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夏休みに入ってから一週間。今日僕は夜中に公園に出かけていた。何しに来たって、決まっている。夜凪さんと待ち合わせだ。
ベンチに座って待っていると肩を叩かれる。振り向けば、ジャージの夜凪さんがいた。
「お待たせ」
「やあ夜凪さん。今日はいい天気だね」
「散歩日和ってやつだ」
彼女は僕の隣に座って伸びをする。
「さて。今日はどこ行こっか」
「夜凪さんはいつもどこに行くの?」
「どこでも。適当にふらついて、強いて言うなら知らない場所かな」
「じゃあ僕の知らない場所に連れて行ってよ。僕は今日が初めてだからね」
「なら今日はいっぱい歩かせます」
彼女は勢いよく立ち上がると振り向かずに歩いていく。どうやら散歩はもう始まっているらしい。
改めて、変な感覚だ。見知ったばかりの少女と、こんな夜中に出歩いて。
それにしても高揚感がある。誰もいなくて、やけに風が気持ちよくて。
きっとこれは夜凪さんも持っている感覚。あえて悪いことをしているというのが、そうさせるのだろうか。僕はなんだか軽い足取りで夜凪さんの後ろをついていく。
「ねえ、見過ぎ」
ふと、夜凪さんにそんなことを言われる。どうやら僕が彼女の揺れる後ろ髪を見ていたのがばれていたようで。
「ごめん。揺れてたからつい」
「私髪長いからね」
「やっぱり手入れとか大変だよね」
「まあそれなりに。……触らせないからね?」
「触らないよ。夜凪さんは僕のことどう思ってるのさ」
「私に気がある青少年」
「自意識過剰だ」
「そう? 案外間違ってないと思ってたんだけど」
「間違ってる。僕は普段からあまり人に興味がないらしくてね」
「私はそうは感じないけど」
「僕も不思議でさ。その点夜凪さんは特別かもしれない」
「やっぱり気があるんじゃん」
「だから」
そうじゃないと。言おうとしたが。傍目に見たらそうなのだろうか。
「だから?」
「……なんでもないよ。僕は年頃の男の子だからね。背後には気をつけたほうがいい」
「やだ。襲っちゃう?」
彼女は身体を抱いて警戒してみる。
「そういう反応されると襲いたくなるな」
僕も流れに乗ってみた。
「嘘つき。君にはそんな度胸ない」
「おっしゃる通りで」
「でも一つ、残念なことがあるでしょう?」
「? そう? 特にないけど」
「また嘘ついた。安達君、前に私の足をよく見てた。今日はジャージで残念がってる」
ほう、なるほど。そうきたか。
「それこそ残念だね夜凪さん。僕はジャージでも滾る物がある」
「例えば?」
「そうだね。余った袖とか。ぶかぶかで逆にボディーラインを想像させるところとか」
「へえ。変態さんだ」
「わざわざ言及してくるあたり夜凪さんも変態さんだよ」
恐らくむっつりな彼女はわざわざ振り返ると聞いてくる。
「……そんなにジャージ、いい?」
「いい、けど。何、その聞き方」
「いや。あえてジャージを選んだのにさ。そういう見方されてるって思うと、その……」
……やっぱり、変態さんだった。
「心配しないでくれ。僕がセクハラめいた事する女子は一人しかいないから」
「一人はいるんだ……」
そう、若干引かれる。
「違うよ? 向こうも満更じゃないんだよ?」
「どうだか」
疑わしい目を向けて彼女は振り返ってくる。
「着いたよ」
「着いたって。ここが目的地?」
どう見たってただの道路なのだが。
「わかってないね安達君。ここは深夜には滅多に車が通らない道路なんだよ」
彼女が自慢げな顔を見せてくれる。だが僕の理解は追いつかない。
「つまり?」
「つまりこういうことだよ」
彼女は歩道を外れると車道の真ん中に走っていく。
