第19話:空手vs古流骨法
「構え!」
輝澄が左拳を前方に突き出し、右拳を腰の引き手に溜める伝統的な空手の左半身の構えに対し、本居真一は両手を開き、己の正中線(中心線)を厳重に死守する、古流骨法独特の右手右足を前にした右半身の構えを取った。
真一が修める朧月流の体術は、古流骨法の技術体系を核とする。
この独特の半身の構えは、対峙する相手に対して己の攻撃できる面積を極限まで減らし、ストリートの不意の攻撃に特化するための冷徹な合理の姿勢だった。輝澄は右掌をフェイントとして真一の顔面へと鋭く突き出した。
視界を遮る目隠し、あるいは実戦なら容赦のない目突きを狙うその掌打を強烈な囮に使い、伝統派特有の素早い運足で真一の側面の死角へと回り込もうとする金山道場仕込みの実戦の算段だ。
しかし、その掌打を用いた攻防こそ、忍法体術としての古流骨法を幼少期から修める真一が最も得意とする絶対の領域だった。
真一は輝澄の掌を、自身の右掌による軽やかなパリング(受け流し)で払い落とすと、そのまま彼女の左手首の動きのベクトルを掌握した。
間髪入れず、体重移動のエネルギーをそのまま乗せて放たれた右掌打が、輝澄の顔面へと吸い込まれるように直撃した。
輝澄はこれまでの修羅場の野性的な勘で直撃の寸前に顔を背け、なんとかヘッドギアの額部分でそのエネルギーを受け止めたものの、古流骨法特有の「骨の振動を内部へ通す」重い振動を伴う衝撃が、解剖学的に彼女の脳を直接揺らし、彼女の強靭な膝がガクリと頼りなく折れた。
骨法においては、実戦で己の拳を壊さないために、握り込んだ拳ではなく主に掌打を用いる。
特に人間の硬い頭蓋骨を殴る際、固めた拳は作用・反作用で容易に砕けるが、掌の面であればその自傷リスクを完全に軽減しつつ、脳を揺らす「重い衝撃」を奥へと完璧に浸透させることができるのだ。
新入生の本居真一が、ヘッドギア越しにあの実力派の輝澄から鮮やかに先制のダウンを奪ったのは、この古流骨法における打撃の理合を、祖父から毎日叩き込まれているためである。
「ダウン1!」
1年生の一撃必殺の実力に、体育館を包んでいた上級生たちの小馬鹿にした野次が一瞬で綺麗に消え失せた。
「輝澄、大丈夫か!?」
「……はい。でも、こんな一年生がいるなんて聞いてないですよ。このままじゃ、なけなしの部費、取られちゃいますよー……主将、もう本気出していいですよね?」
「うむ。仕方ない」
真一は、朧月流忍術の修行で研ぎ澄まされた五感の聴覚で、数メートル先で行われているその密談をすべて正確に聞き取っていた。
(まだ本気じゃなかったのか!? 面白い)
再開の合図の後、輝澄の動きは一変した。
真一が放った『直』と呼ばれる直線的な掌打の連撃を、彼女は外側へのサバキで軽やかに受け流すと、目にも留まらぬ松濤館特有の高速の飛び込みで真一の右側面の完全な死角へと回り込んだ。
驚愕する真一のブレザーの肩口を強固に掴んで肉体を物理的に固定すると、無防備になった彼の背中の経穴へ向けて、親指を添えて中指の第二関節だけを限界まで突き出した古流空手の秘拳――『中指一本拳』を容赦なく叩き込んだ。
さらに輝澄は、掴んだ手を支点に腰の回転を爆発させ、遠心力を乗せた後ろ回し蹴りの弾道で、真一のヘッドギアの側頭部を完璧に薙ぎ払った。
ドォッ! と凄まじい音が響き、体育館の床の上に吹き飛ばされ、辛うじて回転して受け身を取る真一。
「ダウン1! これで一対一ね」
ヘッドギアを揺らしながらフゥーと息を吐く輝澄の笑顔は眩しかったが、床に膝をつく真一の少年の心には、戦いとは別の強烈な葛藤が激しく芽生えていた。
(綺麗だ……)
戦いの中で深まる恋心が、彼女を傷つけることへの迷いを生む。
しかし、実戦空手を学び始めている輝澄が、その闘争中のわずかな意識の隙を見逃すはずがなかった。
