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口止め

 やっぱり、言わない方がよかったな。

 緋田原の反応を見てそんな風に後悔してきたものの、今さら吐いた言葉を飲み込めるはずもなく俺がごまかすための台詞を考えるより早く緋田原は口を開いた。


「あんた、振られて傷心中だって言ってる相手によくそんなこと聞けるわね」

「そうだよな。ごめん、変なこと聞いて」

「いいわよ、別に。こんなこと言っといてなんだけど、答えるのが嫌ってわけじゃないし」


 どこまで本心かはわからないが、少なくとも見た目には緋田原に嫌がる素振りは見えない。

 俺の余計な疑問は緋田原にとっては大したことじゃなかった。

 そう思っていいのだろうか。


「中学のときの先輩に誘われて生徒会に入って、稲田会長にいろいろ助けてもらってたらなんかいいなって思うようになった。そんだけよ」

「それだけ……まあ、そういうものか」

「何? その顔。もっと劇的な出会いでも期待してた?」


 何も映画みたいな感動必至のラブストリーを想像していたわけではないけれど。

 正直に言えば、少し拍子抜けした部分があるのは事実だ。

 これだけ恋愛に心動かされている緋田原の話を聞けば俺にも何かわかるんじゃないかと勝手に期待していたが、考えてみれば一目惚れでもない限り恋愛なんて日常の積み重ねの先にあるものだろう。

 日々の思い出を共有していない俺が上辺だけ聞いたところで理解できないのは当然か。


「でも、意外ね。藍川って恋バナとか興味あったの?」

「恋バナっつーか、俺自身は緋田原の想像通りこういうのは縁ないからな。実際のとこ他人を好きになるのってどんな気持ちなんだろうって、他人事ながら気になるんだよ」


 俺の返事を聞いた緋田原は怪訝そうな表情を浮かべ、暫し無言で考え込んでからこちらへ憐れむような生暖かい視線を向けてきた。


「もしかしてだけど。藍川って彼女いないどころか片思いすらしたことないの?」

「ない」


 緋田原の表情が明確に上からの憐れみをはらんだものに変わり目が合った瞬間に鼻で笑ってきたので、無性にイラっとして思わず舌打ちしそうになってしまったけれど。

 今は傷心の緋田原が愚痴を言うのに付き合っているのだと思い出し、寸前で堪えることができた。

 いや、本当に、こいつ表面上は平静を装っているだけで内心は傷ついてるんだよな?


 たぶん、きっと、俺の見立てに間違いはないと信じ深呼吸をしてから、なんとか普段の調子を取り戻す。


「なんだ。何か言いたいことでもあるのか?」

「ごめん、ごめん。別に怒らせたいわけじゃないんだけど。今の藍川って、聞きようによっては恋に恋するって感じよね」

「自分でも変なこと言ってる自覚はあるが、流石にそこまで乙女チックなことは考えてないぞ」

「わかってる。ただ、藍川とこんな話することになるとは思わなかったから。ちょっと驚いただけ」


 俺だって緋田原とこんな話をするつもりなんてほんの数分前まで一切なかったのだから、そりゃまあ驚きもするだろうけど。

 今、彼女の中で俺のイメージがどんな風になっているのかは気になるところだ。


「まあ、でも、おかげで結構気が紛れたわ」

「今さら気を使わなくても──」

「本当よ。少なくとも、美夏(みか)に連絡して一晩中愚痴に付き合わせてやろうと思うくらいには元気出てきたし」


 美夏と言われても咄嗟には誰のことを指しているのかわからないけれど。

 十中八九、緋田原の友達の誰かではあるのだろうし、多少の強がりはあるにせよそうやって親しい相手に頼れるくらい元気になったというなら本当にもう大丈夫なのだろう。


「それにしても、片思いすらしたことないって、藍川の恋愛回路ってどうなってるの? 女子と一緒にいても可愛いなーとか一切思わないわけ?」

「いや、そんなことはないけど。うちのクラスだと神白とか緋田原は普通に可愛いと思うぞ」

「……もしかして、私が弱ってるのにつけ込んで口説いてる?」

「なわけないだろ」

「だよね。もしそうなら、同時に神白の名前出してるのセンスなさ過ぎるし」


 流石に緋田原も本気で疑ってたわけではないと思うけれど。

 俺が可愛いと言ったのはこの状況で緋田原を口説こうなんて頭の湧いたことを考えたからではなく、単純に彼女の容姿が整っているからだ。


 普段の睨まれるような視線は威圧感があり、美人だが性格きつそうというイメージだったので積極的に話しかけたりはしなかったけれど。

 すらりと伸びた足や女子の中では高めの身長はモデルみたいでスタイルの良さを感じさせる。

 そもそも女子の顔をじろじろ見る機会なんてほぼないので俺の独断と偏見が多分に含まれてはいるが、クラスの中で一番可愛い女子を挙げろと言われれば神白か緋田原の名前を出す人間は多いだろう。

 いや、その条件だと本人の性格的に神白に票を入れるのは一部の物好きだけだろうから、緋田原の圧勝か?


