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第22話:コントロールされた引導

「天魔理心流――『飛龍爪脚ひりゅうそうきゃく』!!」


自転する強烈な運動エネルギーを乗せて中空へと舞い上がる旋風脚から、着地の瞬間の重力加速度のエネルギーをそのまま全て軸足の反転運動に乗せ、真一の無防備な膝関節の皿へ向けて、真後ろから大砲のように強烈に踏み砕く後ろ蹴りを繰り出す、二段構成の空中多段蹴りだ。


格闘競技の常識から見れば、自ら中空へと飛び上がるような空中技は、一瞬でも地面との接地を失って軸がブレるため、着地際に強烈なカウンターを取られやすい大きな隙を生む自殺行為となりかねない。


しかし、引導の脳内麻薬によって全体の身体能力や瞬発力、空間認知能力を飛躍的に向上させているこの時の志馬の超人状態だからこそ、相手の予測(運動プログラム)の上を行く変則技として、100%完璧な精度で出すことができる高難度の……本来は架空となるような技術だった。


しかし、朧月流の厳しい修行を耐え抜いてきた真一は、その空中からの美しい足技の誘いの罠に、武術家としての野生の警戒心で乗ることはなかった。


というよりも、目の前の16歳の高校生が披露した、人間の筋肉の限界を超えた常識外れの空中軌道の動きそのものに、武術家として激しい困惑を隠しきれずにいたのだ。


それゆえ、真一は攻撃をパリングするのを即座に諦め、忍び特有の素早いバックステップの身を引く運足で、その関節破壊の後ろ蹴りを完全回避したが、引導状態の志馬の連続追撃は、着地後も一切止まらなかった。


後ろ蹴りの着地からの反動のステップで、一瞬で距離を取った真一の懐へ向けて、凄まじい踏み込みの摺り足から、本命の必殺の中段突き――『疾風はやて』でハイスピードな追撃しようと拳を突き出す志馬。


「俺に同じ技は通じん!」


真一が、その正面から直進してくる神速の中段突きのエネルギーに対して、迎撃の構えを取るが……志馬が繰り出したのは、上段でも中段の突きでもなかった。


足裏が地面を激しく蹴り上げる踏み込みの起こりの瞬間までは、上半身も視線も全く同じ『疾風』のモーション。


しかし、上段や中段の強烈な突きを脳内で最大警戒してガードを高く上げていた真一の視界の死角、そのがら空きになった下段の膝関節へ向けて、螺旋の収縮を乗せた鋭い横蹴りが突き刺さった。


天魔理心流――『烈風れっぷう』――。


「なっ……!?」


先ほど真一が志馬に放った古流骨法の踏み蹴りにも似た下段の軌道だが、引導による爆発的な前進の推進力が加わり、さらに『疾風』の完璧なフェイントによって意識を完全に上へともっていかれ、意表を突かれた真一は、骨折こそ朧月流の肉体強度と驚異的な防衛本能により免れたものの、関節の内側を支えている内側側副靭帯ないそくそくふくじんたいが限界を超えて引き伸ばされ、部分断裂を起こしていた。


武術家としての最大の武器であるその機動力を、一発で根こそぎもがれた格好だ。


『疾風』が相手の上段・中段の強固なガードを正面から粉々に貫き通す最強の「矛」であるならば、この『烈風』は、相手の意識のレーダーを完全に騙して死角の下段を無残に刈り取る、天魔理心流の「裏の牙」であった。


引導による爆発的な瞬発力を利用した、站椿たんとう仕込みの低く滑る摺り足の運足から放たれるこの烈風は、上段のガードが堅い相手や、懐の深い大柄な格闘家を戦闘不能に陥れるために極めて有効な、実戦の足技となる。


勝負を完全に終わらせるために、志馬がさらなる非情なトドメの掌底打ち――『疾風』を繰り出した、まさにそのコンマ数秒の刹那。


二人の街灯の下の間合いの空間に、突如として夜風を切り裂く、圧倒的な漆黒の「静」の風が物理的に割り込んだ。


「そこまでよ!」


鋭い一喝の叫び声とともに、志馬の放った掌打の螺旋の攻撃ベクトルを、1ミリも正面からせき止めることなく、最小の円運動の転換によってそのまま100%の重力エネルギーへと利用する、合気道の恐るべき術理――『身投みなげ』。


ドガァァァン!!


