始まりの告白
窓の外を一羽のカラスが横切り、そのまま道路脇にある電線の上にとまった。
ここ、鳥羽田高校は校舎、グラウンド、体育館の三つを間に通る細い道路によって分かたれているので、こうして窓の外に目を向ければすぐに一般の道路が見える。
無論、だからどうしたと言われれば返す言葉もないが、学校とは関係ない景色というのは気分転換に眺める分には悪くない。
まあ、昼休みという窓の外の景色に頼るまでもなくリフレッシュできる時間にわざわざこうして外を眺めているのは、単純にグラウンドの方から聞こえてきたかけ声が気になったからなのだけれど。
「うわー、あれ一組か? 気合入ってんなー、あいつら」
窓際最後尾にある俺の席の前に腰を下ろし他人事のような感想を漏らしたのはへらへらとした笑みを浮かべた軽薄そうな雰囲気の男子で、窓から視線を外した彼は同意を求めるようにこちらを向いた。
「確か、一組は木村がいるだろ。あいつ去年の球技大会でも気合入ってたし、今年も優勝狙ってるんじゃないか?」
「あー、そうだった、そうだった。一年のときはあいつのせいで絶対優勝するぞー、みたいな雰囲気になってサボり魔の俺としてはあんまいい記憶ないんだよなー。いや、ほんと今年は別のクラスになったおかげで気楽だよ」
「良二、お前は去年もほとんど練習出てなかっただろ」
窓の外を見たところ俺の聞いたかけ声の主は二年一組の生徒たちだったようで、遠目に彼らの姿を見た岸岡良二はどこまで本気かわからない声音で安堵の台詞を口にしている。
良二とは中学校のころからの腐れ縁だが、こいつは学校行事の類にはほとんど興味がなく、案の定と言うべきか来週行われるクラス対抗の球技大会にもまるでやる気がない様子だ。
とはいえ、球技大会に関しては良二ほどではないにせよモチベーションが高い生徒というのは少数派で、ほとんどの生徒は勝ち負けがどうあれほどほどに楽しめればそれでよしというスタンスだろう。
実際、二年一組以外にもグラウンドに出て練習している生徒はいるにはいるが、それほど数が多いわけではない。
「そういう凛太は大してやる気なんかないくせに、クラスがそういう空気になったら結構真面目に付き合ってたよなあ。いやはや、よくやるよ」
良二は理解できないとでも言いたげだが、ときには興味のないことでも長いものに巻かれて付き合っておいた方が却って楽なこともある。
当然、良二だってそれがわからないわけではないだろうが、こいつは諸々弁えたうえで興味がないことは平気でサボるので、これはこれで大物なのだろう。
まあ、そのせいで好き嫌いが分かれると言うか、万人に好かれるタイプの性格でないのは確かだけれど。
「ねえ、あんたら打ち上げ来る気あるの?」
俺と良二が間近に迫った球技大会について話していると、横合いから微かな苛立ちを感じる声が聞こえてきた。
どう考えても俺たちに向けられた問いかけなので仕方なく声がした方へ視線を向けてみれば、そこには気の強そうな印象を受ける女子生徒の姿がある。
「えっと……緋田原、打ち上げってなんのことだ? 来週の球技大会の後にやるのか?」
二年に進級してから一ヶ月しか経っていないこともあり、名前を思い出すのに少しだけ時間がかかってしまったけれど。
癖のある蜂蜜色の髪を揺らす彼女、緋田原月乃は同じ二年三組の生徒であり思い返してみれば新学期早々にSNSで作成した三組のグループに入るよう言ってきたのも彼女だった。
目つきは鋭く腕を組んで立つ姿もどことなく威圧感があるので近寄りがたい印象があったけれど、心当たりのない打ち上げとやらについて確認しにきたことも含めてこれで意外と面倒見がいいのかもしれない。
「そうよ。昨日、クラスのグループで言ったでしょ。そもそもグループに入ってない二人を除けば、未だに返事ないの藍川だけなんだけど?」
昨日はスマホの充電を忘れていたせいで使うとき以外はほぼ電源を切っており、家に帰ってからも充電ケーブルに繋いで以降はまともに触っていなかった。
一応、今朝はSNSアプリの通知が届いているのは確認したものの面倒で内容は確かめてなかったし、どうやら知らぬ間に球技大会の打ち上げに関する連絡をスルーしていたらしい。
我ながら、こういう所で面倒くさがるのはよくないとは思うのだけれど。
共にいることの多い良二はそもそもクラスのグループにすら入っていないしあまり細かいやり取りをするタイプでもないので、普段は意識することがなくたまにこうしてやらかしてしまう。
「ごめん。気づかなかった。打ち上げって、球技大会が終わった後にみんなでご飯食べに行く感じ?」
「そ。一応、お好み焼き食べに行こうってことになってるわ」
「わかった。じゃあ、俺も行くよ」
返事を聞いた緋田原はすぐに俺から視線を外し、一応といった様子で良二の方を向いた。
「で、岸岡は?」
「んー、俺はパス」
良二が断るのは最初から予想していたのか、緋田原は大してリアクションもせずそのまま俺たちの前から去っていった。
「緋田原も律儀だねえ。わざわざ俺にまで確認取りに来るんだから、頭が下がるよ」
「そう思うなら打ち上げくらい顔出したらどうだ? てきとうに飯食って終わりなんだし、大した手間でもないだろ」
