↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/57

第14話:天魔理心流の歴史

丈は志馬のギプスを当てられた右手を竹刀の先でペンペンと小突いた。


「これからお前に叩き込むのは、単純な破壊力の底上げじゃない。『出力のコントロール(サジ加減)』だ。怒りの熱量をガソリンにしながらも、その怒りの嵐に自我を絶対に流されるな……これを覚えると、今後は単発の脳が弾け飛ぶような破壊力は確かに落ちるだろう。


だがな、自分の肉体を1ミリも壊さずに、実戦で十発、百発と的確に打ち続けられるようにならなきゃ、武器や多数を相手にする本物の戦場じゃ10秒も生き残れない。


人を物理的に無力化させるのには、ピストルの初速と弾丸のパワーがあれば十分なんだ。わざわざ自分の腕と引き換えに、大陸間弾道ミサイルを撃つ必要なんてどこにもない」


丈はよっこらしょと立ち上がると、油の染みた一振りの竹刀を志馬の目の前に突きつけた。


「高度な技を教えるのは、自分の骨格と出力の完全なコントロールができてからだ。天魔理心流の技術は、裏の歴史じゃ『殺人芸術』とも称される禁忌のものだが……同時に、その圧倒的な暴力から『自分自身の肉体を殺さないための護身術』でもあるんだよ」


「自分を……殺さないための、術……」


「まあ、右手と足がまともに動けるようになるまで、毎日これだけをやってろ」


丈は足を肩幅よりやや広めに開き、骨盤を立て、膝を深く曲げてゆっくりと腰を落とする体勢を取った。太ももと床とが完全に平行になる、美しい直角の姿勢を微動だにせず維持している。


丈が息子に命じたのは、その姿勢のまま、ただその場で静止して立ち続けるだけの狂気的な地味修行――『站椿たんとう』であった。


「……は? なんだよそれ。ただその場でじっと立ってるだけでいいのかよ」


「まあ、楽そうだと思うなら今すぐやってみな。今の骨格のバランスが錆びついたお前なら、5分ともたずに白目を剥いてひっくり返るぞ。足の裏の皮膚から頭頂部の百会ひゃくえまで、一本の強靭な鋼鉄の芯を通すつもりで軸を作ってみろ」


丈の指導は、指導というよりはシゴキに近かった。


志馬が体勢を崩し、わずかでも楽をしようと骨盤の角度がブレれば、丈の持つ竹刀がシュバァンと鋭い風切り音を立てて志馬の脛や腰を正確に、容赦なく叩く。


站椿たんとうは、中国武術において骨格を解剖学的に最も正しい位置へと整え、大地からの反発力を骨伝導で拳に伝える「内気を練る」ための至高の基本とされる。馬の背に跨っている姿勢に酷似していることから、武術界では『馬歩まほ』とも呼ばれる基本だ。


大角力おおずもうの力士が毎日行う『四股しこ』にも通じるこの姿勢は、現代のスポーツ科学においても大腿四頭筋や大臀筋、さらにはインナーマッスルである腸腰筋を極限まで鍛え上げ、同時に腹圧を高めることで内臓諸機関を強靭に活性化させる効果があると証明されている。


志馬は最初、動かずにじっとしているだけなら楽勝だとタカをくくっていたが、数分も経たないうちに太ももの筋肉がちぎれんばかりに激しく痙攣し始め、床を掴む足の裏から、折れた右手首の骨膜にまで響くような凄絶な激痛が走り始めた。


「いいか志馬、天魔理心流の螺旋の衝撃ドライブは、腕の筋肉だけで回すんじゃない。


足の裏が地面を蹴った微小な反発エネルギーを、足首、膝、股関節、脊椎、肩、肘、手首へと、全身の関節を精密な機械の歯車のように連動させて増幅していく。中国武術でいう『纏糸勁てんしけい』と全く同じ物理の術理だ。


だが、今のお前はそのエネルギーの『通り道(骨格の軸)』が完全に錆びついて歪んでいる。だから、足元から練り上げた凄まじい破壊の力が逃げ場を失って、お前自身の拳の骨を内側から爆破するように砕いたんだ」


意識が疲労と痛みで遠のきそうになるビジョンの中、志馬の耳の奥に、丈のいつになく低く重い声が木霊する。それは、志馬がこれまで無意識に避けてきた、我が家に伝わる血塗られた格闘の歴史についての独白だった。