志馬のPANTERAのメタルTシャルを着た身体は中空で綺麗に弧を描き、その頭部と背中を、アスファルトの冷たい地面へと強烈に脳天落としで叩きつけられた。


本来は受身すら許さない、解剖学的に頸椎を破壊しかねない危険極まる合気道の投げ技だ。


二人の修羅の間に冷徹に割り込んできたのは、3年生に進級して生徒会長の腕章をまいた、神谷千鶴先輩だった。


高く結い上げられた黒髪のポニーテールが、夜風に冷たく揺れている。


「まだその魔拳を振るっているの!? そのままではいつか、取り返しのつかない場所へ行くことになると忠告したはずよ」


千鶴の切れ長の瞳には、規律を乱す者を絶対に許さない、凍りつくような冷徹な怒りの光が宿っていた。


だが、地面に倒れて痛みに悶える志馬の目に、既に狂気の色がないことを確認し、彼女はわずかにその厳格な声を和らげた。


「……ただ、前よりは力を制御できるようにはなったみたいね」


千鶴は、膝の靭帯を部分断裂され、片膝をつく従弟の真一にも、冷たい視線を向けた。


「まあ、真一が煽ったみたいだし……今日はお互いこれで手打ちにしなさい」


千鶴は、地面から何とか起き上がろうとする志馬の目を、真っ直ぐに見据えて最後の一言を告げた。


「でも如月くん、これだけは覚えておいて。あなたが本当に悪魔に魅入られたら、私はあなたを斬らないといけないかもしれない。あなたの技は、それだけ危険なのよ」


千鶴が本当に得意としているのは、今見せた素手の合気道ではなく、祖父・神谷虎次郎から受け継いだ『神谷流剣術』の居合であることは、この界隈では有名だ。


武道の極致にある彼女が、腕章を揺らしながらその切れ長の瞳で「斬る」と言えば、それは比喩でも誇張でもない、本物の処刑の宣告のような重みを持っていた。


それだけを重く冷たく告げて、千鶴先輩は夜の帳の闇の中へと影のように静かに去っていった。


静まり返った公園の街灯の下、真一が痛む脚を抑えながら、ぽつりと悔しそうに呟いた。


「俺の負けだな、如月」


千鶴に倒された志馬の元へ真っ先に駆け寄り、心配そうに、けれど世界で一番愛おしそうに彼の手を両手で握りしめる輝澄の表情。


真一は、生まれ持った忍術の達人としての鋭い感性で、彼女のその心の機微の答えに、残酷にも完全に気づいてしまっていた。


(……武術としても……男としても……)


真一は心の中で、苦い言葉を付け加えた。


だが、同時に彼は、そのウルフカットの奥で、不敵な負けず嫌いの笑みを静かに浮かべる。


(いまはまだ……な)


二人の少年の胸に、それぞれの肉体の痛みと、そして宿命に抗うための新しい決意が深く刻まれた、1996年の春の夜の決闘となった。


………………………………………………


あの1996年の春の夜、オレンジ色の街灯の下で向かい合ってボロボロになっていた二人の少年の背中は、手記を認めている今の僕の脳裏にも、酷く危ういものに見えたんだよ。


志馬がその肉体に少しずつ手に入れ、飼い慣らし始めていた『引導』という名の力。


それは彼を過去のトラウマから救い出すため光なのか……それとも、より深い天魔の魔道の闇へと彼を誘うための罠だったのか。


ただ、僕の大切な親友が、僕たちの笑い合っていた普通の「日常」という安全な岸辺から……遠い「武」の深淵へと漕ぎ出していくのを、僕はただ隣で見守ることしかできなかった。

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