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第13話:グーよりパー

如月家の古い居間には、鼻を突くような苦い生薬と酢の混ざり合った匂いが充満していた。


志馬しばは上半身裸の状態で畳の上の布団に座り、父・如月(じょう)による、麻酔なしの凄惨な「初期治療」を受けていた。


「ぐ、あああああッ、クソッ、痛てえええ!!」


「動くな。骨膜が癒着する前に骨を継がなきゃ、一生その右手で箸も持てんくなるぞ」


丈は志馬の異常な筋出力によってあらぬ方向へグニャリと曲がった右手首を無造作に掴むと、解剖学的な正しい位置へと容赦ない手応えでパキィンとはめ込んだ。


骨と骨が噛み合う衝撃に志馬の背筋が跳ね上がる。


さらに丈は、如月家に数百年伝わるという特殊な薬湯で裂けた左拳の血を洗浄し、ドロリとした粘り気のある黒い秘伝の練り薬を、熱を持った皮膚へ刷り込んでいく。


「……ったく。あの日、誠修館に入学したばかりの時に『二度と拳は振るうな』と忠告したはずだがな」


丈の口調そのものは能天気で軽いが、その細められた瞳の奥の眼光は、鋭く息子の肉体を解剖している。


志馬は激痛に全身からボタボタと脂汗を流しながら、必死に声を絞り出した。


「しょうがねぇだろ……。あの状況で、輝澄が外道どもに殺されかけてたんだ……。拳を振るったことに、1ミリの後悔もしてねぇよ」


「ふん。なら、敵を殴る時に、グー(拳)じゃなくてパー(掌)にしておけばよかったかもなー」


丈のいつものおちゃらけた軽口に、志馬は痛みに耐えながら露骨に機嫌悪く顔をしかめた。


「……ふざけてんじゃねぇ。教えろよ……親父。……俺、今のままの力じゃ、ただ自分の肉体を壊すだけで……結局、誰も守れねえんだよ」


やり切れない無力感と悔しさで、視線を畳に反らしながら、初めて父親に能動的に教えを乞う志馬。


丈は息子のその目の輝きの変化を見逃さず、静かに、しかし格闘オタクの脳髄に響くロジックを語り始めた。


「いいか志馬。人間の頭蓋骨ってのは、想像以上に硬い骨の塊だ。それを未完成な指の骨の面で殴れば、作用・反作用の法則で自分の拳が砕けるのは当然の物理だ。


だが、拳をてのひら――いわゆる『掌打しょうだ』に変えるだけで、手首の関節構造への負担は激減する。


掌の付け根にある太い骨(手根骨)の質量をぶつける掌打は、脳への震動波を液状に内部へ伝えやすい性質もある。


ましてや、指を揃えて相手を打つ『貫手ぬきて』なんてものは、素人が実戦でやれば指の関節をまとめてへし折るだけの自殺行為だ。


だから、まずは拳を握るな。てのひらに変える、ただそれだけでお前の肉体への負担は半分以下になるんだからな」


さらに丈は、志馬の包帯に巻かれたボロボロの左拳と右脚の肉を冷徹に観察した。


「お前の暴走の本質は、天魔理心流に伝わる脳内麻薬多量分泌システム『引導いんどう』の強制解放状態だ。


本来、この流派の核は、怒りのエネルギーによって放出される脳内ホルモンを『ことわり』によって完全制御し、理性を失わずに超人的な能力を手にする手法にある。


だが、お前のようにその第一段階にすら至らず、怒りの感情そのものに呑まれてしまうのは、我が家系で最も疎まれ、恐れられてきた暴走状態――『天魔に魅入られた状態』だ。


『引導』は脳の生存リミッターを焼き切ることで、神経伝達速度を爆発させ、五感を限界まで引き出す我が流派の基本にして究極の奥義。


……だがな志馬。例えお前がこれからどれほど強靭に肉体を鍛え上げたとしても、毎回100%のフルパワーでそのリミッターをぶっ放していれば、また同じように肉体が自壊する。


車体をいくらチタンで補強したところで、軽自動車にロケットエンジンを積めば、加速の瞬間に車体は空中分解するのと同じだ」

志馬は普段はやる気のない垂れ目男子で、自他共に認めるメタル好きという設定です。彼が私服で登場する時は、ほとんど何らかのメタルTシャツを着ています。


本作には、ひそかに当時のメタル好きがクスッとするような仕掛けもあるので、分かる人には、ぜひご笑覧いただければと思います。ちなみに、メタルというのはヘヴィメタル、スラッシュメタル、デスメタルなどの音楽ジャンルの総称になります。


30年前に書いた原作では、彼は登場した時から天魔理心流を使いこなす達人で、本気を出せば誰にも負けないような感じでしたが、やはり主人公の成長を描くほうがいいだろうということで描き直しました。


零緒を敵でありライバルとして登場させたのもそのような意図がありました。原作では、零緒は不愛想な友人枠という感じでしたが、志馬の成長のためにキャラ変してもらいました。


高校1年生時点での彼は自らのリミッターを解除して力任せに相手をねじ伏せるという程度しかできませんが、輝澄を自分の力だけでは守れなかったことをきっかけに自ら修行の道へと進むという流れになりました。


今後も少しずつ成長していく彼の姿を、応援していただければ幸いです。


https://kakuyomu.jp/my/news/2912051604176826130

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