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「こんばんは、安達君」


 今日は、何度目の深夜散歩だろうか。比較的早めの集合だった。駅前に行くともう夜凪さんがいる。

 夜凪さんはいつもとイメージを変えて、二つに束ねた髪を肩から垂らしていた。


「こんばんは。今日は早いね」

「電車がなくなっちゃうから」


 彼女はミニスカートをはためかせて「いこっか」と、改札に向かう。行先は知らないけれど、僕もいつもの如くついていく。

 電車に乗り込むと遅い時間だからか、席は空いていた。

 席に座ると彼女は持っていたバッグからお菓子を広げる。凄い量だった。


「夜凪さん、それ全部食べるの?」

「変?」

「食べ過ぎ」

「安達君にもあげるよ?」

「それはどうも」


 僕は袋が開いているチョコレートを一口頂く。彼女はと言えば。オレンジジュースを片手に食べ漁っていた。


「見てるだけで胸焼けしそうなんだけど」

「大丈夫、私はしないから」

「ああそう」


 彼女はオレンジジュースを飲み干したのか、また次を取り出す。


「ねえ夜凪さん。トイレ行きたくならない?」

「物凄くなる。それを我慢するのがいいんだよ」

「へえ」

「今、色々想像したでしょ」

「してない」

「嘘つき」


 彼女はにやつきながら僕の口にお菓子を放り込んだ。


「そういえば安達君、藍那さんとは話した?」

「ああ。うん」

「あの人賢いから、それらしいこと言われたんじゃない?」

「そうだな。言われた。夜凪さんは豪胆だとか。言動に気をつけろ、とか」

「うん。概ね正しいね」


 彼女はくすりと微笑んだ。


「そうなの?」

「藍那さんの懸念は正しいよ。私は現状に喜んでるし、確かに色んな人が混ざっている気がする。でも大丈夫だよ。それでいいんだ」


 本当にいいのだろうか、それで。僕にはよくわからなかった。難しい。

 そもそも、人の人格とは、人に影響を受けたり、経験を重ねて成り立つもので。だが、セナは懸念していた。そして、僕にはやっぱりよくわからない。もっと言うと、夜凪さんという人格が、まだよくわかっていないのだ。だから、セナの言うことは、その一歩先にある、気がする。


「安達君はあれこれ考えなくてもいいんだよ」


 彼女は言った。


「安達君は私に付き合ってくれるだけでいいの」

「僕は。君に何か影響を与えているのかな」

「どう思う?」

「聞かないでくれ。自惚れそうだから」

「自惚れてもいいよ」


 彼女は指でちょんと突いてくる。


「僕は夜凪さんに影響受けまくりだけどね。すっかり夜型人間になっちゃったよ」

「楽しい?」

「誠に遺憾ながら。僕の夏休みは、充実してるのかもしれない」

「ならもっと私に感謝して、そして付き合って。私が呼んだらすぐに来て」

「我儘なことで」

「安達君はそういう我儘な女の子好きなんでしょ?」


 この女、過去の話を掘り返してきた。


「そういう夜凪さんはどうなのさ。そのルックスなら、男の一人ぐらいいそうだけど」

「言い寄ってくる男子はいたね。あと女子も。でもいたことないよ。一人も。私はずっと一人だったから」

「そうですか」


 微妙に触れ辛い返しをしてくるな……。


「今、触れ辛いって思った?」

「思った」

「安達君のそういうとこ、好きだよ」

「僕も、夜凪さんほそういう意地悪いとこ、嫌いじゃないよ」


 彼女が笑うものだから、僕も頬が緩んだ。


「そろそろ着くね」


 電車が減速を始める。

 僕と彼女は席を立って、止まる電車から降りて、改札を潜る。

 駅構内から出ると、夜凪さんは行先が決まっているのか僕に何も言わず歩き始めた。いつも思うけれど、僕が黙ってついてくると疑わないこの姿勢。流石だなと感心してしまう。

 何台も通り過ぎる車を横目に、僕は彼女の後姿を眺める。なんだか見慣れてきたその姿。彼女の歩き方の癖がわかってきた。彼女は若干跳ねるように歩くのだ。その度結った髪が揺れて、僕の視線を誘う。


