プロローグ
「思うに、藍川君はそろそろ私に告白するべきではないかしら」
遠くから練習中の吹奏楽部が奏でる木管楽器の音色が響いてくる放課後の教室にて、一人の少女が少々様子のおかしな台詞を口にした。
窓から差し込む陽射しを反射して輝く黒髪を右手でかき上げながら微笑む少女の姿は思わず見惚れてしまうくらい美しくて、黙っていれば変に意識してしまったかもしれないけれど。
台詞の内容が内容なので、良くも悪くも冷静になれる。
「一応聞くけど、なんで俺がお前に告白すべきなんだ?」
「それはもちろん、藍川君が私のことを好きだからよ。好きな相手と恋人になりたくて告白をする。実に自然な流れだと思うけど?」
「そうだな。自然かもな。俺がお前のことを好きだったらの話だが」
「あら、そんな持って回った言い方をしなくてもいいのよ。藍川君が私のことを大好きなのはちゃんと伝わっているから」
まるでそれが自然の摂理だとでもいうかのように俺が好意を抱いているの前提で話を進める彼女の名は神白糸羽といって、俺と同じ鳥羽田高校二年三組の生徒だ。
見ればわかると思うが神白は中々の変人で、少々思い込みの強いところがある。
「思ってないことが勝手に伝わってるって怖いと思わないか?」
「ええ。世の中、物事を自分の都合のいいように捉えて一方的に好意を募らせるストーカーみたいな人間もいるもの。恐ろしいと思うわ」
「そうか。神白にもまっとうな感性が残ってたようで何よりだけど、それなら我が身を振り返って俺が一度も好きだなんて言ってないことを思い出してくれ」
「わかってないわね。好意というのは言葉だけで伝えるものではないわ。例えば、そうね。藍川君は私のことが好きだから、こういうことをされても嫌だとは思わないでしょう?」
おもむろに神白が手を伸ばし、俺の頬に触れてくる。
触れる手つきは優しくて、ひんやりと冷たい手のひらは不快ではなく寧ろ気持ちいい。
「確かに嫌だとは思わないけど。イコール相手のことが好きってのは飛躍し過ぎじゃないか。嫌いな相手ならともかく、それなりに親しい相手ならこのくらいのスキンシップは気にならないってやつもいるだろ」
「そう。藍川君は私のことを親しい相手と思っているのね。私も同じ気持ちだから嬉しいわ」
「……あくまでそれなりに話すやつって意味だけどな」
思いがけず墓穴を掘ってしまい顔に熱が溜まっていくのが自分でもわかったので、一度言葉を区切ってから頬に当てられている神白の手を取って机の上に戻す。
神白はそんな俺の様子を見て生暖かい笑みを浮かべ楽しそうにしているので、再び顔が熱くなりそうになったけれど。
そこは大きく深呼吸をして抑えておく。
実際、神白のことは好きか嫌いかの二択で言うなら間違いなく好きだし、ちょっとこの状況で平静を保っていられなくて照れ隠し的に対応している部分もないとは言わないけれど。
神白の言う好きは実際の俺たちの関係とは少しズレている。
少なくとも俺はそう思っているから、彼女の言う通りに行動する気にはどうしてもなれない。
「そもそも、神白は言うほど俺のこと好きじゃないだろ」
「あら、どうして? 先ほどから、藍川君へは私なりに愛情表現をしているつもりだけど」
「だからだよ。お前、こんな風にわかりやすく本音を口にできるほど器用じゃないだろ」
神白の表情が俺への不満と僅かばかりの気後れがない混ぜになった不機嫌そうなものに変わり、無言のまま右手で俺の手の甲を抓り始めた。
「なあ、痛いんだけど」
俺の訴えは無視されて取り合ってもらえなかったので、もう暫くこの痛みには耐えることになりそうだけれど。
たとえ機嫌を損ねることになっても、さっきの台詞は言った方がよかったとは思う。
なにせ、彼女がこんな風になったのは俺のせいだから。
なんてことを言うと、あまりにも自意識過剰かもしれないけれど。
少なくとも、俺がまともに関わるようになったばかりのころの神白は変人ではあっても今みたいに他人からのわかりやすい好意を求めてはいなかった。
もちろん、全部が全部変わったわけではないだろうし、内心どう思っていたかまでは知る由もない。
ただ、それでも、今の神白はどことなく無理しているように思えて、俺の意識は自然と関わるようになったばかりのころを思い出してしまう。