「ほら、安達君も」
はしゃぐ彼女に釣られるがまま、一歩。僕も走る。
いざ、車道の真ん中に立ってみると。なるほど。これは案外悪くなかった。得も言われぬ解放感がある。僕が気づいたのが夜凪さんにも伝わったのか、夜凪さんは何も言わずに先を歩く。
蒸し暑い夜。月が明るい夜。虫が鳴く夜。僕ら以外、だれもいない夜。普段ならありえない場所を堂々と歩いてしまう、自由な夜。視線の先に彼女がいて、街灯とか、足音だけの静寂とか、なんだか、夜の密かな香りとか。今ここに、ふんわりとした特別感があって。
「どう? いいでしょ」
彼女の問いに僕は頷いた。
「安達君ならわかってくれると思ってたよ」
「……そうだね。今しか味わえない時間で。凄く、いいよ」
「うん。これこそ夜だよ。――安達君、走ろっか」
言うが早いか、彼女は走りだす。僕も慌ててついていく。
「あははは!」
彼女の高笑いが響く。僕も走り続けると何だか楽しくなってしまって。自然と笑顔で走っていた。
走って、彼女は脚が速く僕は置いてかれていて。それでも彼女は立ち止まらない。僕が待ってと声をかけても彼女は速く来いと言うばかりで。
暫く走ると彼女は疲れたのか、息をついて立ち止まる。
「夜凪さん……! 結構足速いね……」
僕は息が切れ切れだった。
「安達君はもうちょっと運動したほうがいいね」
「それは厳しいな。僕は運動嫌いなんだよ」
「こんなに気持ちいいのに」
「それには同意するけどさ」
僕は息が落ち着いていくる。水が欲しいなと思っていたら、夜凪さんが近くの自販機で買ってきてくれていた。
「はいどうぞ」
「ありがとう……。いくらだった?」
「いいよ。これはお礼」
はて、そんなお礼されるようなことしただろうか。
「散歩に付き合ってくれたお礼だよ」
顔に出ていたのか、疑問に答えてくれた。
「そう。なら遠慮なく」
僕は水を受け取ると一気に呷る。
「いやほんと、よかったよ。君が居てくれて」
彼女は月を眺めながらそんなことを言う。
「それならよかったけど。邪魔ではない?」
「そんなことないよ」
僕が落ち着いたのを確認して彼女は歩き出す。
「安達君はさ、友達いる?」
「一人だけ」
「言ってたね。私は一人もいないの。だからさ、初め安達君について来るって言われたときはどうしようか悩んだんだけど。ていうか断ろうと思ってたんだけど」
「断るつもりだったんだ……」
「そう残念がらないでよ。今は一緒で良かったと思ってるから。……安達君って不思議な人だよね。私、考えたんだ、こうやって一緒に歩くの。そしたらさ、案外悪くないかもって思わされた」
「単に夜凪さんが他人を求めていただけなんじゃないかな」
「そうかもね。でも安達君がいい人だったからってことにしとこうよ。そのほうが素敵でしょ?」
素敵、か。いい言い回しだった。
「……うん。そのほうがいい」
「じゃあ安達君、次に行こう」
彼女は意気揚々と歩いていく。
それからも他愛ない話をして。僕は夜凪さんの後をついていく。
次の目的地は案外近かったのか、彼女は細い道に入ると僕に振り返る。
「着いた」
次の目的地は寂れた公園だった。
「公園か。今日の集合場所だった公園とは何か違うの?」
「ここはこのブランコ一つしかないのがポイントなんだよ。どう、このブランコさん」
彼女はブランコを手を広げて紹介してくれる。
「どうって。ただのブランコだなとしか」
「まあそうなんだけど」
彼女はブランコに乗ってこぎ始める。
「ここはね、何もないのがいいの。無駄なものがなくて、考え事にぴったりなの。安達君もそういうときはここにくるといいよ」
「参考にさせてもらう」
「安達君、こっち来て」
招かれるままに近づく。
「二人乗りしよう。私初めてなの」
