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2:徒花令息、お茶会をする

 あの夢を見てから数日後。ノエルは王宮の庭園にあるガゼボにて、ティーセット越しに婚約者のヴィクトールと対面していた。


 これは昔からの習慣である。ヴィクトールは王子として多忙を極めている中、今でも月に一度ほどの頻度でこのように二人の時間を作ってくれているのだ。このお茶会は今のところ、お互いの体調不良以外では一度も中止されたことはない。


 当然のことながらヴィクトールの護衛も近くに待機しているため二人きりとは言えないものの、それでもノエルからしたらこの集まりは喜ばしいことだった。

 例え、これがただ婚約者として周囲への体裁を整えるためのアピールだとしても、信じられないほどに会話が弾まなかったとしても。少しでも二人の時間が過ごせるのなら、ノエルはこのささやかなひと時だって幸福な時間だと思えた。


 まあ、それはそうとして気まずさがないわけではない。二人の間に鎮座する静寂は、まるで旧友かのようにそこに居座っている。


「……」


 そして、あの日見た夢がいつも以上にノエルを寡黙にさせていた。


 ノエルではない別の誰かと親密そうにしているヴィクトールの姿が、ノエルの頭の中に浮かんでは消える。とても長い夢だったと思う。そのせいなのか、詳細はあまり覚えていない。しかし、ヴィクトールが見知らぬ少年に笑いかけていたあのワンシーンだけは、紙に垂らしたインクのようにしっかりとノエルの頭に染みついている。


 所詮、夢は夢だ。ただ夢で見ただけの光景に気持ちを左右されるべきではない。頭の中の冷静な部分ではそうわかっているのに、それでもノエルはそのことについて考えずにはいられなかった。たかが夢、されど夢。だって、あれは夢にしては妙に鮮明だったのだ。

 もしかしたら、あれは天啓なのかもしれないとノエルは思っている。


 ――ヴィクトールには他に相応しい相手がいるから、お前は潔く身を引けという天啓なのではないか、と。



 ノエルは手元のティーカップに落としていた視線を少し上げて、ヴィクトールを覗き見た。

 ヴィクトールは目を伏せながら、静かに紅茶を口にしている。さすが王族とでも言うべきか、細やかな所作のひとつひとつが洗練されていて美しかった。絹糸のような滑らかな白銀の髪がサラサラと風に梳かされる。そして、ノエルの視線に気がついたのか、ヴィクトールは夕焼けを閉じ込めたような茜色の瞳をノエルへと向けた。互いの視線がゆっくりと重なり合う。


「今日はいい天気だね」


 ふいに耳馴染みのいい低音が沈黙を破った。ヴィクトールは手にしていたティーカップを、音も立てずにそっとソーサーへと重ねる。口角は僅かに上げられているものの、それを笑顔と判断していいものか些か判断に迷った。


「……そうですね」


 一体その一言を発するのに何秒かかったのだろう。ノエルはヴィクトールの言葉がそろそろ独り言になりそうかというところで、ようやく返事をした。

 今の今までずっと返答に悩んでいたのである。失礼のないようにと思考を巡らせた挙句、口から出たのは随分とあっさりとした言葉だけだった。


 そして、その表情は相変わらず硬い。まるで陶器製の人形のようだ。美しいかもしれないが、そこから感情を察するのは難しい。

 実際にはノエルはヴィクトールから話しかけてもらえたことで内心とても浮かれているのだが、それを隠すように自身の顔を強ばらせていた。王子の婚約者たるもの無闇矢鱈に感情を表に出してはいけない、というのがノエルの持論である。「僕はヴィクトール様の婚約者だ」と何度も自分に言い聞かせることで平静を保った。


 それからノエルは自分からも何かいい話題を提供するべきかもしれない、と小さく口を開きかけた。しかし、失言をしてしまったり、長々とつまらない話をしてヴィクトールを退屈させてしまうかもしれないと思うと喉がきゅっと締まる。

 自分が何か発言してもどうせうまくいかないことは、この短い人生で既にもうよくわかっている。結局ノエルは真一文字に口を結んで、沈黙を守ることにした。


 たった六音のあまりにも素っ気ない返事だったが、ヴィクトールは了承するように小さく頷いた。それから静寂を誤魔化すように再びティーカップを口元に運ぶ。ノエルもそれを見習って、同じように大して使ってもいない喉を紅茶で潤した。


「……」

「……」


 紅茶はおいしかった!


「……ケーキを食べようか」

「……はい」


 ノエルはヴィクトールに促され、数種類のベリーが乗ったやわらかなスポンジ生地のショートケーキに目を向けた。ノエルは甘いものが好きだ。ケーキはとてもおいしそうで、キラキラと輝いて見える。ノエルにとってそれはまるで宝石のようだった。


 しかし、こうしてヴィクトールと共に食べると思うといつも少し緊張する。ノエルは少し急いでヴィクトールよりも先に食べようと、そのケーキをフォークで口に運んだ。



 ――本当にこれはヴィクトールが食べても安全なものなのだろうか、と不安になりながら。



 + + +



 第一王子であるヴィクトールとの婚約は幼い頃に決められたものだ。ノエルが光魔法を使うことができると発覚した矢先、トントン拍子に――かどうかは知らないが――すぐさまヴィクトールとの婚約が決まった。


