なりたいもの
思いがけず顔を合わせることになった神白の父親は娘とはあまり似ていない彫りが深く野性味溢れる顔立ちの男性で、俺が見ているのに気づくと気さくに笑みを浮かべた。
「ああ。ただいま。それで、彼は? 糸羽、お前の友達か?」
「いいえ。違うわ」
「そうか。なら彼氏だな」
「違います」
いきなり友達から飛躍したせいで思わず親子の会話に口を挟んでしまったけれど、神白の父親は気にした様子もなく神白の隣の席に腰を下ろした。
「えっと、俺は神白さんと同じクラスの藍川凛太です。今日は神白さんと二人で話したいことがあって、お邪魔させてもらいました」
「そうか。彼氏じゃないのか。それは残念。とうとう、糸羽のやつが私の出した課題を解決したと思ったんだがな」
「課題?」
この状況で出てくるにしてはやや違和感のある単語についてオウム返しに尋ねると、神白の父親は意味深な様子で娘の方に視線を向けた。
「この様子だと、彼には何も言っていないのか」
俺にはなんの話かさっぱりだが娘には伝わったらしく、神白は父親からの問いかけに対して微かに不服の滲む表情を浮かべた。
「たまたま、伝える機会がなかっただけよ」
「そうか。なら、そういうことにしておこう……と、すまない。藍川君にはまだ自己紹介すらしていなかったな」
妙に不穏な感じのする親子の会話から一転、俺の視線に気づいた神白の父親は最初と同じ気安い笑みを浮かべた。
「私は糸羽の父の神白浩一郎だ。親の私が言うのもなんだが、娘は口の上手い方ではないからな。心配していた部分もあるんだが、仲良くしている子がいるようで安心したよ」
仲がいいかと言われると別にそういうわけでもないです。
なんて、正直な関係性を伝えるわけにもいかず俺が返事に悩んでいると、浩一郎氏はそんな逡巡を見透かしたかのように口の端を歪め愛想のいい笑みを肉食獣を彷彿とさせるような攻撃的なものに変えた。
「それとも、仲がいいなんて言われるのは心外だったかな?」
「え、いや、そんなことは」
「はは、こう言われれば庇おうと思うだけの配慮は働くか。結構、結構。こうして最低限の関係性を築けているなら、糸羽にしては上出来だ」
先程までの浩一郎氏は娘の級友に対し当たり障りのない対応をする大人らしい父親といった印象だったけれど。
今の台詞は明らかに俺と神白が大した関係性ではないと確信していなければ出てこないもので、それをわざわざ口に出して浮き彫りにするのはどこか子供染みている。
「父さん。もういいでしょう。忙しいのだから、いい加減に自分の部屋へ行ったら?」
「ふ、そうだな。あまり藍川君を困らせるのもよくないし、何よりお前に人脈を活かす能力がないこともよくわかった。確かに、もうここにいる必要はなさそうだ」
明らかに煽っているとしか思えない浩一郎氏の台詞に対し神白はいつになく感情的な表情を浮かべると、右手を持ち上げ俺に向かって真っすぐに人差し指を突き付けた。
「教えておくわ。藍川君は私の彼氏よ。どう? これで満足?」
一応は当事者であるはずの俺が何も知らない状態でいきなり彼氏とか言い出しておきながら特に俺のことを気にした様子もなく父親だけに視線を向ける神白の態度は流石にどうかと思うけれど。
一体何が満足なのか、浩一郎氏は珍しく声音から苛立っているのが伝わってくる神白の台詞を聞いて実に楽しそうな笑い声を上げ、鷹揚に頷いた。
薄々わかっていたことではあるが、どうやらこの親子は娘だけではなく父親の方もちょっとおかしいらしい。
違いがあるとすれば、父親の方は娘と違って本性を隠す擬態が上手そうなことくらいか。
「ははは。いいぞ。課題はぎりぎり及第点ということにしておいてやる」
結局、なんの話をしているのかさっぱりわからないままに浩一郎氏は席を立ち、俺に向けて軽く頭を下げた。