「安達君。見過ぎ」


 振り向く夜凪さんはいじらしい顔をしていた。


「そんなに見てないって」

「嘘」

「それこそ嘘だ。後ろに目がついてるわけでもないんだから」

「別にいいんだけどね。じっくり見てくれても」

「夜凪さんって軽率にそういうこと言うよね」

「わからないかな。誘ってるんだよ?」

「だから。そういうところ」


 彼女は軽く笑ってみせる。


「冗談だよ。安達君って私みたいな子、タイプじゃないみたいだから。揶揄いたくなるの」

「僕がいつタイプじゃないって言った?」

「言われなくてもわかっちゃうんだな。藍那さんみたいなエッチな子、好きなんでしょ?」

「それは……」


 その通りなんだけれども。認めるのもなんだか癪だった。


「わかるよ。藍那さん覗いたから。藍那さんと話す安達君、男の子の目してた。好きなんだね」

「ああ、それは違うよ、夜凪さん」

「違わないでしょ」

「違うんだよ。確かに僕はセナのこと、好ましいと思ってるよ。でもそれは人としてでさ。そういう目では見てないんだ、申し訳ないことに」


 そう。決してそういう関係にはなれない。上手く言葉にできないけれど。セナは友人として大事にしたい気持ちが強すぎるのだ。


「あんなにやらしいことしてるのに?」

「してるのにね。不思議なことで」


 彼女は立ち止まるとくるりと振り返る。


「じゃあ、私は?」


 僕は数舜考えこんで。

 答えが出る前に彼女はまた歩き始めた。


「なんてね。冗談」

「夜凪さん。あんまり男子を揶揄うものじゃないよ」

「安達君は勘違いしなさそうだからさ、ついね」

「なら逆に聞くけど。夜凪さんは僕のことどう思ってる」

「うーん。散歩仲間? かな」

「それはそうだけど」

「お望みの回答じゃなさそうだね」

「別に」


 この話の流れで、雑な返しだなとは思ったけれども。


「私ね、そういうの苦手なんだ。友達とかいたことないから。空気読めないらしくてさ。自分本位なんだよね」

「それは。そうだね」


 短い付き合いの僕でも、それはよくわかる。


「そんな私に安達君は何故か付き合ってくれるから。嬉しくはある、かな。こんなところでどう?」


 彼女はわざわざ聞いてくる。それが僕を満足させる回答か、彼女にはわからないようで。

 でも、そんなのどうでもよかった。


「夜凪さん。僕にはそういう気遣い、いらないよ」

「気を遣ったつもりはないんだけどな」

「なら、これからも自分本位なままでいてほしい。なんでかって言えば。うん。そのほうが僕が楽しいからかな」

「振り回されて楽しいの?」

「不本意なことにね。僕はそういう男らしい」

「そう、変なの」


 そう言う彼女は、顔は見えないけれど。微笑んでいたような気がする。

 そうして暫く歩いていると、ふと、潮の香りがする。

 顔を上げると、観覧車。着いたのは海に面した商業施設だった。夜だからやってないのだけれど。でも、ベンチが置いてあるだけの広場と、面した海と。心落ち着く場所になっていた。

