姉の話
俺が指定された喫茶店へたどり着いたときには緋田原は既に店内で待っており、店の奥にある席でクリームソーダを飲んでいた。
「あ、藍川。こっちよ」
こちらに気づいたらしい緋田原が右手で手招きしてきたので、そのまま近寄り彼女の正面の席に腰を下ろす。
「で、なーんで俺はこんな急に呼び出されたんだ? 姉貴への苦情なんて俺に言われても困るぞ」
俺が呼び出した理由を尋ねると流石の緋田原もかなり強引なことをした自覚はあるのか、バツが悪そうに目線を逸らしてからわざとらしい咳払いをした。
「いやー、ほら、私ってこの前、藍川にいろいろ話聞いてもらったでしょ?」
「まあ、そうだな」
「でさ、なんとびっくり会長の好きな人が藍川のお姉さんでしたーなんて、これはもう藍川にとっても他人事じゃないと思わない?」
「思わない」
俺が即答すると緋田原は不自然な笑みを浮かべたまま数秒固まってから、やがて諦めた様子で息を吐き机に上半身の体重を預け脱力し始めた。
「正直さー、会長が誰のこと好きだろうと私が振られたのには変わりないし、関係ないっちゃ関係ないのよ」
「なら、なんで姉貴のことなんか気にしてるんだ?」
「んー、なんて言えばいいかな。例えば、藍川が私のこと好きだったとするじゃない? で、せっかく一緒に遊びに行けると思ってた休みの日に、偶然稲田会長と会って目の前で私が顔を赤くしてたりしたら居心地悪いでしょ? 別に誰が悪いわけでもないんだけど、その場から逃げて誰かに話を聞いて欲しくなるのよ」
「つまり、姉貴に会長たちとの休日をじゃまされたせいで、誰でもいいから愚痴りたかったってことか」
緋田原の言う状況にはいまいち共感できないものの言わんとせんことは理解できるので端的にまとめてみると、彼女は少しだけ目を泳がせてから感情の読めない曖昧な笑みを浮かべた。
「まー、だいたいそんな感じなんだけど。誰でもいいってのはちょっと違うというか。生徒会のみんなにこういうこと言うと会長を応援するのと私とで変に気を遣わせちゃいそうだし。何より、ちょっと性格悪いじゃない? だから、あんまり私に興味なさそうな藍川に聞いて欲しかった……て言うと、これはこれで性格悪いか」
緋田原自身、上手い言い回しが見つからない様子だけれど。
なんとなく、言わんとすることはわかる。
確かに俺は稲田会長のことなんてほとんど知らないので彼の恋愛事情は割とどうでもいいし、その場にいた生徒会の面子と違って話しやすいというのはあるだろう。
まあ、幾ら部外者だろうと彼女から聞いた話を関係者に吹聴して回るようなら意味はないわけだが、その辺は前回のこともあって一応信用されてるということだろうか。
「まー後は、会長たちは付き合ってる感じじゃなかったし。藍川からお姉さんのこと聞いて私も同じようにできたら、まだワンチャンあるのかなーとか、ちょっとだけ思わなくもないのよ」
後になるにつれて声量は小さくなっていき、最後にはわざとらしく冗談めかした声音になっていたけれど。
つまり、緋田原は姉貴の真似をすることで稲田会長を振り向かせようとしてるわけか。
相手の好みに合わせるというのはある意味恋愛の基本なのかもしれないが、なんというか個人的にはあまり勧める気になれない。
真似しようとしている相手がよりにもよって姉貴だから、というのも少なからずあるけれど。
何より、緋田原が字面ほど正直にチャンスを信じているとは思えなかった。
「別に、姉貴なんかのことでよければ幾らでも話すけど……俺が言うのもなんだけど、それで上手くいくほど単純なものでもないんじゃないか?」
「あはは、わかってるって。今のは冗談っていうか、本気じゃないし。要は藍川のお姉さんがどんな人かちょっと興味が湧いただけ」
「……まあ、いいけど」
緋田原の本音なんて本人にしかわからないものをこれ以上勝手に考えていても仕方ないし、わざわざここまで来て何もせずに帰るのも馬鹿馬鹿しいのでひとまずは彼女の話に乗るとして。
姉貴とはそれこそ生まれたときから共に暮らしているものの、いざ他人から話せと言われると意外に何と言うべきか迷うな。
