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第12話:武術=武器術

「れ……お……?」


クナイに貫かれた左腕の激痛と、全身を襲う筋破壊の苦しみに視界を赤黒く滲ませながら、志馬は床に這いつくばったまま、意外すぎる助っ人の名を呼んだ。


「……これで一つ貸しだからな、如月」


早乙女零緒は倒れた志馬を一瞥もせず、ただ獲物を確実に仕留めるための冷徹な眼光を富田英次へと真っ直ぐ向けた。


「お前。暗器を使うんだろ? それじゃあ、こっちも遠慮なくやらせてもらうぜ」


零緒はブレザーのポケットから、鈍い銀色の輝きを放つ古流伝来の武装『鉄貫てっかん』を取り出し、自らの右手の拳に隙なく装着した。


形状は小型の斧に似ているが、刃は一切なく、手に嵌めて敵の肉を打ち、骨を突き、あるいは相手の刃物の攻撃を金属部で弾き払うために用いられる、柳生心眼流に伝わる伝統の隠し武器だ。


柳生心眼流柔術などの古流柔術は、本来、素手の徒手空拳のみならず、戦場における種々のあらゆる武器や暗器を使いこなす総合武術である。


最初から対武器、対多数の命の削り合いを想定したその冷徹な鍛錬は、現代のルールに守られたスポーツ競技としての格闘技とは一線を画している。


「チッ、次から次へとクソガキどもが……!」


追い詰められた英次は手の中の鎖分銅をビュンビュンと唸らせ、自身の周囲に侵入不可能な鉄の回転領域を作り出す。


だが、零緒の頭脳は極めて冷静だった。


彼は板間の床に無数に転がっていた、先ほど志馬に戦線離脱させられた男たちの手甲やクナイを手際よく拾い上げ、容赦ない弾道で英次の顔面へと次々と投げつけた。


飛来する金属武器の急激な回避を余儀なくされ、英次の鎖分銅の絶対的な防御軌道がわずかに乱れる。


そのコンマ数秒の隙を、古流のプロである零緒は絶対に見逃さなかった。


「そこだ」


瞬時に山勢厳の低重心の歩法で懐へと滑らかに潜り込み、重厚な鉄貫を嵌めた右拳が、英次の無防備な右脇腹をミシミシと音を立てて激しく打ち据えた。


「がはっ……あぁッ!」


内臓を直接鉄球で叩かれたかのような激しい痛みに身を捩らせる英次。


なんとか距離を取ろうと必死にもがくが、零緒はその逃げようとする右手の指を逆関節で冷徹に捕らえ、古流柔術らしい非情な背負い投げを打った。


抵抗すればそのまま指の骨がすべてねじ折られるだけの、戦場の非情な関節投げ技だ。


もはやこの金山道場の板間は、完全に早乙女零緒の戦闘支配下にあった。


冷たい床に無残に叩きつけられた英次に対して、零緒はさらにマウントの体勢から鉄貫の金属部をその顔面に続け様に2発叩き込む。瞬時に英次の鼻が折れ、頬骨も変形するほどの衝撃だった。


卑劣な手段と武器を用いて、自分勝手に人の平穏を汚す英次の下劣な気質を、零緒は自身のポリシーとして心底嫌悪していたのだ。


「……外道が。死ね」


零緒が冷酷にトドメの鉄貫の一撃を振り下ろそうとした、まさにその刹那だった。


(な、何だこの、全身の細胞が凍りつくような異常な気迫は……!)


いつの間にか、壊れた道場の入り口の影に、白い着物をまとった一人の物静かな老人が立っていた。


名を、富田英吉とみた えいきち


現代においても暗器や暗殺術などを研鑽する集団『念流裏座ねんりゅううらざ』の現当主である。


「私の未熟な孫の英次が、多大なる御迷惑をおかけしました。念流裏座の当主、富田英吉と申します。金山さんがこの道場におられれば、我が孫が実力不足で返り討ちに遭うのもまた一興かと思っておりましたが……。


家で少し厳しく実戦を接し過ぎたのか、ロクでもないストリートの仲間とつるんで道場破りなどという真似をして、自分の強さを外部に証明したかった……悲しいかな、そんな子供じみた理由なのでしょう」


老人は武人としての完璧に丁寧な所作で一礼し、孫の不始末を静かに謝罪する。


だが、それを聞く志馬も零緒も、まるで全身の筋肉を冷たい鉄の針で固定されたかのように、金縛りにあった状態で指先一本すら動かすことができない。


念流とは、室町期に念阿弥慈恩ねんあみ じおんを祖として創始され、中条流、神道流、陰流と並び称される日本剣術の四大源流の一つとされる極めて古い剣術流派だ。


その正統なる念流の技術から分派し、戦国から明治、そこで現代にいたるまで、裏世界での暗殺のための暗器術・隠し武器術を極秘裏に磨き上げてきた禁忌の一党――それこそが、この『念流裏座』であった。


かつて、同じく念流の流れを汲む二階堂剣術を独自に変形させ、神速の『二階堂平法にかいどへいほう』へと発展させた異色の天才剣豪・松山主水まつやま もんどは、対峙した敵の脳の神経伝達を強烈な殺気の波動でバグらせ、物理的に触れることなくその身体の動きを完全に封じる『しん一方いっぽう』という伝説の秘術を操ったという。


それは武術の練度が解剖学的・精神的な極致に達した者が放つ、脳科学的な絶対制圧術。


いま、目の前に平然と立つ老人が全身から放っている底知れないプレッシャーは、まさにその歴史の闇から抜け出てきた「本物の怪物」の気配だった。


「天魔理心流の覚醒……そして柳生心眼流の鉄貫。一晩でこれほど珍しい古流の粋を拝見させていただきました。この夜の借りは、いずれまた別の戦場で……」


敵なのか味方なのか、どちらとも取れる不気味な言葉の残響を残しつつ、英吉は完全に恐怖で戦意喪失した孫の英次の首根っこを引きずり、まるで最初から存在しなかった影のように、音もなく道場の闇から去っていった。


もし、あの念流の老人が本気で自分たちを殺そうとしていたら。


もし、あの下劣な英次が、あの祖父ほどの本物の「殺気」を身につけて再び自分たちの前に現れたら。


今の未完成な自分では、輝澄きすみの笑顔を守るどころか、自分のちっぽけな命を繋ぎ止めることさえ、万に一つもできない。


志馬は、激痛と敗北感で激しく震える右拳を、もう片方の裂けた左手で強く、血が滲むほどに強く握り締めた。


「……俺、強くなる。……あんな怪物に怯えないくらい、強く、ならなきゃダメだ」


床板の上で、隣で同じように悔しさに唇を噛み締める零緒もまた、底知れぬ本物の強者との遭遇に、かつてないほどに静かな闘志のほむらをその瞳の奥で燃やし尽くしていた。


………………………………………………


これが、如月志馬という少年が、宿命の血ではなく「自らの明確な意志」で本物の強さを求めた最初の瞬間だった。


これまでは、天魔理心流という血の運命にただ受動的に流されるままだった彼が、初めて能動的に、あの恐るべき『天魔』の破壊神へと続く階段を登り始めたんだ。


けれど、あの日、六王子の小さな道場で彼が感じた絶望と無力感は、これから彼らを待ち受ける、長く血生臭い修羅の道の、ほんのささやかな序章に過ぎなかったのだけれど……。

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