「わかった。覚悟しなよ?」
僕はブランコの空いた隙間に足を入れると重いっきりこぎ始める。次第に速度は増していき、ふり幅は大きくなっていく。
「わあ! ちょっと待って安達君、これ怖いんだけど!」
「だから覚悟しろって言ったでしょ。まだまだいくよー」
「ちょっ……! 安達君……!」
彼女の静止も聞かず僕はこぎ続ける。
やがてあれこれ煩かった彼女が静かになった頃、僕はこぐのを止めた。
「どうだった? 夜凪さん」
「最高だったよ……!」
「それはよかった」
彼女はそれなりにスリルのある体験をしてくれたのか、顔が若干青かった。
「はあ、安達君、案外意地悪さんだね」
「夜凪さんは案外揶揄い甲斐があるね」
「そういえば安達君、彼女いたことはある?」
また唐突なことを聞いてくる。
「あるけど、どうして?」
「童貞臭くない。それにまあ? 顔もそこそこ。髪がちょっとうざったいかな」
「なるほど。それ、他の男子には言っちゃ駄目だからね」
「言わないよ、ばか」
彼女はブランコを飛び降りるとまた勝手に歩いていくから、僕もついていく。
「待って夜凪さん、次は何処に?」
「今日はもう帰る。満足したから」
「それはよかった。因みに僕は満足してないって言ったらどうする?」
「? 帰るけど」
「そうですか……」
なんだよ、人情に欠けるな。
「じゃ今日はここまでってことで。僕も帰るよ」
「待って」
帰ろうと踵を返したところで、彼女に腕を掴まれる。
「家まで送ってってよ」
「……」
そして我儘なお嬢さんだことで。
「……わかった」
僕はまた歩く。見慣れてきた彼女の後ろ姿はご機嫌、に、見えないこともなかった。
「安達君」
彼女は首だけ振り返って続けた。
「今度から夜に満足できないときはね、私を呼ぶといい」
「呼んでいいの?」
「いいよ。私もね、いつも満足できなくて。でも今日わかった。夜に満ち足りるのって、案外簡単だったんだよ」
「そう?」
僕は甚だ疑問だったけれど。彼女はそうでもなさそうだった。
「そうなの。あれだね、安達君はまだ私に遠慮してるのがよくないね」
「遠慮か。してるつもりはないけど」
「嘘だ。君はまだまだ私と距離がある」
「じゃあ逆に聞くけど。夜凪さんはないの?」
「ないね」
「それはそれで怖いって。僕たちまだ出会ったばかりだけど」
「それはあれだよ。正直安達君とは今日限りだと思ってたから、色々どうでもよくて」
彼女はあっけらかんに言う。ちょっと傷つく。
「酷い言い草だな。夏休みは君に捧げる心づもりだったのに」
「それはごめん」
「じゃあちゃんとこれからも誘って」
「それはもちろん。夜に満足するためにね」
彼女は歩幅を緩めると僕の隣を歩く。
「どうしたの夜凪さん」
「こっちのほうが話しやすいかなって」
隣で、彼女の横顔がよく見える。それはやっぱり、機嫌が良さそうで。透き通る瞳は満ち足りていた。
「ありがとね、安達君」
「突然なにさ」
「私に構ってくれて感謝って話だよ」
そう面と向かって言われると。照れ臭さがある。
「……別にいいよ。僕も暇な夏休みが充実してくれそうだから」
「安達君、そこは素直に受け取ってよ」
「なら。どういたしましてと言っておく」
「それでよし」
彼女は軽くはにかんでくれる。真夏の夜に、涼し気な笑顔だった。
それかも他愛の無い話をして夜道を歩く。歩いて、ちょっと回り道したりして。月を見上げたりして。
そうしてあっという間に、彼女の家に着いていた。
「じゃ、今日はありがとね」
彼女は家の前で僕に手を振る。
「こちらこそ。楽しい一日になった気がする」
「それならよかった」
僕も手を振ると彼女は一言付け加える。
「また夜に」
その一言に、僕も応えた。
「また夜に」




