片隅にいたい理由
緋田原が姉貴に余計なことを喋ってしまったのは今更どうしようもないとして。
正直、稲田会長のことなんて何も知らない俺がこれ以上姉貴のことをあれこれ語ったところで有意義な話ができるかは怪しいし、やっぱ会長が姉貴のどういう所に好感を持ってるかくらいは調べないといろいろ難しいな。
「緋田原、別に建前は球技大会の準備の手伝いでもなんでもいいから、俺が稲田会長と話す機会作れないか?」
「え? そりゃ、作れないってことはないでしょうけど。何よ? 急に」
「いや、姉貴のこと話すにしても稲田会長が姉貴のことどう思ってるか詳しく確かめてからにした方が役に立つ話できそうだろ? だから、稲田会長とは一回会っときたいと思って」
緋田原にとっても利のある話だと思うのだけれど。
暫し、彼女は怪訝そうに目を瞬かせてから探るように口を開いた。
「それは、そうでしょうけど。なんで藍川がそこまで乗り気なのよ?」
姉貴のことを教えろというのはそもそも緋田原の方から言い出したんだろうが。
一瞬、そう言い返そうかとも思ったけれど。
考えてみれば、緋田原のことで俺がここまでする理由は確かにない気がする。
冷たいようだが、緋田原の恋愛事情なんてしょせん俺にとっては他人事だしそこまで親身になって応援することでもない。
それでも、俺がこんなことをしている理由。
一体、何が俺にこんな台詞を言わせたのだろう。
当てもなく視線を彷徨わせているうちに、ふと気づいた。
「俺は緋田原が勝算の薄い恋をしてるところが見たいのかもな」
思いついたことをそのまま口にした結果、緋田原の表情が一気に険しくなったので弁明のため慌てて口を開く。
「違う。別に変な意味じゃなくて。前も言ったけど、俺は特に誰かを好きになったことないから。緋田原に共感してみたいんだよ。そのために、過程の一部だけでも共有できる場所でお前を見たいというか」
俺の方を見ながら呆れと困惑がない混ぜになったような表情を浮かべている緋田原を見るに俺の気持ちが十分に伝わったかはだいぶ怪しいけれど。
改めて言語化してみると俺が緋田原を手伝うようなことを言った理由にも納得できた。
俺は興味があるんだ。
俺には実感できない恋愛というものの熱狂を緋田原を通して感じてみたい。
だから、緋田原の恋が奇跡的に実るにしろ破れるにしろ、今みたいに他人事として聞くだけではなく恋物語の隅にいる端役としてその一端を担いたい。
我ながら馬鹿みたいだとは思うけれど、たぶん神白ならここで望みを口に出すのを躊躇ったりはしないのだろう。
そう思うと、不思議と俺の口も軽くなっていた。
「私、神白があんたと仲いいのはあんたがお節介な世話焼き気質だからだと思ってたけど。案外、変人同士気が合うだけかもしれないわね」
「なら、俺とここでこうして顔を突き合わせてるお前も似た者同士なのかもな」
俺の台詞を聞いて、緋田原は嫌そうに顔を顰めた。
◇
俺が家に帰ってから暫く待っていると玄関の扉を開く音が聞こえてきたので、二階の自室を出て一階まで降りる。
「姉貴、おかえり」
「ただいま。珍しいわね、凛太が出迎えなんて」
帰って来た姉貴は俺の顔を見て見透かしたような笑みを浮かべてからリビングに移動し、手に持っていた荷物を机の上に下ろした。
「同じクラスのやつに聞いたんだけど、今日生徒会の面子と会ったらしいな」
「ええ、会ったわよ。月乃ちゃんに聞いたの? 随分と話が早いわね」
俺よりもよほど親しそうに緋田原の下の名前を呼んでから、姉貴が椅子に座る。
「なんか盛り上がってたらしいけど姉貴と稲田会長って仲良かったのか?」
「もちろん。誠二は去年も生徒会だったから。卒業してからは会う機会も減っちゃったけど、真面目で仕事も頑張ってくれたし大事な後輩よ」
稲田会長のフルネームが稲田誠二だということさえたった今知ったばかりの俺には想像もつかないが、姉貴がこんな風に言うということは稲田会長は優秀で本当に性格もいいのだろう。
緋田原が好きになるのも納得というものだが、問題なのは姉貴が彼のことをどう思っていて、たとえ僅かでも緋田原に付け入る隙があるかどうかだ。
「姉貴。今から変なこと聞くし、答えたくないなら二度と聞かないけど」
「何? 改まって」
俺が何を言おうとしているのかなんてお見通しだとでも言いたげに余裕たっぷりに笑っている姉貴に対し、俺が小細工を弄したところで通用するとは思えない。
なので、迂遠な言い回しを選ぶことはせず知りたいことを直截に聞くことにする。
「姉貴って、稲田会長のこと好きだったりする?」
俺の問を聞いた姉貴はほとんど表情を動かすことなく瞬きしてから、僅かに目を細めた。
「それ、誰かに頼まれたの?」
「いや、俺が勝手に聞いてる」
「そう。本当ならこういうことを無遠慮に聞くのはマナー違反だって怒るところだけど。いい子になり過ぎるなって言ったのは私だし、凛太がそういうこと言うのも珍しいから特別に教えてあげる」
姉貴の顔から笑みが引いていき、どこか憐れむような表情が浮かんでくる。
俺を見ているというよりはこの家のどこでもないもっと遠くを見ているような、そんな眼差しだ。
「凛太の言う意味で誠二を好きだと思ったことは一度もないわ。でも、これを誠二に言っちゃダメよ。あの子がどうするかは、あの子が決めることだから」
聞こえてきた台詞はともすれば突き放しているようにも聞こえるもので、姉貴がこういう物言いをするのは随分と久しぶりな気がする。
だから、たぶん、姉貴だって思うところがないわけではないのだろう。
ただ、姉貴の感じているものと稲田会長が望むものとが必ずしも一致するわけではないというだけで。
「わかった。稲田会長には絶対言わない。ただ、その、もし姉貴が許してくれるなら──」
「凛太が二人だけの秘密にできると思ったなら、月乃ちゃんにだけは言っても構わないわ」
俺の台詞を先回りして許しの言葉を告げた姉貴は既にいつも通りの朗らかな雰囲気に戻っていて、さっきまで感じていたある種の冷たさがまるで嘘のようだ。
「……なんつーか、姉貴でも思い通りにならないことあるんだな」
「当たり前でしょ。自分のことならともかく、他人の気持ちなんて私でもどうにもならないわよ」
姉貴が稲田会長の気持ちに応えないことに少なからず寂しさのようなものを抱いていたことが意外で思わず零してしまった独り言に対し、当の本人はなんでもなさそうに返事をよこしてきた。
まあ、そりゃそうか。
姉貴なら稲田会長の恋心すら自由に諦めさせることができそうだ、なんてそれこそ姉貴にも稲田会長にも失礼極まりない。




