約束
緩い放物線を描きながら飛んできたテニスボールが地面で跳ねたので、右手のラケットを振り対面のコートへ打ち返す。
俺が打ったボールもやはり同じような軌道で飛んでいき向こうのコートにいる良二に打ち返されたものの、今度はボールの落ちた位置が白線ぎりぎりだったせいで上手く拾うことができなかった。
「悪い。ちょっと取りづらかったな」
良二が声をかけてきたのでてきとうに片手を上げて応えてから、外に出てしまったボールを拾いにいく。
ここ最近の体育の授業は男女共に球技大会の練習をするのが定番となっており、今日もその例に漏れず五時間目の体育をこうして球技大会の出場種目であるテニスをしながら過ごしているわけだけれど。
鳥羽田高校の球技大会は自分の所属している部活と同じ競技には出場できない決まりになっており、俺がいるコートにはテニス部の姿は見当たらない。
そのため、この場で行われる練習のレベルはそれほど高いものではなく、どことなく弛緩した空気の中で俺と良二のようにラリーを続けることを目的にしてボールを打ち合っている人間も多数存在する。
もちろん、全員が全員俺たちと同じような温度感で取り組んでいるわけではなく、中には鋭いスマッシュを決め激しく点を取り合っているやつもいるのだけれど。
例えば、そう。
左側のコートで相手を左右に揺さぶりながら勢いのあるボールを打ち込み続けている女子なんかはその筆頭だろう。
「うーん、こうして見るとあの二人、特にお姫様は上手いな。これなら、案外本番でも優勝したりしてな」
ボールを拾ってからコートに戻ると良二がボールそっちのけで声をかけてきたので、俺も中央のネットに近づいてから改めて激しい応酬を繰り広げている神白と緋田原へ視線を向ける。
良二の言う通り二人ともかなりいい動きをしているものの優勢なのは神白で、今も俺の見ている前で彼女が得点を追加した。
「確かに上手いけど、それ言うならお前だってサッカーに出れば優勝できるんじゃないか?」
良二は運動神経がよくスポーツ全般やれるやつではあるけれど。
その中でもサッカーの技量は突出しており、中学のころなんて部活の連中より上手いくらいで一時期は熱心にサッカー部へ勧誘されていた。
結局、興味がなかったようで入部はしなかったものの、今でもサッカーに出場すれば間違いなく活躍できるはずだ。
「さて、どうだか。チームスポーツは多少上手いやつが一人いたくらいで勝てるもんでもないだろうし、何よりルールでサッカー部が出禁なのに俺が出るってのもな」
良二は俺の台詞を笑って流してから、やる気なさげに肩をすくめてみせた。
「それ、何か問題あるのか? お前はサッカー部じゃないんだから関係ないだろ」
「そりゃそうだが、気分の問題でね」
なんの理由で良二が得意なサッカーに出たがらないのかは知らないけれど。
こいつはクラス全体が球技大会優勝への熱に浮かされていた去年でさえサッカーではなく卓球に出場していたので、テニスがやりたいというよりは本気でサッカーに出るのが嫌なのだろう。
「良二のそういう拘りは相変わらずよくわからんな」
「はは。まあ、俺にもいろいろあるのさ」
これ以上話す気はなさそうなので、笑う良二から視線を切り神白たちの方へ目を向ける。
勝負が一段落して今は休憩中らしい神白は表情こそいつもと変わらないものの顔は僅かに上気しており体操服の袖で流れる汗を拭っている。
そして、対する緋田原の方は激しい運動の直後で汗をかいているのは同じでも両手を膝に当てて荒く息を吐いており神白以上に疲れている様子だ。
暫くすると緋田原は顔を上げて神白に声をかけ、それに応じた神白は中央のネット付近へ歩いていき二人で何か話し始めたのだけれど。
微妙に距離があるせいか、会話の内容はよく聞こえない。
まあ、緋田原が食ってかかるような姿勢なのを見るにあまり和やかなやり取りではなさそうだが。
◇
駅へ向かうには少しだけ遠回りになる住宅街へ続く道を今日の振り返りも兼ねて神白と歩いていると、何かいいことでも思い出したのか彼女の顔には微かに笑みが浮かんだ。
「ありがとう。今日は藍川君のおかげで緋田原さんと充実した時間を過ごせたわ」
「ちょっと間取り持っただけだし、それは気にしなくていいけど。それより、体育のときお前ら何話してたんだ? なんか、緋田原は怒ってたろ」