「それとこれとは別問題でね。緋田原には敬意を表するが、興味ないものへ半端に関わるのは趣味じゃないんだ」
褒めてるんだかよくわからない台詞と共に教室の中央へ視線を動かした良二に釣られて、俺も顔の向きを変える。
すると、俺の眼には先ほどに輪をかけて不機嫌そうな緋田原と、そんな彼女を前にしても一切動じず感情の読みにくいすまし顔を浮かべている女子の姿が映った。
「つまり、神白は不参加ってことでいいのね?」
「ええ。寧ろ、あなたたちはなぜ特段力を入れているわけでもない球技大会の終了をクラス単位で集まってまで祝おうとするの? 私には理解できないから、ぜひ教えて欲しいわ」
「っ……あんたね」
俺が見ている間にも緋田原とのやり取りをどんどん剣呑なものに変えている彼女の名は神白糸羽といって、三組には二人しかいないクラスのSNSグループに入っていない生徒の片割れだ。
神白は見た目に関して言えば深窓の令嬢といった雰囲気の上品な美人で、艶のある長い黒髪をなびかせ姿勢よく歩く様を初めて見た時には思わず目を奪われてしまった。
いや、実際に彼女の父親は国会議員だという話だから、お嬢様ではあるのかもしれないけれど。
なんにせよ、彼女の容姿が端麗であることは間違いなく、面差しから冷ややかな印象こそ受けるものの男子の一部は寧ろそれがいいなんて言ってたりする。
普通にしていれば、お近づきになりたいと考える男子は少なからずいることだろう。
だが、俺の知っている範囲では彼女に気安く声をかけるような人間は性別問わず皆無であり、それこそ緋田原のように何かしら用事のある人間が必要に迫られて話しかけることが稀にある程度だ。
では、なぜそんなことになっているのかというと、これは良しにしろ悪しきにしろ神白の性格が普通じゃないからということに尽きる。
「相変わらず、お姫様は相手を煽るのがお上手で。あれ、傍目にはわざとやってるようにしか見えないよなあ」
良二が口にしたお姫様というのは三組における神白の呼び名であり、ニックネームというには些か揶揄するようなニュアンスが強いものではあるのだけれど。
なにせ、神白は一事が万事誰に対してもあんな調子であり、彼女の周りではおおよそ喧嘩を売っているとしか思えないやり取りが頻発している。
それを踏まえれば、呼び名をからかいと容姿を称える褒め言葉の中間に留め、アンタッチャブルな存在として遠巻きにしているだけのクラスメイトたちは寧ろ理性的と言えるだろう。
ただ、俺個人としては神白が本気で相手を煽っているとは考えておらず、今しがた緋田原に向かって発せられた台詞もたぶん本当に疑問に思っているだけなのだろう。
なんて、神白を擁護するような台詞を言うと良二以外は等しく微妙な表情を浮かべていたけれど。
少なくとも俺は良二や神白のように我が道を行くタイプの人間が嫌いではない。
まあ、だからといって彼らの言動を真似したいとも思わないけれど。
「この際だから言っとくけど、そうやって周りのこと馬鹿にしてるからあんたは──」
「まあまあ。神白の態度はいつものことだし、放っとこうぜ」
俺が眺めている間にもどんどんヒートアップしていく神白と緋田原のやり取りを前に不干渉を貫くのも気が引けてきたので、二人の会話を遮って少々強引に間へ入る。
当然、緋田原は突然の闖入者を歓迎はしていない様子だけれど、周りを見回して注意を集め始めているのに気がついたのか些か気勢を削がれた様子で短く息を吐いた。
「はあ。それもそうね。これ以上、こいつに付き合うだけ馬鹿らしいわ」
緋田原が踵を返し立ち去っていくのを見届けると、俺の口からは思わず安堵の息が零れる。
「不思議ね。私が話すと怒らせてしまうのに、藍川君が話したら穏便に収まるなんて」
問を投げかけているのか単に独り言を漏らしているだけなのか、なんとも判断に困る淡々とした声音に反応して視線を移すと、こちらを見やる澄んだ瞳と目が合った。
神白は俺と目が合ってからも逸らすことなくじっと待っているので、たぶん今のは俺に答えを求めているのだろう。
「そう思うなら、神白はもう少し言葉選びを勉強した方がいいんじゃないか」
「勉強……どうやるの?」
「え? そりゃ、誰かに教えてもらうとかだろ」
別段、大したことは言っていないのだけれど。
俺の答えは何かしら神白の琴線に触れたらしく、彼女は何も言わずに黙り込み一人真剣な顔で何事かを考え始めた。
最初からわかっていたことではあるが、本当によくわからんやつだ。
◇
放課後、グラウンドから響いてくる掛け声を聞きながら目の前の扉を開き屋上へ出ると、正面には神白の姿がある。
風に吹かれて揺れる長い黒髪を右手で抑えていた彼女は俺に気づくと数歩距離を詰め、いつもと変わらぬ感情の読みにくい表情のまま口を開いた。
「藍川君、私と付き合ってくれないかしら」
いきなり放課後に屋上へ来て欲しいと言われて訳も分からぬまま出向いてきたけれど。
照れた様子など微塵もない淡々とした調子で紡がれた神白の台詞は俺の聞き間違いでなければ、どうやら告白らしい。
「いや、えっと……なんで?」
もちろん、神白から告白される心当たりなんて微塵もない俺は喜んだり断ったりするよりも先に、ただ間の抜けた困惑の台詞を漏らすことしかできなかった。