「稲田会長が姉貴のどういう所を好きになったのかは知らないけど。あいつの長所のうち恋愛で最も重要な点を挙げるなら、やっぱ顔だろうな」
小学生のころから横で褒められているのを散々見てきた俺の実体験に基づき恋愛に活かせそうな姉貴の長所を教えてやったというのに、これまでの曖昧な雰囲気から一転緋田原の俺を見る目が明確にその温度を下げた。
「藍川、ふざけてる?」
「大真面目だが? いや実際、姉貴はほとんど話したこともない相手から告白されることもあったみたいだし、中身はともかく姉貴の顔に関しては稲田会長が好きになっても不思議じゃないと思うぞ」
「会長はそんな軽い人じゃないし。というか、顔なら私だって負けてないでしょ」
「それ、自分で言うのか?」
「何よ? わざとらしく謙遜して私なんて全然可愛くないしーとか言えばいいの? 嫌よ。私、自分のこと結構好きだもの」
「はあ、それは自己肯定感高くて何より」
こういうことを平然と言えるのは緋田原の長所なのかもしれないけれど。
見た目の話を潰されてしまうと後はもう姉貴の内面に触れるしかなく、俺としてはそこを素直に長所と呼ぶのは些か躊躇われる。
「逆に聞くけど、実際に会ってみて緋田原は姉貴のことどう思ったんだ?」
俺の問いかけを受けた緋田原は暫し難しそうな顔で視線を宙に這わせてから、自分でも不思議そうに口を開いた。
「なんというか、最初は当たり障りのない、すごく普通の人に見えたわ。いや、もちろん、あんたが言うだけあって美人だったし、モテるだろうなとは思ったけど。えーと……」
「あー、いい。そこら辺の感覚はだいたいわかる」
緋田原は言葉を選ぶのに苦慮しているようだが、姉貴の猫被りは筋金入りだし初対面の相手に先輩として無難な対応をしたのは想像に難くない。
「でも、話してる途中であんたの話題が出たときからちょっと様子が変わったというか。その、こういうこと聞くのちょっと気まずいけど。あんたのお姉さんってブラコンなの?」
「違うからマジでやめろ」
緋田原があまりにもふざけたことを言うせいで思わず食い気味に否定してしまったが、しかしそういう勘違いをする理由自体は心当たりがある。
良くも悪くも姉貴は身内とそれ以外で明確に線引きをする人だ。
一度身内と判断すれば休みの日だろうがお構いなしにあちこち連れ回すが、そうでない人間には品行方正な優等生として接する。
昔、そのギャップが気になって理由を尋ねたことがあるが、本人曰く興味ない相手に余計な時間を割きたくないから文句をつけられないよう模範的な振る舞いをするらしい。
まあ、やろうと思えば当然の如く模範的な振る舞いができてしまうのは本人の生まれ持った才覚とたゆまぬ努力によるものなのだろうけど。
何はともあれ、姉貴のそういう身内意識の強い所が彼女の人となりを知らない人間から見ればブラコンのように映るのだろう。
「というか、そういう感想が出てくるって、お前姉貴と何話したんだ?」
姉貴が多少なりとも素を見せたということは少なからず緋田原が姉貴の興味を引いたのだろうけど、ただのクラスメイトと言ったところで姉貴が興味を持つとは思えないし会話の内容は大いに気がかりだ。
まさか失恋した現場に居合わせたことまで馬鹿正直に喋ったということはないだろうが、姉貴は変なところで勘が鋭いので余計なことに気づいてそうな気がしてならない。
「別に、大したことは話してないわよ。うちのクラスに変わったやつがいるんだけど藍川はそいつと仲がいいみたいだ、とか最近は私もあんたたち二人と絡むことがある、とか。世間話みたいなのが大半だし。まあ、一応リップサービスも兼ねて落ち込んでるとき話を聞いてくれたくらいのことは言ったけど」
緋田原は本気で大したことないと思っている様子だが、俺は既に今日映画館に行くことを姉貴に話してしまっている。
まず間違いなく姉貴なら俺が映画に行く相手と緋田原の言う変わったやつが同一人物なのに気づくだろうし、そこに興味を持つ可能性は十分にある。
帰ってから姉貴がウザ絡みしてくるのを想像すると、今から憂鬱だ。




