神白家
緋田原と神白が非常に居心地の悪い雰囲気を形成している空間へ足を踏み入れると、緋田原は早速こちらへ鋭い眼差しを向けた。
「何?」
「いやー、その、神白も悪気はないんだろうし、あんまり悪く思わないでやって欲しいなーというか」
「なんで藍川がそんなこと言うのよ。というか、あんた昨日も神白のこと庇ってたわね。話してるところなんか全然見たことないけど。あんたら、仲良かったの?」
「いや、全然」
案の定、緋田原は怪訝そうな表情を浮かべているけれど。
流石に神白へ断りも入れず昨日の放課後にあったやり取りを話すのは気が引けるので、敢えて補足はしないでおく。
「藍川君」
「なんだ? 神白」
どうすれば穏便にこの場を収められるか考えていると、常と変わらぬ神白の声が俺の名前を呼んだ。
反応して視線を向ければ、そこには相変わらず感情の起伏の乏しい神白の顔がある。
「あなたが割って入ったということは、今の私の行動はよくなかったのね」
正直、少し驚いてしまった。
言葉ぶりからして理由まで理解しているわけではなさそうだが、神白は思いのほか俺の判断を信頼してくれているらしい。
俺が止めるということはよくないことだ、なんて彼女がそんな考え方をするとは思わなかった。
「えっと、そうだな。とりあえず、昼飯は自分の席で食え」
声に驚きが滲むのは抑えられなかったもののなんとか必要な台詞を捻り出すと、神白はその場で頷いてから素直に踵を返した。
「あー、もう。なんなのよ一体」
神白があっさりといなくなり感情のぶつけ先を失った緋田原が、苛立ちと僅かばかりの困惑を込めた独り言を口にする。
変なことに巻き込んでしまった彼女には申し訳ないが、俺としては思ったよりも大事にならず一安心だ。
◇
放課後、昼休みの件について確認がしたいという神白に連れてこられたのは鳥羽田高校から二十分ほど歩いた場所にある小綺麗な一軒家だった。
目の前の家は閑静な住宅街の一角に位置し、それなりの広さがある庭には鮮やかな紫色の花が植えられている。
流石にテレビでセレブの家として紹介されるような大豪邸ではないが、十分に立派な家だ。
そして、神白はそんな家の敷地に躊躇いなく入っていき鞄から取り出した鍵で玄関の扉を開けており、行き先についてなんの説明もされていなかった俺でもその動作だけでここがどこだかわかってしまう。
「両親は当分帰ってこないから、遠慮せずくつろいでいって」
正直、住宅街に入った辺りからもしかしてとは思っていたけれど。
どうやらここは神白の自宅らしい。
◇
客間らしき場所へ通された俺の前に無地のカップが置かれ、そこに神白が慣れた手つきで紅茶を注いでいく。
「なあ、神白」
「何かしら」
返事をする間も神白が手を止めることはなく、二人分の紅茶を注ぎ終えた彼女は俺の前にあるのとは違う縁の部分に蔦の柄があしらわれたカップへそっと口をつけた。
「のこのこついてきた俺が言うのもなんだけど、なんでお前の家なんだ? 話がしたいなら、その辺の喫茶店とかファミレスでいいと思うんだが」
「もちろん、それでも構わないけれど。私は騒々しい場所が好きではないから。あまり人に聞かせるような話でもないし、私の家がちょうどいいと思っただけよ」
まあ、最初から神白に他意があるとは思っていなかったけれど。
やはり彼女は落ち着いて話せる場所として自宅を選んだだけらしい。
俺のような小市民的感性の持ち主からすると、大して仲良くもないやつを自分の家に連れていくのは些か距離感がおかしくないかと思わないでもないけれど。
さりとて、これで何か問題があるかと言われるとそういうわけでもないし、本人がいいと言っているのならひとまずは棚上げしておくことにしよう。
「うん、まあ、神白がいいならいいんだけど。えっと、昼休みの話だったよな?」
「ええ。藍川君のおかげで、緋田原さんを昼食に誘ったのがよくない行動だったというのは理解したけれど。その理由まではまだ聞いていなかったから」
神白の聞きたいことというのは概ね俺が想像した通りで、それに対する答えなら既に用意してある。
「仲良くないやつと一緒に飯食うのって普通に気まずいだろ」
俺が口にしたのは至極当たり前の理屈だと思うのだが、神白にはいまいちぴんとこなかったらしく彼女は無駄に可愛らしく小首を傾げている。
「そうかしら。寧ろ、食事というのは仲良くない相手と接点を作っておくための有用な手段だと思うのだけれど」
「いや、接待目的の会食じゃないんだし、普通は苦手なやつに飯誘われても断るっての。というか、逆になんでお前は緋田原と一緒に飯食おうなんて思ったんだ?」
「それはもちろん、親交を深めたいからよ。緋田原さんはクラス内の物事を取りまとめることが多いでしょう? 私がああいった能力に欠けていることは自覚しているから、傍で学ぶためにも仲良くなりたいの」
要はこうして俺と話してるのと同じようなものだろうか。
目的は理解したが、そのための手段として選ぶのが昼間のアレだとするとそりゃ上手くいくわけないだろうと思わざるを得ない。
「いいか? そもそも、そういうのは互いに相手に興味があるから仲が深まるんだよ。緋田原側に興味がないなら、お前がどんだけ必死に距離詰めても迷惑に思われるだけで却って逆効果だ」
「でも、藍川君は現にこうして私と話してくれているでしょう? 真摯に頼めば緋田原さんが私の話を聞いてくれる可能性は十分にあるんじゃないかしら」
「それは俺が暇でお前に付き合ってもいいと思っただけだ。緋田原に同じこと期待するのは諦めろ」
「なるほど。確かにそうね。暇そうな藍川君と違って、緋田原さんは生徒会の仕事もあって忙しそうだもの」
自分で言っといてなんだが他人に暇そうとか言われるのムカつくな、というのはさて置いて。
緋田原が生徒会に入ってるなんて初耳なんだが、神白のやつよくそんなことまで知ってるな。
行事のときに全校生徒の前に出て挨拶することのある生徒会長なら苗字が稲田だったのは覚えているけれど。
その他の生徒会メンバーとなるとあまり露出も多くないし、誰がどの役職を務めているかなんて全く知らないんだが。
神白のやつ、これで意外と周りのことよく見てるのか?
俺が少しだけ神白のことを見直していると、不意に玄関の方から扉の開く音が聞こえてきた。
両親は当分帰ってこないとか言ってなかったか?
俺の内心で響く声なき叫びを嘲笑うように扉を開けた人物の足音はどんどん俺たちのいる客間へ近づき、止まったと思った次の瞬間には扉を開けてスーツ姿の男性が姿を現した。
「おかえりなさい。今日は早かったのね、父さん」
出迎える神白の声を聞くまでもなく察しはついていたけれど。
いきなり俺の前に現れたこの男性は神白の父親らしかった。




