
私立誠修館高校は、文化祭の熱狂的な喧騒が過ぎ去り、冬の訪れを前に、普通なら落ち着きを見せる季節なのだが、どこか落ち着かない、不穏な空気に包まれていた。
生徒会では次期会長選挙が行われ、これまで副会長を務めていた2年生男子が次期会長に選出された。
本当のところ、千鶴は輝澄に次期会長を譲りたいという想いを持っていたが、輝澄はさすがに「自分には無理」と立候補の申し出を固辞したらしい。
神谷千鶴の輝かしい任期も残り僅かとなり、卒業と世代交代の足音が確実に聞こえ始めたころ、誠修館の喉元を揺らし、すべてを蹂躙する「魔の手」が静かに、しかし確実に迫っていた。
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放課後の柔道場。
乾いた畳の匂いと汗の熱気が混ざり合う空間で、黒帯を締めた大柄な男が声を張っていた。
「いいか、柔道こそが実戦における最強の格闘技だ。投げて地面に固定し、息の根を止める。一本勝ちというのは、ルールのある競技の枠を超え、路上では相手を完全に戦闘不能にできるということだ。その美学にこだわる日本の柔道の中にこそ、本物の武の真髄がある」
3年の佐藤主将が、真剣な眼差しで見つめる部員たちに武の理合を説く。
柔道はただのスポーツ競技ではない。1882年、嘉納治五郎が様々な柔術流派の技を組み合わせて作り上げた実戦格闘技である。
型稽古だけに陥りがちだった当時の柔術とは違い、服を着た状態で組んで重心を崩して、投げる。さらには相手を固めて絞める。そんな練習を何度も何度も繰り返すのだから、組技で柔道に敵うものなどいない。
事実、現代の服を着て闘う組み技系の格闘技は、その多くが柔道かその源流である柔術の影響を受けている。
そして、路上の実戦においても柔道は強い。襟を取りにいくスピードはボクサーのパンチにも引けを取らず、服の一部でも掴むことができれば相手の重心を崩し、瞬時に投げ落とすこともできる。
佐藤主将は、そんな柔道界でも、現役高校生ながらオリンピックの強化選手に選ばれるほどの並外れた逸材であり、その腰の回転から放たれる『内股』はひとたびかかれば最後、100キロを超える巨漢の相手すら天井を見ることになる絶対の神技だった。
だが、その神聖な聖域は、突如として何の前触れもなく蹂躙された。
「おいおい、畳の上でしか踊れねえお坊ちゃんたちが、ご立派な御託並べてんじゃねえよ」
ピシャリと道場の扉が開け放たれ、泥だらけの土足のまま畳に上がり込んできた数人の男たちが、下劣に笑いながら佐藤の前へと進み出てきた。
「この無礼者め! 畳を汚した罪とともに、柔道の本当の恐ろしさを骨の髄まで教えてやる!」
佐藤は武人として毅然と立ち向かうが、ストリートの現実を生きる襲撃者たちは、柔道家が最も得意とする「道着を掴んで組む」という初動の予備動作を、最初から1ミリも許さなかった。
佐藤が引き手を奪うために鋭く間合いを詰めたその刹那、先頭の男が懐から「白い粉末の塊」を至近距離で佐藤の顔面へとぶちまけたのだ。
それは単なる砂や泥ではない。
彼らが事前に体育用具室から掠め取ってきた、ライン引き用の『消石灰(水酸化カルシウム)』だった。
消石灰は、人間の眼球の水分(涙)と接触した瞬間、強烈な化学反応による高熱を発する物質だ。
角膜のタンパク質を急速にアルカリで腐食させ、激痛とともに最悪の場合は失明に至る極めて危険な化学物質。
ルールに守られた現代の格闘スポーツには100%存在し得ない、路上ならではの卑劣な「化学兵器」である。
「が、あああああッ!? 目が、目がァァァッ!!」
眼球を焼かれ、視界を完全に奪われてその場にのたうち回り、苦悶に悶えるオリンピック強化選手。
その無防備な頭部へ向けて、男が手にした重厚な木刀を容赦なく振り下ろした。
「柔道家ってのは、相手と組むために自分から喜んで懐のデッドスペースを晒してくれるから本当に助かるぜ。正中線が最初からがら空きの武道が世界最強なんて、笑わせてくれるじゃねえか!」
バキッ!! という生々しい鈍い音とともに、強化選手の肉体を激痛が襲う。
残された柔道部員たちも次々と多人数で囲まれ、圧倒的なリーチの木刀によって一人ずつ膝の皿を冷徹に叩き潰されていった。
「逃げる足くらいは優しさで残しておいてやるよ」
という、外道どもの嘲笑の残響とともに。
畳の上で無敗を誇った誠修館の猛者たちは、自慢の神技を一度も披露することを許されぬまま、真っ赤な血の海の中に沈んでいった。




