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「眠い」
自室のベッドの上で、そんな独り言。僕は布団をめくって起き上がる。もうとっくに朝日は昇っていた。
昨日、と言うか今日か。夜凪さんと散歩して、帰ってきて。僕は眠れなかった。
一階に降りてリビングに入ると未耶が朝ごはんを準備して待っている。
「おはようございます、兄さん」
「ああ、おはよう」
僕は気の抜けた返事をする。
「寝不足ですか?」
僕が目をこすると未耶は若干不機嫌に詰め寄ってくる。
「兄さん、夜中に帰ってきたでしょう」
てっきり寝てると思ってたのに、バレていた。
「別に。ちょっと友達とな」
「兄さんに友達はいません」
「ばか、一人いるだろ」
「セナさんだったら兄さんは隠しません」
確かに。どう言い訳したものか考え……るまでもないか。僕は座って黙々と朝食を食べ始めた。
「兄さん、黙ってればいいとか思ってます?」
「……」
「なるほど。では失礼します」
未耶は迷いのない手つきで僕のポケットに手を伸ばすとスマホを取り上げる。そしてあろうことかロック画面をいとも容易く開けて見せた。
「待って? 何故パスコードを知っている」
「内緒です」
「プライバシーの侵害です」
僕はスマホを取り返そうとするが未耶は走って逃げ回る。
「なんてことでしょう、兄さんが女性の方とやり取りしてる……!」
「こら。見るんじゃありません」
「嫌です。この楓って誰ですか」
「ちょっとした知り合いだよ」
「夜中に密会する仲でちょっとした知り合い? 嘘はよくないです」
未耶は言うことも聞かずトーク履歴を遡る。
仕方がない。僕は諦めて正直に言うことにした。
「未耶。その人は、あれだ。散歩仲間だ」
「散歩? 兄さんそんな趣味ありましたっけ」
「ない」
「でも散歩仲間ができたと」
未耶は訝しんだ目で僕を見る。暫しスマホと僕を交互に見比べて、一応納得してくれたのかスマホを返してくれた。
「いいでしょう。とりあえずその散歩仲間というのを信じます」
「それはどうも。で、なんで僕のスマホが開けられたんだ?」
「それは内緒です」
いい笑顔ではぐらかされる。……怖いから後で変えておこう。
ひと悶着終えたところで僕も未耶も食卓に着く。手を合わせて二人で食べ始めた。
「兄さん、楓さんとはどんな人ですか?」
「うーん。そうだな。まだよくわからないというのが本音かな。まだ会ったばかりだし」
「それで夜に逢引きとは」
「その逢引きって言い方やめて」
「じゃあやっぱり密会?」
「なんだろう。そっちの方がいかがわしい気がする」
「まあ兄さんに男女の仲を進展させる度胸はないでしょうから。未耶は心配してませんよ? なんだかんだでちょっとやらしいことはしてそうですけど」
「兄さんにそんな予定はないから心配しないでくれ」
「でも兄さん。楓さん可愛いでしょう?」
「どうしてそう思う」
「楓さんの話をしてると兄さん気持ち悪いので」
「まさか。気のせいだろ」
「まあそういうことにしておきましょう」
「それより未耶。今日暇か?」
僕がそう聞くと未耶は顔つきを明るくさせる。
「暇ですとも」
「じゃあ出かけるのはどう?」
「行きます。デートですね、兄さん」
「ああ。……そう?」
調子のいいことで。
未耶はそれから上機嫌で朝食を食べ進める。寝不足だが寝れそうになかったから、今日は妹と夏休みを満喫するとしよう。
*
「おまたせしました、兄さん」
猛暑日の昼下がり。茹だる暑さの中、僕はショッピングモールの前で未耶と待ち合わせていた。
「なあ未耶、わざわざ待ち合わせる意味ってある?」
「あります」
そう言う未耶は真っ白なワンピースにサンダルを履いて。僕よりも随分と小さいその背丈では可愛らしさがこれでもかと強調されていて、自分の妹ながら誇らしかった。
「いいですか兄さん。いくら関係値があったとしてもですよ? デートはデートですから。それなりのときめきは必要なんです」
「ああ。うん。デートじゃないけどね?」
「では兄さん。早速行きましょう」
未耶は僕の話なんか聞かずに僕の手を引いてショッピングモールに入っていく。
中に入って涼しさに浸っていると未耶は迷わず僕をアパレルショップに連れて行く。
店内はレディースの夏服が目白押しで、そしてどれも未耶に似合いそうだと、僕は未耶と服とで視線を交互させる。
「兄さん、まずはどれから着ましょうか」
「そうだな。これとかどうかな」
僕は薄手のカーディガンを手に取ると未耶の身体に合わせる。それから近くにあったタイトスカートも手に取って未耶に渡した。
