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4:徒花令息、決意する

 やっぱりただの夢じゃなかった!


 ノエルは今にもそう叫びたい気分だったが、ヴィクトールの手前なんとか堪えた。ヴィクトールにだけは変な人だと思われたくないのだ。


 あの日見た夢でノエルが覚えているのは、ヴィクトールと見知らぬ少年が仲良くしているところ、その少年の名前が「セシル・メレディス」であること、セシルが光魔法の使い手であること……そして、強い焦燥感と悲しみくらいだ。光魔法の使い手が自分以外にいるとはとてもじゃないが考えられなくてセシルの存在はただの概念的なものだと思っていたが、もしかしたらあの夢は予知夢に近いものだったのかもしれないとノエルは思い直す。

 だって、本当にセシル・メレディスという光魔法の使い手は実在するようだから。


「ノエル? 大丈夫?」


 つい一人で考え込んでいたノエルの意識が、ヴィクトールの呼びかけで浮上する。突然黙りこくってしまったため不審に思われてしまったのだろうか、とノエルは慌てて首を左右に振った。


「別に、なんでもないです……」

「……そっか。それならいいんだけど」


 理解を示すように頷くヴィクトールだったが、その表情は納得しているとは言い難い。しかし、気持ちを切り替えるように、コホンと小さく咳払いをしてからヴィクトールは再び話し始めた。


「林道でメレディス伯爵家の馬車が盗賊に襲われていたところを、偶然通りがかったセシル君が単身で助けに入ったらしい。なんとか盗賊は撃退したものの、心苦しいことにその時乗車していたメレディス伯爵の幼いご令嬢や従者たちが、酷い怪我を負わされてしまっていたんだ。でも、それをセシル君が光魔法で治癒したことで事なきを得た。それからメレディス伯爵夫妻はこのことにいたく感銘を受け、身寄りのなかったセシル君を養子として受け入れることにしたと聞いているよ」

「なる、ほど……」

「光魔法の使い手は国への報告義務があるだろう? でも、彼は元々……あまり整備の行き届いていない場所で暮らしていたこともあって、光魔法が使えるという自覚もなく、報告義務も知らなかったらしい。――まあ、そういうことがあって彼は学院に特別編入生としてやって来ることになったんだ」


 ノエルはヴィクトールの話に耳を傾けてはいたものの、その内容は全く頭に入っていなかった。ただ、なんとなく例の夢の中で聞いたことのある話だなと思うだけだった。



 + + +



「……はっ!」


 ノエルがふと気がつくと、そこは既にヴェルディエ伯爵家の屋敷の前だった。いつの間にかお茶会を終え、馬車で自宅へと帰ってきていたようだ。

 いつも王宮でお茶会をするときは、王家の馬車が送り迎えをしてくれている。今日も同じように送ってくれたのだろう。ノエルは無事に家へ辿り着き、一人取り残されていた。


「ぼんやりしすぎてた……! だ、大丈夫かな。どうしよう、ちゃんとやれてたかな……!?」


 気づかぬうちに何か粗相をしていなかっただろうか、とノエルは頭を抱えた。ヴィクトールに別れのあいさつを言えたかどうかの記憶さえ定かではない。


「……まあ、誰にもボコボコにされてないみたいだし、そこまで失礼なことはしてなかったってことだよね」


 ノエルは服の上から状態を確かめるように体をペタペタと触り、最終的には両手を頬に添えて大きく頷いた。それから、項垂れた。ただでさえ気にしていた夢に出てきた人物が、どうやら本当に実在していたようだということに、頭がいっぱいいっぱいになってしまっていたのだ。


 深くため息をついてから、ノエルは一先ず自室に戻ろうとなんとか足を動かす。憂鬱だ。今はそれしかなかった。



「ノエル兄様」


 その声にノエルの足が止まる。あと少しで部屋に入れるところだったのに。

 ノエルはゆっくりと声の方向へと振り返った。それから視線を少しだけ落とす。すると、そこには想像通りの人物が立っていた。


「ルパート」

「おかえりなさい。もうお戻りになられていたんですね。気がつきませんでした」


 弟のルパートだ。ルパート・ヴェルディエ。ノエルの三つ年下だが、彼は兄よりも優秀で聡明な子どもだった。水属性に親和性があり、魔術の腕も正直言って既にノエルよりも上である。母に似た亜麻色のストレートヘア、そして父に似たターコイズブルーの瞳はスッと切れ長だ。今はまだノエルよりも背が低いものの、きっとすぐに追い越されてしまう。