 彼女は走って中に入っていく。僕も小走りでついていった。


「安達君、海だよ」


 振り返る彼女は見るからに高揚していた。


「夜凪さん、海、好きなの?」

「初めて来たから」

「へえ。もしかして生まれはこの辺とは違う?」

「うん。高校から引っ越してきて。だからずっと来たかったの」


 彼女は勢いそのままに靴を脱いで、靴下も脱ぎ散らかして、眩しい素足そのままに海へ足を踏み入れる。


「つめたー。安達君。冷たいよ」

「そう」

「冷たいなあ……」

「ごめん、海って見慣れたものだからさ。そこまでテンション上がらないんだよ」

「そこは私に合わせて。安達君も海に入って」


 そう、不貞腐れられてしまう。


「ええ……、濡れるからなあ……」

「いいから入るの」


 彼女は僕を引っ張って無理やり海に投げ込もうとする。


「待って待って。濡れるから。靴脱がせて」

「早くして、五秒待ってあげる」

「短いな……」


 僕は急いで靴を脱ぎ捨て、パンツの裾を捲る。濡れたくない気持ちを抑えながら恐る恐る足を入れようとすると、夜凪さんに手を引っ張られた。


「はい、入った」

「……冷たい、濡れた、帰りが大変」

「もう、煩い、諦めて」

「はい……」


 全く勝手だ。この子絶対帰りに文句言うだろ。


「せい」


 彼女は足を振り上げて僕に海水をぶちまけてくる。


「ちょっと……!」

「せい」


 さらにもう一発。僕の上着はびしょ濡れだった。


「……夜凪さん、何か言うことは」

「もう一発いっとく?」

「違うよ、ごめんなさいでしょ」

「もう、安達君は細かいんだよ」

「これは細かいとかの話かな」


 そう言う側から、彼女は海水を掬って僕に放とうとする。


「待って夜凪さん、ぼくもう濡れたくない」

「まあまあ、一回濡れたらもう同じだって」

「全然違う……! 頼むからその手を下ろして……!」

「えい」


 彼女は容赦がなかった。放たれた海水は僕の下半身をずぶ濡れにしていた。


「あはは! 安達君びしょびしょ!」

「誰のせいだよ」

「私!」


 そう元気よく白状されると、怒る気にもなれなかった。

 こうなったらわからせるしかないだろうか。そうだな、仕方がないからな。

 僕は静かに足を振り上げて、彼女目がけて蹴り上げた。


「……」


 目の前にはずぶ濡れの夜凪さん。まずい、これは怒られるだろうか。


「あは。私もびしょ濡れだね」


 彼女はあっけらかんとしていた。


「安達君も気分乗ってきた?」

「いや、まあ、うん。そうだね。今のはちょっと楽しかったかも」

「それでいいんだよ。全く、君は面倒な男の子だね」


 彼女は仕返しと言わんばかりに僕に海水をかけまくる。僕ももうどうでもよくなってきていて。彼女に海水をかけて遊んでしまっていた。


「安達君! 楽しいね!」


 はしゃぐ彼女は、なんだか子供みたいで。どうにも、その透けている下着がどうでもいいくらいには、僕まで童心に返っている気がした。


「安達くん、もっと奥まで行かない?」

「危ないって夜凪さん」


 この暗がりだ。僕は彼女の手を引こうとする。だが、駆ける彼女に引っ張られて体勢を崩してしまった。慌てて、彼女もよろける。僕はそれを受け止めて、海に背中から入ってしまった。

 浅瀬に浸かる僕が目を開けると、彼女も僕にもたれかかって倒れていた。僕の視界には滴る髪の夜凪さんと、煌々と光る満月。とても、神秘的。


「夜凪さん、軽いね」

「嬉しいこと言ってくれるじゃん」


 彼女は、はにかむ。その笑顔が、純粋に眩しかった。子供らしくて、どこか、彼女の芯の部分が見え隠れしているようで。

 簡単に言うと、胸を打たれた。


「夜凪さん、綺麗だ」

「安達君どうしちゃったの? 頭打った?」

「言わなきゃ失礼な気がした」

「それはどうも」


 普段なら絶対言わないことを言ってしまった気がする。でも言って後悔もないな。


「ねえ、安達君。キス、しよっか」


 彼女は濡れて乱れた髪を耳にかけて僕にそう囁いてくる。


「何を言い出すのさ」

「駄目?」

「そうだな。……僕、まだ、夜凪さんとのキスはもうちょっととっておきたい」

「前の彼女とはしてないの?」

「どうだったかな。まあ、中学生の可愛いお付き合いってやつだったよ」

「へえ」


 彼女はどこか、憂いているような、不安が見え隠れしていて。顔を近づけてくるけれど。今じゃないと思ったから。僕は彼女の唇をそっと押し返した。


「夜凪さん。僕はもっと、幸せそうな夜凪さんとキスがしたいかな」

「私、今幸せだよ?」

「それは嘘だって。僕にもわかるよ」

「そっか」


 彼女はじっと僕を見つめ、やがて、顔を離してくれた。


「帰ろっか」


 彼女は立ち上がると手を差し出してくれる。僕はそれに掴まって、ずぶ濡れの服の重みを感じながら海から出た。


「帰り大変だな」

「安達君のせいだ」

「せい」


 僕はむかついたから、最後にもっと濡らしてやった。


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