第20話:男には引けない時がある
六王子の駅前は、買い物客やJ-POPが流れるCDショップの活気で満ち溢れていた。
あのオリエンテーションから数日後、ファミレスのボックス席で、本居真一は、いつもの紺色の制服ブレザーを脱ぎ捨て、見違えるような私服姿で輝澄の対面に座っていた。
真一のファッションは、首元に少しルーズなシルバーアクセを覗かせた、タイトな黒のインナーに、仕立ての良いカーキのジャケット。
スパイキーなウルフカットの髪も綺麗にセットされ、高校1年生とは思えないほど大人びた、育ちの良さを感じさせるジェントルマンな着こなしだ。
だが、それ以上に真一の目を、そして数メートル後方の席からメニューの隙間で凝視している志馬の目を釘付けにしていたのは、大川輝澄の姿だった。
今日の輝澄は、道着姿や制服の時とは全く違う、友達や母親に泣きついて全身コーディネートしてもらったという「勝負服」を纏っていた。
当時のトレンドを取り入れた、爽やかなパステルブルーのサマーニット。
校則の規定である黒髪から、少しだけ開放された天然の茶髪ロングボブは、緋色のリボンではなく、ハーフアップでゆるく上品にまとめられている。
ボトムスは、空手で鍛え上げられたしなやかで強靭な脚線美が際立つ、少し短めのデニムのミニスカート。
いつもは男勝りの気合と共に拳を握っている幼馴染の、あまりにも女の子らしくて、眩しすぎるおめかし姿。
ドリンクバーのコーラをストローで激しくすすりながらメニューの影に隠れていた志馬は、心臓がドクンと嫌な音を立てるのを感じていた。
(……あ、あいつ、何なんだよあの格好。……クソ、不覚にも、めちゃくちゃ可愛いじゃねえか)
脳裏をよぎったそのストレートな本音を掻き消すように、志馬はポケットの中で右手にギリギリと力を込めた。
志馬が着ているメタルTシャル、PANTERAの『Far Beyond Driven(邦題:脳殺』とは文字こそ違うが、志馬はいま輝澄の魅力に悩殺されていた。
いつも横にいるのが当たり前だった少女が、自分の知らない「普通の女の子」の顔をして、別の男の対面で微笑んでいる。
その事実が、志馬の体内に眠る『天魔』の血よりも激しく、彼の胸の奥を猛烈な嫉妬の熱量で焼き焦がしていた。
「つまり、古流の忍術っていうのは、世間が誤解してるような単なる格闘技術じゃないんです。
刀、槍、鎖鎌、手裏剣といった多くの多彩な武器術を完璧に習熟し、天門や地門……つまり気象や地形の利用、さらには心理学まで含めた、生き残るための『総合生存戦略』の学問なんですよ、輝澄先輩」
真一は、クラスメイトの和雄が当時のデートテクニック雑誌を読み漁って練りに練った(といってもただの受け売りだが)デートコースの締めくくりとして、熱っぽく自らの血脈のバックボーンを彼女に語っていた。
対面の輝澄は「へぇー、すごいね」と純粋に深く感心しながら、熱々のハンバーグを口に運んでいる。
だが、武術家として研ぎ澄まされた真一の意識は、会話を続けながらも、数メートル後方の席で不自然極まる動きでファミレスのメニューを広げて顔を隠している、間抜けな二人組の気配に完全に集中していた。
(……足運びの音、呼吸の間。そして隠しきれない殺気。忍術を修める俺の五感から逃げ切れるとでも本気で思っているのか、あの先輩たちは。というか、まあ、素人でも気づくわ…… )
真一は何者かにファミレス内までずっと尾行されていることを完全に確信していたし、というよりその不器用さに半ば呆れ果てていた。
一方、その後方の席では、2年生に進級した16歳の志馬が、大親友の小太り眼鏡・水島奨と共に、ドリンクバーのコーラをストローでズズズと激しくすすりながら、猛烈な苛立ちを募らせていた。
「……おい奨。あいつ、さっきからニヤニヤしやがって。何が忍術だ。ただのオカルト野郎じゃねえか」
自分自身、怒りの脳内麻薬で生存リミッターを焼き切るという、かなりオカルトな力で闘っていることは完全に棚に上げて、志馬が声を上げた。
「し、志馬、声が大きいよ。それに僕たちの尾行、絶対バレてるって……」
そんな志馬たちの動揺を完全に余所に、真一は意を決して、輝澄の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「輝澄先輩。俺は、本気です。俺と……付き合ってください」
輝澄の箸が止まる。
彼女にとって真一は「凄い特技を持った可愛い後輩」でしかなかった。
真っ直ぐな彼を傷つけずに断るにはどうすればいいか。
彼女の脳裏に、幼い頃からずっと隣にいた、不器用で能天気なアイツの顔が真っ先に浮かんでいた。
しばらくの時を置き……
「ごめん、本居くん……実は……私には、心に決めた人がいるの」
「……っ」
真一の胸に、凄絶な失恋の痛みが走った。しかし、彼は即座に切り返した。
「あの……それはまさか、さっきからバレバレの尾行を続けている、あの二人のどちらかですか?」
「えっ」
輝澄が驚いてソファー席から振り返る。
そこには、メニューを落として完全に固まっている志馬と、震えながらコーラを飲んでいる奨の無様な姿があった。
「志馬! 奨! こんなところでどうしたの?」
「あ、いや……これはその、偶然だ。偶然この店が、俺たちの……その、天魔の……」
「『天魔の』って何だよ」
額に冷や汗を流して苦しい言い訳を並べる志馬。しかし、対面の本居真一の鋭い一重の瞳の奥は、1ミリも笑っていなかった。
彼は静かに席から立ち上がると、志馬のテーブルの目の前まで音もなく歩みを進め、一歩深く足を踏み込んだ。
その一切の衣服の摩擦音すらさせない足運びは、暗殺の戦場で相手の懐に無音で侵入するための朧月流の歩法――『忍び足』そのものだった。
「おい、あんたが先輩の『心に決めた人』かどうかは知らないが……そんな卑怯な真似をする男に、先輩を任せるわけにはいかないな」
「あぁ!? 誰が卑怯だって?」
志馬の瞳の奥に、ドス黒い、温度のない天魔の光がうっすらと宿り始める。
この1年の修行を経て、以前のような我を忘れる無差別な暴走はしにくくなっているが、彼の体内に深く眠る内なる『天魔』が、真一の体から放たれる忍法体術の強烈な殺気に激しく呼応していた。
「だったら、はっきりさせようぜ……表へ出ろ。正々堂々と決闘だ」
真一の挑発に、志馬も男として、1ミリも引くわけにはいかなかった。
「望むところだ……奨、悪いが先に行っててくれ」
「志馬、ダメだよ! ここファミレスだよ! 輝澄も止めるように言ってよ」
「いいのよ、奨。男には引けない時があるんだから」
意外にも、輝澄は二人の火花を止めるどころか、自らも拳を握り締め、どこか格闘家としての期待に満ちた目で二人の横顔を見ていた。
輝澄はそもそも本物の闘いをするのも見るのも大好きだったし、何より、自分の存在を巡ってあの脱力系の志馬が感情を露わにして闘おうとしている事実に、胸の奥で満更でもない熱い気分になっていたのだ。
二人はファミレスを早足に出ると、夜の帳が不気味に下り始めた近所の薄暗い公園へと向かった。
夜風に、誰もいないブランコがキィ、キィと錆びついた鎖の音を立てて軋む音だけが周囲に響く中、志馬と真一は街灯の下で十歩の距離を置いて対峙した。