 一体いつからなのだろうか。両親はノエルよりもルパートの方ばかりを構うようになり、いつしかノエルのことをほとんど見なくなっていた。


 そして、ノエルはこの弟に抗いようのない劣等感を抱いている。


「あ、ああ。つい先ほど戻ってきたばかりなんだ」

「ヴィクトール殿下とのお茶会でしたよね。いかがでしたか?」

「……変わりないよ」


 ノエルはチラチラと自室の扉に目を向ける。早くこんな会話を終わらせてしまいたかったのだ。どうしてか両親よりも弟と話す時間の方が長い気がする。しかし、兄弟仲は良好かと問われればノエルは首を傾げざるを得ない。

 ルパートはそんなノエルを見て、小さくため息をついた。


「ノエル兄様、一体何があったというんですか。変わりないようには見えませんが。殿下の面前で何か粗相でもしでかしましたか?」

「何もないよ」


 言葉少なにルパートから目を逸らす。本当にノエルは――おそらく――何もしていない。強いていえば、とんでもない現実を突きつけられただけだ。ただ、夢で見た自分の婚約者といい感じになっていた人物がどうやら実在していて、しかも光魔法が使えて同級生になるというだけである。


 わけがわからない!


 これから一体どうすればいいんだろう、とノエルはそのことでずっと頭を悩ませていた。それこそ、後半からヴィクトールの話が全く耳に入ってこず、無意識で家に帰ってきてしまうほどには悩んでいた。


「……ノエル兄様は変わりましたね。昔はもっと素直だったのに」


 ふいにルパートはそう言った。いつもそうだ。ルパートはいつも、まるで何もかもを見透かしたような瞳でノエルをまっすぐに見据える。

 ノエルはそれがどうしようもなくいやだった。


「子どもだったんだ。昔は考えなしのバカだっただけだよ」

「でもその方がずっとよかった。今のノエル兄様は、自分の力量以上のことを成そうとしているように見えます。しかし、兄様にそんな能力はありません。分不相応な真似をするのはやめた方が良いのではないでしょうか。ノエル兄様はただ――」


 静かな空間に扉が強く閉まる音が響いた。


 それから廊下は再びしんと静まり返る。一人その場に取り残されたルパートは、扉を一瞥したあとため息をついてその場から立ち去っていった。



 ノエルは急いでベッドへと駆けていく。そして、やわらかなマットレスへ飛び込んだ。


「う、うぐぐぅ……」


 あの言葉の先を聞くことができなかった。ルパートはなんと言おうとしたのだろう。「ただ何も考えず大人しくしていればいい」だろうか。それとも「ただヴィクトール殿下に嫌われないようにだけしていればいい」だろうか。


 しかし、ノエルからしたらそんなことは絶対にできない。絶対にしたくなかった。


 ノエルの一番の望みはヴィクトールの幸せだ。そのためにノエルは変わった。ヴィクトールに相応しい婚約者であろうとしてきた。何も考えず昔のようにただのバカのままでいられたらずっと楽だと思う。しかし、それではいざというときに何もできない。

 あの事件の日、ヴィクトールをただ見ていることしかできなかったように。


「僕だってできる。ヴィクトール様を幸せにするんだ……」


 ルパートの言葉はグサグサとノエルの胸に突き刺さっていたが、その痛みは無視した。

 そして再びノエルの頭の中には、あの夢と今日のヴィクトールの話が舞い戻ってくる。光魔法の使い手である編入生。ノエルの見た夢でヴィクトールが親しげに笑いかけていた相手。本当に実在する人物。


