第21話:禁じ手=路上現実の有効技
夜の帳が完全に下りた、六王子の街角にある静かな公園。
街灯の下、ブランコが揺れて軋む不気味な金属音だけが、志馬と本居真一の間に流れる、命のやり取りの緊張感を際立たせていた。
「如月。あんたのその立ち方……ただの素人というわけではなさそうだな」
真一は骨法独特の、右半身を大きく前に出して正中線を完璧に隠す構えを取り、大地の摩擦を感じさせない滑らかな『摺り足』で、じりじりと志馬の実戦間合いを詰めていく。
対する志馬は、丈との特訓で叩き込まれた『站椿』の意識を両足の裏に集中させ、地球の重力と一体化する骨格の軸を無言で形成していた。
「構え!」
ギャラリーとなっている女の子らしい私服姿の輝澄には似つかわしくない鋭い号令とともに、本居真一の肉体が爆発的な前進の踏み込みを見せた。
古流骨法特有の、重心を極限まで低く保ったまま滑するように滑空する摺り足は、足で大地を蹴るステップとは違い、その起こりが読みにくい。
間合いを瞬時にゼロにされた真一の掌打の連撃が、志馬の顎、水月、肩口へと電光石火の速さで連続して放たれる。
志馬はまだ覚醒状態の『引導』のスイッチを入れず、自身の純粋な肉体の脱力反応だけでそれを受け流そうと骨格を回すが、真一の放つ裏の打撃は「志馬のガードに触れたその瞬間」に不気味に軌道を変え、接触面の隙間をすり抜けて内部へと滑り込んでくる。
(速い……それに、重い!)
ドォン!と鈍い衝撃音が響き、志馬の肩に真一の必殺の掌打が深く突き刺さった。
骨法が提唱する、表面的な皮膚を破るのではなく内部の神経を直接揺らす『浸透』の衝撃波が、関節の隙間を抜けて内部の骨膜を激しく揺らした。
わずか数合の凄絶な打撃の打ち合いで、志馬は完全に防戦一方の窮地に追い込まれた。
修行によって骨格の軸は確かに成長してはいるものの、生まれた赤ん坊の時から忍法体術を体組織に叩き込まれた真一の完成された技術体系の前では、まだ実戦の地力が絶対的に足りていなかったのだ。
「素人相手なら、それでもいいだろうが、まだまだだな」
失恋の痛みを闘争心に変えた本居真一の身体駆動が、ここからさらに驚異的な速度へと加速した。
志馬が掌打を繰り出すまさにその一瞬の刹那、真一はあえて自らその突き線の内側へと深く飛び込み、志馬の右足の膝関節を、正面の骨の構造を破壊するように踏み抜く古流骨法の外道キック――『関節蹴り』を容赦なく放った。
「ぐっ……!」
「危ない。膝が伸びきっていたら折られてた」
観戦していた奨が解説役として声を上げるほど、関節蹴りは、合わせるタイミング次第で人間の強靭な下肢を一撃で粉砕して一生の障害を負わせる危険すぎる技術であり、現代のほとんどの実戦打撃形格闘競技においても「最も野蛮な禁止技」の一つとして厳格に排斥される戦場の足技だ。
非情な関節蹴りによって右膝の軸を崩され、激痛で上半身の体勢が前傾に大きく崩れた志馬。
そこへ、勝負を完全に終わらせるための、真一の非情な追撃が容赦なく襲いかかった。
下から上へと、大地の反発力をすくい上げるように放たれる手のひらの最短距離の打ち込み。
古流骨法における、手のひらの硬度を利用してダイレクトに股ぐらを掬い打つ、路上専用の金的攻撃――『刎ね』である。
ボグゥッ!!
男の肉体として生まれ持った者ならば、地球上の誰もが人生で一度は経験したことがあるだろうが、股間の金的(急所)への直接攻撃は、それが例え小さな衝撃であっても、脳の自律神経が強制停止して立っていられなくなるほどの凄絶な激痛が伴うものだ。
それゆえ、金的への攻撃は、あらゆる武道、格闘技の試合において禁止技とされている。
鈍く不気味な衝撃波が志馬の下腹部を直撃し、激痛が脳を突き抜け、志馬の垂れ目の視界が一瞬で真っ赤な血のノイズで染まり上がった。
だが。
その、常人ならば気絶してのたうち回るはずの凄絶な急所の痛みが、如月の血脈の奥底に眠る狂気の覚醒のトリガーとなった。
かつてのあの放課後の校舎裏で見せた、我を忘れて周囲を破壊し尽くす無差別な「天魔の暴走」とは根本的に違う。
志馬は脳を焼き焦がす激痛の神経シグナルを、そのまま天魔理心流の『怒りの熱量』へと完全に変換し、自らの明確な「意志の力」で、脳内の生存リミッターの扉を少しだけこじ開けた。
――天魔理心流――『引導』――。
ゴォォォッ!! という響きが聞こえると錯覚するほどに、夜の公園の街灯の下で、志馬の全身から立ち上る殺気の波動が爆発的に膨張した。
父親の言いつけ通り、蔵の扉を開けた出力は、まだ全体のわずか「20%程度」のサジ加減に完全にコントロールされている。
それなのに、志馬のブレザーの周囲の空気密度が、脳内麻薬の過剰供給による異常な熱量を帯びて陽炎のように不気味に膨れ上がった。
(なんだ……なんなんだ、このアイツから噴き出してくる、全身の毛穴が閉じるような圧倒的な熱量の殺気は……!?)
「引導を……渡す!」
志馬が宣言するや否や、真一が骨法の右半身構えのまま本能的な恐怖で驚愕する間もなく、志馬の左の拳が、物理的な時間の流れを置き去りにして夜の空を裂いた。
引導による過剰な脳内麻薬の作用によって、本来なら痛みに悶えることを免れない金的の激痛を脳内で遮断し、站椿で練り上げた足裏からの関節歯車の連動――纏糸勁を完璧に乗せた、天魔理心流の螺旋の脱力掌底『疾風』を放った。
シュンッ!!
通常であれば、一瞬で遠い間合いから距離を詰めつつ、強烈な螺旋の回転を加えた突きを突き刺すのが『疾風』の本来の術理だが、この時の志馬は、木人椿の練習通りに、至近距離であっても距離を詰める前進モーションなしで、問題なくその場で螺旋の衝撃波を掌から放つことができるようになっていた。
ドォォォン!!
足首から膝、腰、肩、肘、手首へと連動する螺旋の回転運動を伴うその掌打の一撃を、真一は古流骨法の払い手の接触で何とか外側へ対処して受け流そうと試みるが……打撃に充填されている物理的な質量(重さ)の次元が違いすぎた。
大地のエネルギーがそのまま透過してくるような衝撃を受け流しきれず、パリングした真一の右前腕の骨と筋肉が悲鳴を上げて弾き飛ばされた。
「くそっ!」
真一は古流の『身持ち』で上体をよじりながら、自らの右足の横蹴りのエッジの形で、再び志馬の先ほど痛めた右膝関節へと非情に突き刺す、古流骨法独自の防御ストッピング術――『踏み蹴り』をカウンターで放った。
カツンと骨が噛み合う衝撃のストッピング効果により、卓越した引導状態の志馬の追撃の動きのベクトルが、コンマ数秒間だけ物理的にピタリと止まる。
真一はその一瞬の硬直の隙を見逃さず、指先にスナップの螺旋を利かせた朧月流忍術の非情な『目突き(目潰し)』を志馬の眼球へと連続で放った。
だが、志馬はそれをバックステップで躱し、距離を取ったかと思うと、大技を仕掛ける。