「こんな感じでどう?」
「いい感じです。じゃあ着てきますね」
未耶を見送って暫く試着室の前で待っていると未耶が出てくる。
「どうですか兄さん」
未耶の着こなしは見事なもので、華やかさが目立って中々良かった。
「流石は僕の妹」
「ありがとうございます。では次のコーデにいきましょう」
それからも僕による未耶の着せ替えが続いた。
シンプルなデニムコーデだったり。短めのスカートで攻めて見たりと。未耶は何を着ても似合ってしまうから楽しくて仕方がない。
「兄さん、この服はどうでしょう」
また未耶が試着室から出てくる。僕の選んだトップスにフレアスカートを合わせていた。
「今日一似合うかも」
「本当ですか? じゃあこれは絶対買います」
未耶は今日着た服をあれこれ吟味し、選りすぐりの服を会計に持っていく。
僕は一仕事終えて店の外で待っていた。
「あれ?」
すると、ふと聞き覚えのある声がする。声のした方を向くと見知った顔がそこにいた。
「律、こんなところで奇遇だね」
髪色によく合うキャスケットと、程良い肉付きに似合うスキニーを履いたセナが胸元で手を振っている。
「セナか。奇遇だな」
「珍しいね。律が外にいるなんて」
「未耶とデート、らしい」
「なるほど。いつものか。未耶ちゃんは?」
「会計中」
「ならデートの邪魔しちゃ悪いし、私は退散するとしようかな」
「そう気にしなくてもいいけどな。未耶もセナに会いたいんじゃない?」
「そうかい? まあ私は映画の時間が迫ってるからどちらにせよ行かなきゃなんだけどね」
「そう。じゃまた」
「うん、また。今度は私のことも着せ替え人形にしてくれよ」
「際どい水着でも着せようか?」
「それもいいかもね」
彼女は手を振って僕から遠ざかっていく。それを見送って、それから時間も経たずに未耶が店内から出てきた。
「お待たせです兄さん」
「未耶、次は水着買いに行こう」
「妹で発情しないでください」
「いや、今セナと会ってな」
「セクハラの延長ですか。兄さんも好きですね」
「でも最高に似合う水着を選ぶ自身はある」
「はいはい。それはまたの機会にということで」
未耶はスマホを取り出すと意気揚々と僕に画面を見せてくる。
「兄さん。次はここに行きましょう」
画面にはいかにもな映えるカフェ。ここのショッピングモールの近くにあるようで、未耶は若干身体が跳ねさせながら僕にあれこれ紹介してくる。
「これとか美味しそうじゃないですか?」
「そうだな。わかったから落ち着きなさい」
そうは言っても確かに画面に映るスイーツの類は美味しそうだった。
「じゃあ行くか」
僕が歩き始めると未耶は隣で僕の手を取る。
「なあ未耶。いい加減いい歳なんだし、これやめないか?」
「嫌です。兄さんはいつまで経っても私の兄さんですから」
「……そうですか」
ちょっと距離が近くて暑いは暑いが、僕の妹は最高の妹だった。
*
カフェについて席に座ると未耶はメニューと睨めっこを続けていた。
店内は白基調の装飾で淡光に包まれている。客層も大人が多く落ち着いていて、いいカフェだった。
「兄さん。悩み過ぎて決まりません……!」
未耶は僕にメニュー見せて力説する。
「いいですか兄さん。このパンケーキとケーキは絶対頼みます。それから小腹が空いているのでサンドイッチもです。あとドリンクはこれとこれ。それからマカロンも食べたいので兄さんは大人しく私が食べるところを見ていてください」
いつもの如く、言い方は悪いが僕は残飯処理係だった。
また太るぞと言いたいところだが、僕の妹は太っても可愛いためなんの問題もないな。
店員を呼び、到底一人で食べるとは思えない注文を済ませると未耶はやってやったと言う顔をしていた。
「なあ未耶、今朝の話なんだけどさ」
僕は未耶に話を切り出す。身近で、忖度なしの意見を述べてくれそうだから、聞いてみる。
「楓さんですか?」
「そう」
「楓さんってこの前言っていた何を考えているかわからない女の子のことですよね」
流石は未耶。なんでもお見通しだった。
「その女の子さ。冷たいのか温かいのかよくわからない人なんだ」
「それは付き合いの浅さから来る疑念かと思いますけど」
「それはそうなんだろうけど」
僕との散歩で楽しそうにしたり、かと思えば今日限りだと思ってたとか、突き放すようなこと言ったり。
「初めの印象と大分違ったっていうか。こんな人だったのかって、ギャップってやつかな」
校舎裏で会ったときは。もっと不思議な雰囲気を纏っていた気がする。……ちょっとアホっぽくもあったけれども。