「彼とヴィクトール様は……恋、に、落ちる、のかな……」


 あの夢が正しいのだとしたら、おそらくそうなるだろう。ヴィクトールはきっとあの少年――セシルのことを好きになるのだ。


「そ、そんなの絶対に――」


 ノエルの言葉が途切れる。「だめ」だとか「許さない」だとか、そんなことを言う権利はあるのだろうか、と言葉が詰まった。


 確かに自分たちは婚約者だ。しかし、それは幼い頃に大人たちが決めたものでしかない。光魔法の使い手と王族だったから成立しただけの婚約。ノエルはヴィクトールのことを好きだけれど言葉にして伝えたことはないし、ヴィクトールからも好きだと言われたことなんて一度もない。二人の関係は良くて友人――今はそれですらないかもしれない――だった。

 ヴィクトールは別にノエルのことが好きで婚約しているわけじゃない。


 ノエルはヴィクトールの幸せとはなんだろうと考えた。王子として生まれてきた彼は、ありとあらゆる特権を与えられる代わりに自由を奪われる。そう、もし好きな人ができたとしても、それが王家に相応しい存在でなければ結ばれることはできない。

 しかし、セシルは光魔法の使い手だ。王族と婚姻することができる。ヴィクトールはセシルと結ばれることができるのだ。


「僕さえいなければ……」


 問題はノエルだ。既にヴィクトールはノエルと婚約をしている。ヴィクトールのことだから、例えセシルのことを好きになったとしてもノエルに気を遣って自分の気持ちを諦めてしまうかもしれない、とノエルは思った。ヴィクトールはとても律儀で誠実な人間で、自分の気持ちを蔑ろにしてしまうことがままある。


「僕が身を引けばヴィクトール様は幸せになれる……?」


 それはとても辛い選択だ。自らヴィクトールとの未来を手放さなければならないなんて。婚約者でなくなれば、もうヴィクトールと一緒にはいられなくなってしまうだろう。例え今は昔のように良好な関係を築けていなかったとしても、それでもノエルはヴィクトールのそばにいたかったのだ。ノエルはまさに心臓をぎゅっと締め付けられたような気分だった。

 そこでふいに夢で見たヴィクトールの表情と、今日ノエルが出会ったヴィクトールの表情が思い浮かぶ。


 ――ヴィクトールは、ノエルと一緒にいない方が幸せそうに見えた。


 ノエルは小さく息をつく。これはヴィクトールのためなのだと自分に強く言い聞かせた。「ヴィクトールのために身を引く」それがノエルの出した結論だった。


 だが、身を引くと言ってもどのように身を引けばいいのかわからない。そして、とことん悩んだ末にノエルは思いついた。


「僕が悪い人になって、ヴィクトール様の婚約者に相応しくなくなればいいんだ……!」


 物語にはいつだって悪役が存在する。それは主人公たちに立ちはだかる脅威だ。しかし、主人公はそれを乗り越えて成長していくものである。

 ノエルはその悪役になろうと思った!


 ノエルはハッピーエンドの物語を好んでいる。ノエルの触れる物語では、どんなに悪役が邪魔をしようとも最終的に主人公は必ずヒロインと結ばれるものだった。そのため、自分が愛する二人の邪魔をする存在――すなわち悪役になればいいのだと考えた。


 もしノエルが悪役になれば、ヴィクトールはとうとうノエルに愛想を尽かしてなんの躊躇いもなく婚約破棄をすることができるだろう。セシルは光魔法の使い手だから新たな婚約者として申し分ない。それに、ちょっとくらい妨げになるものがあった方が、より恋は熱くなるだろう。少なくともノエルが前に読んだ物語にはそう書いてあった。


「よーし、世界一の悪役になってヴィクトール様を幸せにするぞ!」


 ノエルは一人ベッドの上に立ち上がり、そう声高らかに宣言した。ノエルは「名案だ」とほくそ笑む。脳内ではスタンディングオベーションが巻き起こっていた。


 ――ちなみに、婚約破棄をされたあとのことは何も考えていないし、そもそも悪役として具体的に何をすればいいのかもまだ考えていなかった。


 そう、つまるところこれは見切り発車なのである!

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