2-7
太陽が傾いてくる頃。沈黙が流れていた部室で、セナは音を立てて立ち上がる。
「じゃ、帰ろっか」
彼女は忙しなく僕を部室から追い出し、鍵を閉めると僕に鞄を投げつけて。
「私鍵返してくるから。ちゃんと待っていてよ?」
そう言い残していった。
僕は倍になった肩の重みが若干鬱陶しくありつつも、昇降口で彼女を待つ。すると、暫くして呆れた顔の彼女が僕の元まで走ってくる。
「あのさあ……」
彼女は息をついて、僕に何事かと言いたげで。
「なに」
「なにじゃないよ。帰ったかと思ったじゃない」
「いや、待ってたよ?」
「だから。何も言わずにいなくなるなって言ってるの。そういうとこだよ、ほんとに」
「どういうとこさ」
「……もういい。君はどうしようもない奴だったね」
彼女は諦めたのか、靴を履き替えて一歩先に跳ねる。それから振り返って、僕を待っていた。から、僕も帰ることにする。荷物は当然のように僕が持っていた。重い。
それから彼女は僕の手が空いているほうに回ると極自然に手を取って、指を絡める。
「あの」
「いいんだよ律、何も言わなくて」
彼女は僕がその行動に心躍らせている前提でそう言うけれど。
「いやそうじゃなくて」
「え。は? 嬉しくないの」
彼女は力の籠った口調で、僕の指を潰す勢いで手を握り締める。痛い。
僕はその場しのぎで口にする。
「そ、んなことはないよ……」
「だよね」
危なかった。彼女は偶に、そう。初めて会ったときとか。平気な顔で、傷がつくのを厭わないときがあるから。とんでもないことを口走りそうで。ちょっと怖い。
「いやさ。これもふりの一環だから。受け入れてよ」
「それはいいけど。これ意味ある?」
「ある。君はこんないちゃつきにわざわざ立ち入ろうとするかい?」
「さあ」
「そうだね。誰にも立ち入ったことないからわからないよね」
「うん」
「そんなあっさり認めなくても」
「否定するようなことでもないけど」
「……律はそうだよね。簡単に受け入れちゃってる」
「まあ今はそうかな。中学のときは。君も知っての通り。紆余曲折あったわけで」
「いいじゃない。今それでいいなら」
僕らは、人と関わるのにとても疲れてしまうから。適度な諦めが肝心なのだ。僕はそう杠雪菜から学んだ。誰だって理想はあるけれど、それは押しつけるものではない。
セナは。どうだろうか。
「というか、さ」
僕は一つ言いたくて仕方がなかった。
「君の家、反対方向だよね。なに自然に僕の家に向かってるの」
「暇だから」
「ああそう」
暇なら家に突撃してもいいものだろうか。まあ友人ならそんなものだろうか。と、今は彼女だったか。なら、自然か。
僕は今更ながら夜凪さんへの罪悪感が増していた。僕、なにやってるんだろう。ああ、夜凪さんに会いたくなってきた。
「おい」
セナが足で小突いてくる。なんだかご立腹で。
「今、何考えていたのさ」
「今日の夕飯」
「あっそ」
「怒ってる?」
「さあ」
「怒ってるね。わかった、僕が悪かったよ」
「そのとりあえず謝るの頭にくるけど。まあいいよ。今回は」
彼女はそうは言うけれど。大して許してくれてはいなさそうだった。そして、僕は不覚にも。その幼げな顔が可愛く映ってしまっていて。これはあれだろうか、僕はときめいてしまっているのだろうか。この僕が? セナに? ……ありえない。
僕は認め難い現実の腹いせに、そっぽを向く彼女の頬、ではなく。胸ををちょんと突いてみた。
「……律……」
彼女は。見るからにうんざりしていた。
「あ、いや、うん。ごめん」
「謝らなくても。別にしたきゃすればいい」
「そこまでしたかったわけでもないけど」
「なにそれ。触っておいてさ」
また怒らせてしまった。
「全く。ちょっとは私も乙女だって、認識して」