未耶は数舜考え込んで、結論を口にする。
「そんなものじゃないですか? 人間なんて。いくつもの顔があるから、人間であると。私はそう思いますよ?」
「いくつもの顔か。僕もそうかな」
「はい。少なくともセナさんにセクハラするときの兄さんは別人だと思います」
「それは言わないでくれ」
「兄さんはあれですか? その楓さんに、惹かれちゃってる感じですか?」
「なんだその聞き方」
「いえ、未来の姉候補かと思いまして」
未耶はそう冗談めかすが。気になる、か。
「兄さんは知りたがってるんだと思います。珍しいことに。珍しいから、きっと慣れないのかと」
「確かに。こんなこと初めてかも」
「誰しも裏の顔や隠し事はあるものです。それを知りたいのなら。そうですね。兄さんから寄り添うのはどうでしょう」
「僕から?」
「そうです。きっと、多少は、心が動いてくれるかもしれません」
「きっと、多少は、ね」
「そこは仕方がありませんよ。あれです、特大の秘密を明かしてみるとかどうでしょう」
「僕の秘密って何があると思う?」
「実は法律が許すなら私と結婚したがってるとか?」
「適当言うな」
「私はしたいですけどね」
「なあ未耶、クラスの男子にもそんな調子いいこと言ってないだろうな?」
「こういうのは兄さんだけですよ」
未耶は朗らかに笑ってみせる。
うん、世界一可愛いな。結婚したいかも。
「あ、来ましたよ」
店員が注文の品を運んでくる。
僕の相談の時間はここまでのようで、机に品々が並ぶと未耶はそれを写真に撮りだす。
「兄さん撮って」
僕は未耶にスマホを渡されケーキと一緒に未耶を撮る。我ながらいい画角だった。
それからは未耶があれこれ食べて、食べきれないのは僕が食べて。
一通り食べ終わって店を出る頃には夕方前の時間帯になっていた。
「美味しかったですね」
「僕は口が甘ったるいよ」
帰るにはまだ早いだろうか。中途半端な時間だった。
「未耶。この後どうする?」
「妹的にはまだ帰りたくありません」
「じゃあ。そうだな。映画でも見に行くか」
僕はセナを思い出して映画を提案する。
「いいですね。何見ます?」
「未耶に任せるよ」
映画館はショッピングモールに併設されているため僕らは来た道を戻る。
モール内に入りエレベーターに乗ろうとしたところで、僕は目線が動いた。
降りてくる人の中にセナがいたのだ。
声をかけようとしたところで、僕は違和感に気づく。
キャスケットを被っていない。よく見れば服装も違う。さっき会ったときはスカートなんて履いていなかった。
「セナ?」
僕は改めて声をかける。するとどうだろうか。
彼女は僕を見て、目を見開いた。
お互い黙ったままで見つめ合う。何か言ってくれないかと僕が口を開きかけたところで。彼女は突然走って逃げ出した。
「おい待てって」
何かあったのかと、僕は追いかける。暫く走って追いついて。手を握ろうとしたときだった。
掴めなかったのだ。
まるで透けるように、彼女の手を僕の手が通り抜けた。
あまりのことで、僕は驚いて足を止めてしまう。
僕は自分の手と走り去るセナを交互に見比べる。
「兄さん。どうしたんですか」
後から追いついてきた未耶が心配そうに訪ねてくる。
「今の、セナさんでしたよね?」
「ああ、そのはず、なんだけど……」
訳も分からず、といった感じで。
僕は見えなくなるまで放心して彼女を見送ることしかできなかった。
「兄さん。電話してみてはどうでしょう」
言われて気づく。僕はスマホを取り出して電話をかけると、数コールでセナは電話に出た。
『もしもし? どうしたのさ律。未耶ちゃんとデート中じゃないの?』
僕は事態が呑み込めなかった。明るい声で、まるで、さっきのことがなかったかのような受け答えで。
「いや、セナ。今僕たち会ったよね?」
『え? 何を言ってる律。私、今家でお風呂なんだけど』
「……覗いてもいいかい?」
じゃなくて。
「セナ。今僕たち会ったんだよ。それで、走って逃げられてさ」
『なるほどわかった。未耶ちゃんに振られて傷心中なんでしょう。だからってそんな適当言って私に構ってもらおうとしなくてもさ』
「いや、冗談ではなくて」
『じゃあ本気? 私に双子の妹なんていたっけな』
彼女も適当を言っているわけではないようで。お互いわけもわからず、会話も止まってしまう。
「……まあいいや。セナ、またかけるよ」
『うん。よくわからないけど、私の妹によろしく?』
そう言って通話が切れる。僕は頭が疑問だらけで。セナの亡霊が走り去った道を暫く呆然と眺めていた。