「天魔理心流は、過去の中国大陸の裏社会じゃ『天魔拳てんまけん』と呼ばれ畏怖されていた。


伝説によると、古代中国の神話において、空に10個の太陽が現れて世界が焼け焦げそうになった時、その内の9つの偽りの太陽を神弓で撃ち落とした伝説の英雄・后羿こうげいをその武術の始祖とするらしい。


后羿の持つ、超人的な集中力と肉体の引き絞り――それこそがこの流派の覚醒の原型だ」


「天魔拳の覚醒は本来一子相伝であり、二人以上にその脳内麻薬解放の技術を伝えることは禁忌とされてきた。


だが明朝末期、当時の伝承者であった柳飛英リュウ・フェイインという達人が、若き日の愛洲移香斎あいすいこうさい(陰流の創始者)との友情、転じて武術交流を経て、一子相伝の禁を破って双子の兄弟――飛星フェイシン飛波フェイボーの二人にその技術を伝えてしまったのがすべての狂いの始まりだ。


その後、双子は名将・戚継光せきけいこうの軍に協力しつつも、兄の飛星は大陸に残り、弟の飛波は日ノ本へと渡ることになる。


父・飛英は、双子がいつか一子相伝の宿命によって殺し合う試練を迎えることを予感し、弟の飛波に『もし万が一、この地でお前の居場所がなくなったなら、倭国の移香斎を頼れ』と言い残した。そして飛波は戦国末期の日本へ逃亡し、ひっそりと山中に潜伏したんだ」


「その飛波が、1581年の第二次天正伊賀の乱において、織田信長の軍勢に故郷の全てを惨殺され、命からがら山中へ逃げてきた一人の少年を追手から救った。


その少年こそが、如月家の先祖であり、天魔理心流の開祖となる如月宗次郎きさらぎ そうじろうだ。


宗次郎は伊賀の忍術の素養と、信長への凄まじい憎しみ、怒りを備えていた。彼は飛波に弟子入りすると、またたく間にその魔の拳を身につけ、翌年の1582年、本能寺。


宗次郎は歴史の影で、明智の兵が駆けつけるより前に、織田信長をその手で屠って仇を討ったんだ」


「だが、物語はそこで美しく終わらない。復讐を遂げた宗次郎は、その後妻と子どもを設け、静かな山村でひっそりと暮らしていた。


そんなある日、その村を野武士の集団が襲撃した……宗次郎がハッと正気に戻った時、彼の周りには無数の死体が転がっていた。


野武士だけじゃない。守るべき村人も、そして彼が何よりも愛していた妻も、幼い子どもまでもが、すべて宗次郎自身の『天魔拳』の暴走によって肉体を破壊され、絶命していた」


志馬の背中に、肉体の痛みとは違う冷たい悪寒が走った。


「脳内麻薬の出力に精神が耐えきれず、完全に自我を失った究極の暴走。


それ以来、絶望した宗次郎は山に深く篭もって50年近くもの間、血を吐くような精神修養の果てに、怒りのエネルギーを『ことわり』によって制御し、暴走を克服する呼吸法をようやく確立した。


その制御された覚醒状態を『引導』と呼ぶ。その瞬間に、我が家系が守るべき『天魔理心流兵法』が誕生した、というわけだ」


「天魔理心流はそのあまりに大きすぎる呪いのような力ゆえ、常に裏の歴史の影として一子相伝で隠されてきた。


早乙女零緒の先達である星貞吉が俺たちを追ったのも、この力が『自他共に壊す』狂気だと知っていたからだろう。


もしかすると、あの日金山道場を蹂躙した『念流裏座』という暗器の連中も、過去のどこかの時代で、我が天魔理心流の影と血生臭い関わりがあったのかもしれない……だがな、志馬。


そんな我が家に流れる『天魔の呪い』とこれからどう向き合っていくのか……それを単なる人殺しの暴力にするのか、それとも大切なものを護るための力に変えるのか、決めるのは親の俺じゃない。お前自身だ」


その重い言葉が居間に静かに落ちた瞬間、ジリリリ、と昭和の面影を残す玄関のチャイムがけたたましく鳴り響いた。


限界を超えた太ももの痛みに耐えながら白目を剥きかけていた志馬の視界に、白い包帯を痛々しく巻いた幼馴染――大川輝澄(きすみ)の姿があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。