「そうね。緋田原さんは負けず嫌いみたいだから。きっと、私に負けたのが悔しかったんでしょう」
確かに、負けたのが悔しいというのもなくはないのだろうけど。
体育での様子を思い出すに、神白が何か余計なことを言って緋田原がそれに怒ったというのが実際のところだろう。
「俺からすれば、本当にそれだけなのかだいぶ疑わしいんだが」
「そう言われても、緋田原さんは事前に私をぼこぼこにしてやると言っていたから。私は有言実行できずに残念ねと伝えただけよ」
「うん。それだけでも十分緋田原のこと煽れてると思うぞ。まあ、あいつも勝利予告とかしてたみたいだし、今回に関しちゃどっちもどっちっぽいけど」
最初からこの二人が一緒にいて和やかなやり取りに終始するとは思っていなかったので、特に驚きはしないけれど。
体育でテニスをするだけで煽りあえる辺りは流石というか、もはや一周回って相性がいい気さえしてきた。
「ところで、藍川君は次の土曜日、何か予定はあるかしら?」
「土曜? 特にないけど」
「そう。なら、一緒に映画を観に行かない?」
思わず、立ち止まって神白の方を見ながら意味もなく瞬きを繰り返してしまった。
神白の様子はいつも通りで、俺が立ち止まったのに気づくと彼女もそれに合わせて歩みを止めたけれど。
待ったところで彼女の口から追加の説明がされることはなく、ただ黙って俺の返事を待っている。
正直、神白の突飛な発言にも慣れてきたと思っていたのだけれど。
今回に関してはなぜ彼女がこんなことを言い出したのかさっぱりわからない。
「えっと、どうして俺と神白が映画観に行くんだ?」
「今回、緋田原さんと話してみて思ったのだけど、共に過ごす時間が増えればその分相手への理解は深まるでしょう?」
「まあ、そうだな」
「もちろん、こうして藍川君と話しているだけでも参考になる部分はあるし、そのおかげで緋田原さんと交流を持つことができたと思っているけれど。より理解を深めるなら、普段とは違う場所で時間を共有することも必要だと思うの」
神白の言っていることはかねてから彼女が求めているものの延長であり、俺としても理解できるものではあるけれど。
なぜだか、神白の話しぶりには微かな違和感を抱いてしまった。
何か知りたいことがあるならわざわざ日を改めたりせず今日中にあれこれ質問するし、行き先も映画館なんてまともなお出かけスポットじゃなくもっと近場で話すのに適した静かな場所を選びそうだ。
なんて、流石に神白のことを変人扱いし過ぎか?
神白だって俺たちと同じ高校生なのだから休みの日に知り合いと映画を観に行くくらいするだろうし、今回はたまたまその相手が俺だったというだけかもしれないけれど。
漠然とした違和感は俺の頭の片隅に居座り、微妙にすっきりしない気持ちにさせられる。
「嫌なら、無理強いはしないわよ」
「別に、嫌ってわけではないけど」
釈然としない気持ちはあるものの土曜日が暇なのは事実だし、神白と映画に行くのを渋る理由も特にない。
だから、本当に嫌なわけではないのだけれど。
「そう。なら、決まりね。一応、スター・サーガを観るつもりだけれど、藍川君に希望があるなら別の作品でも構わないわよ」
「いや、ちょうど俺も観に行きたいと思ってたし、それでいいぞ」
神白が口にしたのは人気SF映画の名前で、今はその外伝に当たる作品が劇場で公開されているはずだ。
あまり女子が好きそうなイメージはなかったが、ここで名前を挙げるということは神白はスター・サーガのファンなのだろうか。
「よかったわ。じゃあ、詳細は後で連絡するわね」
話している間に俺たちは分かれ道にたどり着いていて、神白は満足そうな声で予定の成立を告げてから先日訪れた神白家へ続く左の道へ歩を進めていった。
駅へ向かうなら右側の道を行くべきなのでここで俺と神白の行き先が分かれるのは当然だし、わざわざ左へ向かって彼女を追いかけるのもおかしいので俺はこうして遠ざかっていく背を見送っているわけだけど。
これは、本当に神白と映画館に行く流れなのだろうか。
今しがた自分でしたばかりの約束にこんなことを思うのは我ながらどうかと思うけれど。
どうにも俺の気持ちはふわふわしたままで、休みの日に神白と遊びに行くなんてデートみたいだなとか他愛もない考えばかりが浮かびこれが現実なのだという実感はまるで湧いてこなかった。