「親子揃って見苦しい所を見せてしまいすまなかったな。私は二階の自室にいるから、後は煩わしい大人のことは気にせずゆっくりしていってくれ」
再び大人びた態度を取り戻した浩一郎氏はそう言ってこちらに背を向け、そのまま客間から出ていった。
後には、何もわからないままの俺と父親の出ていった方向を睨む神白だけが残される。
「で、今のなんだったんだ? 俺が彼氏とかあからさまな嘘ついていたけど」
「それは……そうね。藍川君には説明しておくわ」
一瞬、神白は表情に迷いを乗せ何やら言い淀んでいたけれど。
結局は今のやり取りがなんだったのか教えてくれる気になったようで、深く息を吐いてからいつもの調子を取り戻した。
「知っているかもしれないけど、私の父は議員をしているの」
「らしいな」
神白の父親が国会議員らしいという話は以前聞いたことがある。
とはいえ、それはあくまで彼女と同じ中学の出身だというクラスメイトが話しているのを偶然聞いただけなので、今日まで浩一郎氏の名前すら知らなかったし特に興味があるわけでもないけれど。
「先ほどのやり取りの後だと嘘くさく聞こえるかもしれないけれど。私は父を尊敬しているわ。そして、だからこそ父と同じ職に就きたいと思った」
「同じ職ってことは神白も議員になりたいってことか?」
「ええ。けれど父からは向いていないからやめろと言われたわ」
薄情なようだけど、神白の話を聞いてまず最初に感じたのは納得だった。
神白の夢は理解できるし別に嘘くさいとも思わないけれど。
それが彼女に向いているのか問われれば、俺でも否と答えるだろう。
そもそも、議員になるには票を得て当選しなければならないし、そのためには所属する党への支持はもちろんのこと人脈を作る能力や演説での口の上手さも必要だ。
神白のことなんて大して知らない俺でも、彼女がそういったことを苦手としているのは見ればわかる。
素人目にもこう思うのだから、実の父親であり現役の議員でもある浩一郎氏が神白の夢に否定的なのも無理はない。
「なるほど。さっき二人の空気が微妙だった理由はなんとなくわかったけど。結局、それと彼氏云々になんの関係があるんだ?」
「私がしつこかったからでしょうね。昔、父がお酒に酔っていたとき、コミュニケーション能力があるというならせめて彼氏の一人でも連れてきてみろ。そうすれば、真剣に考えてやると言われたことがあるの」
「酔ってたときって、それ本気にして大丈夫なのか?」
「ええ。例え酔っていたとしても、家での父は本気で果たすつもりのない約束は口にしないわ。それに、先ほどのやり取りでなんとなくわかったでしょう。彼氏というのはあくまで建前で、要は私が頼み事のできる人間を作れるか見ているだけよ」
確かに、浩一郎氏だって本気で俺が彼氏だと思っていたわけじゃないだろうし、堂々とはったりをかませる図太さまで含めて本人なりに納得したということだろうか。
思い返してみれば、神白は前に付き合ってくれとか言ってたしどこまで本気だったかは知らないがあれも課題とやらを意識したものだったのだろう。
「藍川君」
「ん?」
「悪かったわね。勝手に彼氏なんて言ってしまって」
「別に、それはいいけど。なんというか、お前もいろいろ大変なんだな」
「そうでもないわ。私がやりたくてやっていることだもの。藍川君だって、自分の好きなもののためなら多少の面倒は苦にならないでしょう?」
「それは……まあ、そういうものかもな」
好きなものと言われても咄嗟には何も思い浮かばなかったせいで、なんだかぎこちない返事になってしまったけれど。
好きこそ物の上手なれというし、神白の言うことにも一理あるのは確かだろう。
浩一郎氏の登場で動揺していたせいか、なりたいものについて語る神白に妙な疎外感を覚えた俺は彼女から視線を外しカップに残っていた紅茶を飲みほした。