「それはしてるよ。君ほどらしい女の子はいない」
「身体見て言ってる?」
「うん」
「君は本当にしょうがないね」
そうは言いつつ。ちょっと機嫌が直っていた。わかりやすい。表情だけでなく、その行動も、わかりやすい。気づけば彼女は僕の腕にしがみついていた。やっぱり柔い。
僕が堪能していることも、彼女は承知の上で。それがきっと、彼女を充足させていて。どうにも過去に。中学の頃に戻ったようだった。
彼女がそれを望んでいるなら、それでいいのだろうか。……いいのだろうか。
思考に耽ようとすれば、また。修学旅行の夜のように。頭にもやがかかる。それがどうにも不愉快で、僕は推し量るのをやめてしまっていた。彼女が満たされているのなら。それでいいじゃないか。
僕はそうやって現状を甘んじて受け入れて。家に帰るまでセナに甘えて、甘えさせて。思考を放棄してしまえばそれは心地良いことこの上ない時間で。
それは家に帰ってからもそうだった。
まだ誰も帰ってきておらず。部屋にあげたのはいいのだけど。
彼女はベッドに腰かけて完全に気を緩めていて。僕も彼女の隣でまったりしてしまっていた。はたして、と。思わなくもない。僕はこれでいいのだろうかと。
「飲み物」
彼女はそれはもう尊大に言いつけてくる。
「自分で取ってきて」
「一応、私客人なんだけど」
「いやいや。君、いつも勝手に冷蔵庫漁ってるでしょ」
「はあ。つかえない」
「わかったよ」
僕は渋々立ち上がった。
彼女は口うるさいのだ。あれがよかっただの。お菓子はこれがいいだの。だからいつも本人に選ばせているのに。
僕は悩みつつも。今の彼女の気分は、と。わざわざ紅茶を淹れ、クッキーも彼女にとって良さそうなのを選び、部屋へ持って行く。
「遅かったね」
扉を開ければ彼女はベッドで伸びていた。仰向けだと一層強調される。どこがとは言わないけど。
机に紅茶を置くと彼女は起き上がって、
「うん。七十点」
やっぱり偉そうだった。というか子供っぽいのだ。
僕は紅茶に手をつける彼女を横目に隣に腰かける。七十点の割に味わうように飲んでいて。文句の一つでも言いたくなる。
「律。そう気を立てないでよ」
「別に。そうでもないけど」
「わかってないね」
「なにが」
「律が悩んでくれたという事実がそそるんじゃないか」
「……きもい」
彼女は僕の直球さに言葉を失っていた。
「…………まあいいさ。私はそれで充分なのだからね」
「そうですか」
彼女はカップをそっと置くと、ふいに、僕と肩の距離を縮めてくる。それに僕が反応を示さなければ、彼女は調子に乗る。手を絡めて、頭を肩に乗せて。
「君は。どこまでなら許してくれる?」
そう、尋ねてくる。
僕は。どこまでなら、許せるのだろうか。
「これくらならいいでしょ?」
彼女は。どうにも、なんて言ったらいいだろう。色気が増していた。僕を見つめる瞳に艶があって、唇が潤っていて。
彼女は徐にネクタイを緩める。僕に開いたそこを見せつける。
「ご褒美をあげないと」
「なんのさ」
「彼氏してくれる、ご褒美」
彼女は僕をベッドに押し倒した。僕に跨って、上から一つずつ、シャツのボタンを外していく。外し終わって、可憐さも備えた、彼女を後押ししてくれるであろう下着と、触れ心地の良さそうな腹部を露にして。乱れて僕に被さるスカートも、彼女の核心を隠していて、それがやらしくて。
「律。私だってやればできるのさ」
そう、眼鏡を外して放る。そうして彼女は僕に迫る。
のだけど。
彼女は僕と触れる寸前でぴたりと止まってしまった。
よく見れば、というか。よく見なくても。彼女の手は震えていた。それに、瞳孔が開いていた。
彼女はきっと怖くて、わからないのだ。己の胸中が。わかるけど、それに伴う行動を心が受けつけない。だから身体が動いてくれない。僕はそんな彼女の手を握って。それでも震えが収まらなくて。