 初めての顔合わせの日、ヴィクトールはとても浮かない顔をしていたのをノエルは覚えている。

 その当時まだ五歳だったノエルは、そんなヴィクトールをてっきりただの人見知りで緊張しているだけなのだろうと思っていた。ノエルはあの頃の自分のことを、どうしようもないバカだったと自省する。何もわかっていなかったのだ。

 ヴィクトールの身分も、これからの自分たちの関係性も、何一つわかっていなかった。今になって思う。――きっと、あれは自分の未来を憂いている顔だったのだろう、と。



 ヴィクトールはとても優しい人だった。いつも穏やかで、感情的になったり怒ったりしたところなんて一度も見たことがない。落ち着きがあって、誠実で謙虚だった。

 そんな子どもの頃から大人びていたヴィクトールに比べて、幼い頃のノエルは感情で動く猪突猛進なタイプだった。よく泣いてよく笑い、考えるよりも先に体が動くようなそんな子どもであった。

 例えノエルが何かバカなことを言っても、突拍子のないことをしても、ヴィクトールはいつだって優しく微笑んでくれていた。そんなヴィクトールのことを、ノエルが好きになるのは時間の問題だった。


 幼い頃はよかった。ノエルは婚約者としてよく王宮に遊びに行き、ヴィクトールと手を繋いでは王宮を自分たちの遊び場にしていた。移動は常に駆け足だ。あの頃のノエルは王宮の迷路のような廊下や鮮やかな庭園がおもしろくて仕方がなかった。探検家にでもなった気分だったのだ。

 そして、自分が住んでいる場所だというのに、思いの外ヴィクトールも知らないという場所が多くてそれも楽しかった。二人で同じ気持ちと同じ時間を共有できたことがうれしかったのである。


 ノエルはいつしかヴィクトールのことを「ヴィック」と愛称で呼ぶようにすらなっていた。その頃の二人の仲は決して悪いものではなかったと思う。ノエルはこのままずっと平和で楽しい日々が続いていくのだと信じて疑わなかった。



 しかし、ノエルが十歳になった年のある日、事件は起こった。



 時刻は午後の三時を少し過ぎた頃。二人はゆったりとティータイムを楽しむはずだった。


 その時にお茶菓子の一つとして出されたのがクッキーだ。甘いもの好きのノエルは迷うことなく真っ先にそれを口いっぱいに頬張った。おいしいクッキーだったと思う。とても穏やかな時間を過ごしていた。

 ノエルがクッキーを指さして「木の実の味がする」と指摘するまでは。


 一見するとそれはプレーンのクッキーに見えたが、実際には小さく砕かれた木の実が入っていたのである。しかし、それは本来ならば王宮にあるはずのないものだった。


 ――ヴィクトールは重度の木の実アレルギーを持っていたのだ。


 それからは息つく間もなかった。気がついたときにはノエルたちは、たくさんの怖い表情をした大人たちに囲まれていたのである。

 幸いヴィクトールはまだそのクッキーに手をつけていなかったため、大事には至らなかった。しかし、酷く青ざめた顔で服にシワができるほどに自身の胸元を強く握りしめていた彼の姿は、今でもノエルの目の奥に焼き付いている。


 クッキーを用意したのは長年王宮の厨房で働いていたシェフだった。その人物はヴィクトールがアレルギー持ちだということはもちろんのこと、それを口にしたらどうなるのかということも正確に理解していた。そう、命を落とす可能性があることを知っていたのにも関わらずそれを用意したのだ。


 ヴィクトールのことを、暗殺しようとしていたのである。



 ヴィクトールは王子である故に命を狙われた。

 そのことはノエルに強い衝撃を与えた。しかし、ノエルが更に驚いたのはその暗殺未遂事件から何日か経って、ようやくヴィクトールに会いに行けるようになった日のことだ。


 心配するノエルに対し、ヴィクトールは「大したことじゃないよ」と笑ったのだ。そんなわけがないのに。

 ノエルと同い年で、ヴィクトールだってまだまだ子供だった。他者から己の死を望まれるだなんて、怖かっただろう、辛かっただろう、悲しかっただろう。それなのに、ヴィクトールは笑った。ノエルにはそれがとても大人びて見えたし、何かに雁字搦めに縛られているようにも見えた。


 それからノエルは、やっとヴィクトールが自分とは違う遠い存在なのだと理解した。ヴィクトールは王子なのだ。ほんの少しの弱さすら、誰にも見せられないほどに。



 ノエルは少し大人になった。今まで知らなかったことを知ろうとした。ヴィクトールのために。


 ヴィクトールは王族で、しかも第一王子だ。ノエルにとって王子というのは、想像以上に不自由な存在だった。常に完璧さを求められ、将来だって既に決まったも同然だ。好きな人と結ばれることも許されていない。時にはその命すらも狙われる。彼らの豪奢で煌びやかな生活の裏には、いつだって重責が伴っていた。


 ヴィクトールに相応しい人になりたかった。ノエルは少しでも彼を支えられるような存在になりたかった。いや、ならなければならないと思った。


 二人はヴィクトールが王子でノエルが光魔法を使えるから、というただそれだけの理由で婚約している。ノエルが光魔法を使うことができなかったら、二人は婚約どころか出会うことすらなかったかもしれない。だからこそ、ノエルはせめてヴィクトールに恥じないような完璧な婚約者であろうとした。


 例えこれが周囲に決められた婚約で、そこに愛がなかったとしても。それでもノエルはヴィクトールのことが好きで、彼を少しでも幸せにしたかった。ヴィクトールのことを守りたかったのだ。

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