第9話:恐怖の暗器
肉と骨がぶつかる音ではない。金属バットで鉄柱を全力で蹴り飛ばしたかのような、硬質で容赦のない衝撃。足の甲の骨が完全に砕けたかのような激痛に、武智の軸足の体勢が大きく崩れる。
「隙ありだぜ、お利口さん」
シゲルが不気味な笑みを浮かべ、激痛で完全に無防備になった武智の腹部へ、容赦のない中段突きを叩き込んだ。
ドォッ! という、肉を打つ音とは思えない重く鈍い衝撃波が走り、武智の大きな身体はその場にカエルのように崩れ落ちる。
「みんな……気を付けろ……こいつら、服の中に、何か硬い武器を……」
武智が口から血の泡を吐きながら、必死に声を絞り出そうとしたが、シゲルの無慈悲な大振りの回し蹴りがその顔面を捉え、彼は数メートル先の壁際までゴミのように蹴り飛ばされた。
「うるせーよ。もうバレちまったじゃねーか。今日はネタ割れするのが早いぜ」
シゲルが忌々しそうにスウェットの袖をガバリと捲り上げると、そこにはスポーツ用のサポーターではなく、鈍く黒光りする厚い鉄板と、肉を抉る鋭い短棘を仕込んだ『手甲』が剥き出しになっていた。戦場において相手の裏をかく隠し武器――暗器だ。
「お前の使い方が露骨過ぎたんじゃねーの? あーあ、俺の出番まで獲物を残しとけよなー」
次鋒を務める予定だった後ろの男が、退屈そうに指の関節をポキポキと鳴らす。
「バレたら仕方がない。ルールのある試合をしに来たわけじゃないんだ……全員、徹底的に血祭りにしてやれ」
大将格の男、富田英次の冷酷な顎の指示が飛ぶ。男たちは一斉に、長い袖や懐の奥から鎖、小刃、鈍色の鉄拳といった非合法の凶器を次々と露わにし、飢えた獣のような下劣な笑みを浮かべて怯える道場生たちへ向かって歩き出した。
「これは、ただ事ではないわね……」
輝澄の背筋に、凍りつくような死の緊張が走った。目の前の男たちは武の向上を目指す武道家などではない。武の看板を汚しながら、暗器を用いて一方的な殺戮と蹂躙を楽しむ「ストリートの外道」だ。
「警察に、誰か交番に知らせろ!」
床に倒れた武智を介抱しようとした若手の道場生が、壁際に設置された黒い固定電話機に必死に飛びついた。しかし、耳に当てた受話器からは、虚しい静寂のノイズしか返ってこない。
「……ダメだ、電話線がナイフで切られてる!」
英次たちは、道場に踏み込む前にすでに外部との連絡手段を物理的に絶っていたのだ。1995年当時、携帯電話の普及率はまだ日本の全人口の3.5%であり、ましてや高校生や一般の道場生がポケットに通信端末を持ち歩くなど考えられない時代だ。
警察を呼ぶには、夜道を数百メートル先にある交番まで直接肉体で走るしかない。だが、唯一の出入り口は凶器を構えた男たちの肉壁によって完全に塞がれている。
道場生たちが次々と暗器の暴力の波に飲み込まれ、板の間に血を流していく中、輝澄の脳裏に、ある一人の少年の不気味なシルエットが過った。
如月志馬。先日の誠修館の校舎裏で見せた、あの理性を焼き切った人間の枠を超える、悪魔的なまでの絶対の破壊力。12歳の時、薄暗い路地裏で変質者から自分を命がけで救い、自分が空手の道を歩むきっかけをくれたあの少年だ。
(志馬……今の志馬なら、この理不尽な絶望を、その拳でぶち壊してくれるかもしれない……!)
古流武術・天魔理心流の如月の家は、この金山道場から路地裏を全力で走れば5分とかからない距離にある。輝澄は、すぐ近くで暗器に怯えていた道場生の土田に鋭い視線を向けた。彼は志馬の中学時代の同級生であり、如月家の正確な場所も知っている男だ。
「土田くん、お願い……私たちが壁になるから、志馬の家へ走って! 志馬をここに呼んできて!」
「あぁ? 目の前でコソコソと逃がすわけねーだろ!」
シゲルが鉄爪の手甲をギラつかせ、土田のブレザーの襟元を掴もうと太い手を伸ばしたが、輝澄がその肉厚の腕を、松濤館流特有の強烈な「引き手」を利かせた鋭い払い手でパシィンと弾き飛ばした。
「行かせて!」
輝澄は自らが肉体の楯となり、身を挺して土田の逃げ道を強引に切り開く。執拗に土田を追おうとする二人の男の前へ流れるような運足で割り込み、渾身の直線的な上段突きと鋭い足払いを複合させ、男たちの前進を完全に牽制してわずかな隙を作り出した。
「走って、土田くん早く!!」
その魂の叫びの声に背中を押されるように、土田は板の上を転がるようにして壊れた道場の外へと一目散に飛び出していった。
その時、英次たちの蹂躙は、すでに粗方終わっていた。静かなはずの板間には、非情な暗器によって裂かれ、骨を折られて呻き声を上げる一般道場生たちが無残に転がっている。
静まり返った道場の中で、ただ一人、緋色のリボンを揺らし、肩で激しく息をしながら立ち続ける胴着姿の輝澄に、男たちの冷酷で下卑た視線が集中した。
「へえ、ネズミを一匹逃がしたか……だが、そんなガキ一人が今さら来たところで、この凄惨な惨状がどうにかなると思ってんのか? ああ?」
英次が首の骨を鳴らして嘲笑を浮かべ、指の関節をミシミシと鳴らしながらゆっくりと輝澄の間合いへ歩み寄る。
「空手を、なめるなッ!」