右、左の強烈な腰の回転を乗せた突きの連撃から、至近距離でのえぐるような左中段下突き、さらにその反動の回転のエネルギーをそのまま肘の骨に乗せた苛烈な猿臂(肘打ち)が真一の顔面を襲う。
真一は何とかガードを固めて顎への直撃を防ぐが、至近距離での肘打ちの圧倒的な破壊の質量によって姿勢が大きく右側へ崩された。
そこへ、輝澄のしなやかな脚線美が不気味にうねった。
体を低く沈め、手を床に突きながら、自転の強烈な回転を乗せて下から斜め上へと放たれる、変則的右後ろ回し蹴り――『逆回し蹴り』が、真一のガードを完全に粉砕してクリーンヒットした。
「ぐはあぁッ!?」
凄まじい衝撃力で宙へと吹き飛ばされながらも、真一は忍びとしての執念で空中で無理やり肉体の軸をねじり、自身の機動力を失う前の最後の捨て身の賭けとして、空中反転から放たれる骨法の秘奥『胴回し蹴り』を輝澄の正中線へと放った。
その、空中からの予期せぬ捨て身の一撃は輝澄の胸元へと綺麗にクリーンヒットし、二人の超人の肉体は、共倒れするように激しい音を立てて体育館の床へと同時に崩れ落ちた。
「輝澄!」
「輝澄先輩!」
空手部の主将と、先に床から起きた真一が同時に駆け寄る。
頭を激しく振って意識を朦朧とさせながらも、輝澄が長い睫毛を揺らして薄く目を開けた。
「本居くん……? ああ、私、最後に共倒れの形になって負けちゃったのか……」
頭を抱えてしぶしぶ空手部費の10万円をポケットから手渡しようとする主将の手を、真一は制服の袖でグッと片手で力強く制した。
「いや……待ってくれ。10万なんていらねぇ。そんなのより……」
真一は、夕日に照らされて真っ赤になったウルフカットの顔を隠しもせず、真っ直ぐに床の上の輝澄の大きな瞳を見つめた。
「輝澄先輩……俺とデートしてください!」
ピキィン、と一瞬で静まり返り、完全に凍りつく入部オリエンテーションの会場。
空手部主将の石井は、もう既に、これで部費は守られたとホッと安堵している。そんなこともあり、自分の失態に責任を感じている輝澄には、真一の申し出を断れそうもなかった。
これまで空手一筋の人生だった鈍感な輝澄は、まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔で「デ、デートって……何すればいいの……?」と戸惑いながら呟くのが精一杯だった。
「そんなのは、全部、俺に任せてください!」
体育館のど真ん中で見栄を張って豪語した真一だったが、その時、彼の背後の入り口の影には、遅れて体育館へ様子を見に来ていた如月志馬が、なんとも言えない昏く、複雑な表情で静かに立っているのだった。
本居真一は、いよいよ2年生・1学期編に突入して、ようやく登場させることができたキャラです。今後もいろんな意味で志馬のライバルとなる重要人物で、自分のお気に入りでもあります。
初登場時は忍法体術としての古流の骨法を使うという設定で、後に骨法をさらに磨き上げていきます。骨法についてはまた詳しく書かせてもらいたいと思います。
本居と書くと、歴史の授業で習った本居宣長を連想されると思います。響きだけで選んだ苗字だったので、30年前に自分が書いていた原作から改変して一時、元居と改姓して書き進めていましたが、地方新聞のお悔やみ欄を見て、たまたま本居さんを発見。ちゃんと本居さん実在するんだ、と思って、原作通り、本居真一に戻りました。
2年生編では、この新入生の真一とともに、これまではチラッとしか出てこなかった誠修館最強の生徒会長・神谷千鶴も闘いに参加してきます。
彼ら、彼女らの活躍にも注目していただければと思います。
https://kakuyomu.jp/my/news/2912051604494968275