「セナ」
僕は彼女を腕で身体ごと包んで、受け入れた。迷子な気持ちごと、抱き留めたかった。
「……律、私は。その、できるから」
彼女はなんとか続けたいのか、僕から逃れようとする。
「いいよ。無理しなくて」
「そう言いながら。私の胸を堪能してない?」
「それくらい許してよ」
「……まあ、いいけど」
諦めがついたのか、緩んだ彼女の重みが乗っかる。彼女のしなやかさが伝わる。
「僕はさ。そこまで欲深くはないから。だから、そんなに頑張らなくていい」
彼女は黙っているけれど。頷いてはくれた。
「……なら。約束のご褒美、これでもいい?」
「そうだね。なんでもいいけど。じゃあさ。髪、解いてもいいかい」
「髪って。どうして」
「そんなの見たいからに決まってる」
彼女は僕から身体を起こす。僕は彼女の髪に手を伸ばして、両肩で結ばれたリボンを解いた。
髪が下りて、案外彼女の髪は緩く癖がついていて。その見慣れない姿に。そう、若干のあどけなさが漂っていて。悪くなかった。
「こんなのがいいの?」
「凄くいいよ。可愛い」
僕は彼女の頬に手を伸ばすけれど。
「……照れるからやめろ」
彼女はそれを払って、髪で顔を隠してしまう。その仕草もまた、いいものだった。
ただ。僕としてはちょっと物足りない。
「セナ、ちょっといい?」
「はい」
僕は彼女を腰から下ろして、ベッドに寝かせる。
「もう一個ご褒美が欲しくてさ」
「十分欲深いじゃない……」
呆れる彼女の脚を僕は手に取った。
「なに、踏んでほしいの」
「それもいいけど」
僕はその足に顔を近づける。一日を共にした、くたくたな香り。僕は一呼吸して堪能してから、足に口をつけた。
「ちょっと……⁉」
彼女の唖然とした顔もお構いなしに僕は舌を伸ばす。指の間に這わせて、舐めとる。一段と深い彼女の味がした。
「律……、それ、だめ……」
彼女はそのむず痒さに耐え難いのか、足を離そうとするけれど、僕は決して離さなかった。
それぞれの指の間を丹念に舌を這わせる。
彼女は必死に声を抑えようと、口を覆う。それでも我慢しきれなくて漏れる声が、爪や足裏へと、更に僕を加速させる。
やがて彼女は耐え切れなくなって。
「律!」
彼女は僕の顔面をもう片方の足で蹴飛ばした。
「あ、ごめん」
そんな形ばかりの謝罪も飛んでくる。
「……いや、いいよ」
「そうだよ、私悪くないよ」
「でもご褒美なんでしょ?」
「限度があるよ!」
ご立腹だった。まあいいさ。さっきみたいに怯えるよりは。
僕は痛む顔をさする。涙目の彼女は、言ったらより腹を立てそうだけれど。やっぱり幼げで、可愛らしくて。つい聞いてみる。
「どうだった?」
「あのさ。感想求めないでくれる?」
「いや、聞いてみたくて」
「言いたくないの。わかれ」
彼女は溜め息混じりに乱れた服を直していく。窮屈そうに胸をしまい、ネクタイを直し、放った眼鏡をかけ直したところで。彼女は、僕を馬鹿にするのも含んでいただろうけれど。薄っすら笑っていたから。僕は一安心だった。
僕はベッドに寝転がる。彼女もそれに倣って、僕に寄り添った。
「……、ありがとね」
彼女は僕に背を向けながらそう言ってくる。
「なんのお礼さ」
「いいんだよ、なんでも」
その本心はわからないけれど。彼女は僕の何かが気に入らない、ということもなさそうで。
僕はそれならと。シャツから透ける下着のホックにちょっかいを出していたら、彼女は足裏で小突いてきた。やり返すと、向こうもむきになって。次第にエスカレートして、静かな笑い声が聞こえてくる。
僕も楽しくなってきてしまって。
セナとこういう放課後があっても。まあ、いいのかもしれない。