 まあ、なんにせよ緋田原は可愛いし、たまに誰それが告白して振られたという話が漏れ聞こえてくるのを踏まえると実際にモテるのだろう。

 もちろん、本命に振り向いてもらえなかった時点で本人からすればそれが慰めになることもないのだろうけど。


「じゃあ、あれ。藍川は見た目より性格重視ってこと?」

「というより、それ以前の問題というか。単純に好きになるほど関わりのあるやつがいないんだよ」

「ふーん。なんというか、ごちゃごちゃと面倒くさいこと考えてるのね」

「そうか?」

「そうよ。関わりがないなら、いろいろ話しかけて接点作ればいいだけじゃない」


 まあ、緋田原の言うことはもっともだし、結局のところ何が悪いかといえば俺の積極性のなさが悪いで終わる話な気もするけれど。


 例えば、この先も教室で緋田原や神白に話しかけたとして、それで俺が彼女たちを好きになるという未来はいまいち想像できない。

 

 こんなこと考えてるからダメなんだろうなとは思いつつも、俺にはどうしても緋田原の言うことが腑に落ちないままだった。



 ◇



 俺のような小市民からすると気の合わない相手とは適度に距離を置き、仮に会話する必要が生じた場合には無難なやり取りに終始するべきだと思うのだけれど。

 常識の通用しない変人、もとい神白の考えは違うらしく彼女はお世辞にも仲がいいとは言えない緋田原相手にも積極的に接点を作ろうとしている。

 より具体的に言うと、昼休みになって早々に俺の席にやってきた神白は食事でなくともいいから何か緋田原と落ち着いて話ができる機会を設けられないかと相談してきた。


 正直、俺は神白と緋田原を一緒にしてもいいことはないと思っている。

 なので、神白の要求はさっさと断ってしまって、どうにかして緋田原を参考にするのを諦めさせようと思っていたのだけれど。


 どういう風の吹き回しなのか、俺が断り文句を考えて頭を悩ませている間に当の緋田原本人がこちらに歩み寄って来た。


「緋田原? 何か用か?」

「んー、まあ、大したことじゃないんだけど」


 緋田原はそこで一度言葉を区切ると、神白の横をすり抜けて俺の耳元に顔を寄せてきた。

 急な接近に驚いた俺は反射的に体を離そうとしたのだけれど、彼女の右手は俺の肩を掴んで放そうとしない。

 結果、ささやかな俺の抵抗は頬の当たりで擦れる蜂蜜色の髪でこそばゆい思いをしただけに終わる。


「昨日のこと、誰にも言わないようにね」


 耳元で念押しするように響いた声は口止めの台詞で、言うべきことを言い終えて顔を離した緋田原は殊更に愛想よく微笑みかけてきた。


 別に口止めされるまでもなく言いふらす気なんてなかったけれど。

 一日経って多少余裕を取り戻した緋田原は昨日の弱った自分をあまり他人に知られたくないらしい。


「驚いた。藍川君、もう緋田原さんと親しくなっていたの?」

「え、まあ、ちょっとな」


 緋田原の失恋とそれに伴う消沈ぶりを知らない神白は今の一幕を見て何やら勘違いしている様子だが、事情を説明するわけにもいかないので曖昧にごまかしておく。


「そう。ならちょうどいいわ。緋田原さん、よければ藍川君も交えて一緒にお昼にしない? 私はあなたと仲良くしたいの」


 昨日は仲良くない相手を食事に誘うのはよくないと言ったはずだけど。

 神白の口ぶりからして、仲のいい俺が一緒なら大丈夫だろうと判断したわけか。


 そもそも、俺と緋田原も別に仲良くはないのだけれど。

 その辺の事情が説明しづらいのは同じだからか、緋田原はすぐに断ることはなく暫し神白と目を合わせてから顔の向きを俺の方に変えた。


「藍川、これって本気で言ってると思う?」

「本気だぞ。間違いなくな」

「ふーん」


 気のない返事をしてから、緋田原は神白と俺の顔を交互に見比べ何かに納得した様子で小さく頷いた。


「いいわよ」


 前みたいに断るだろうと思っていたのだけれど。

 意外にも、緋田原は神白の提案を受け入れることにしたようだった。


 緋田原の中で神白の認識が少しでも良い方に変わったのであればそれは大変結構なことだけれど。

 神白のやつ、放っといたら余計なことばっか言いそうだしな。

 残念ながら、今日の昼休みは俺にとってあまり心休まらないものになりそうだ。





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