2-5
三日目を迎えて、朝。僕はホテルから少し離れたコンビニに足を運んでいた。セナが指定してきたのだ。いちいち手間を取られて、僕はそれが煩わしくありつつも、まあセナが言うなら、と。善意めいた感情も芽生えていた。
コンビニに到着して店内に入るとセナが何やらしゃがんで商品の棚を眺めていた。うん、あれだな。張った太腿が眩しいな。
「お待たせ」
僕が声をかけると彼女は振り返りもせず聞いてくる。
「どっちがいいかな」
どっち、とは。彼女は手に持った飲み物と、目の前のパンとを見比べていた。
「どっちでもいいよ」
「律、その返しはよくない。私は今、カロリーを気にしてどちらか一つに絞ろうとしているわけで。女の子の涙ぐましいその努力に最低限報いるべきじゃないかな」
「じゃあパンはやめておこう。理由は僕の喉が乾いているから。ちょっと頂戴」
「もうちょっとましな理由はないのかい?」
「ない」
というか。彼女は、そう。家庭事情的に、普段からあまり食べていないほうだろうから、カロリーなんて気にする必要あるのだろうか。まあ、あるのか。女の子は大変だ。
彼女が会計を済ませて僕らは店を出る。彼女は買った、何やら甘ったるそうな飲み物にストローを挿すと僕に渡してくる。
僕は受け取って飲んで、後悔した。あんまり美味しくない。
「律、顔に出すぎ」
「だって」
「後で飲む私のこともちょっとは考えて」
そう言って彼女も僕からひったくって一口飲むけれど。やっぱり美味しくはなさそうだった。
「あとあげる」
そう押しつけられても。
「いらない」
「あげる」
「だからいらないって」
「あげる」
「……わかったよ」
僕は渋々受け取った。
今日は自由行動で、昨日の内にセナから行きたい場所は聞いていた。そこに向かうべく、僕たちはバス停に向かっているのだけれど。
「なあセナ。なんでこんな離れたとこ集合なのさ」
「誰にも会いたくないんだよ」
「なんで」
「昨日みたいになるから」
「そう? 自意識過剰じゃない?」
「それがそうでもないんだよね。ひっきりなしにお誘いがくるの。それがもう捌き切れなくて」
「へえ」
「今日はさ。二人きりがよかったから」
そんな台詞に。僕はせき込みかけた。おかしいな。僕がこれくらいで取り乱すなんて。なんだか、セナに揺らされている。
というか。薄々感じていたのだけど。僕、緊張していた。セナといるだけなのに。
「律。夜凪さんとはどう?」
セナは覗くように窺ってくる。
「突然なにさ。どうもこうもないよ」
「そう? 今日はほんとによかったのかい? 一緒じゃなくて」
「あー、うん。いい」
「まさか言ってないとかないよね?」
「昨日言ったよ。凄い目で見られたけど」
「ああそう。まあ私は二人がどうなろうとも知ったことではないからね。精々気をつけることだよ、迂闊な言動には」
「そうは言うけどさ。誘ってきたのそっちだからね?」
「まあね。君の優しさにつけこんじゃった」
セナはそう僕に肩をぶつけてくる。やめてほしいな、そういう迂闊な行動は。僕の心臓が跳ねてしまうじゃないか。
僕はそんな、浮かれていたところだったのだけど。彼女にふと目を向けると、沈んでいた、表情が。
「セナ?」
僕が問うと彼女は聞いてくるのに、
「ねえ。律はさ」
そこで止まる。
「? なに」
「……いや、なんでもない」
それから彼女はからっと表情を変える。
「律は私になんて見向きもしないか」
そう言って彼女は笑って、僕より一歩進んで跳ねた。
*
ここは、この街は。その奥ゆかしい、時代がかった風貌からだろうか。僕を刺激するものがある。例えばそう。今足を運んでいるのは、朱の鳥居群がある大社なのだけれど。それが幾つも並んでいて、風が気持ち柔らかくて、それでいて静けさがあって。
僕の隣を歩く藍那セナが、その朱さと、日差しと。溶けあって華やいで見えた。
「ねえ」
そう問いかけてくる彼女がもう、僕には耐えられそうになくて。
「……律?」
そんな僕を彼女は不思議そうに眺めている。
「…………なに」
「なにって。ラグ凄くないかい? ちゃんと生きてる?」
彼女は茶化すように笑いかける。僕はそれに誤魔化すように応えた。
「いや、ちょっとね。ここ、なかなか良いところだと思って」
「確かにね」
彼女はまじまじと辺りを見回して、僕に視線を戻す。
「今度は夜凪さんと来たいな、とかも思ってる?」
「さあ」
「さあじゃないよ。今隣にいるのは誰? 他の女は厳禁」
そんなことを、調子が良さそうに言う。
「なにさそれ。僕の彼女じゃないんだから」
「それもそうだね」
彼女は軽い足取りで鳥居を潜っていく。僕もそれに続いていたのだけれど。次の一言で一気にそれは失われた。
「じゃあ律。私が彼女だったら?」
そう、無邪気に聞いてくる。
「……そうだな。僕の手は君の身体の隅々まで覚えているだろうね」
「わあ、きもい」
「満更でもない癖にそういうことを言う」
「だって。律ってちゃんとそうなんだなって」
「でも僕は思うよ。きっと君のほうから触らせてくる」
「じゃあ触る?」
彼女は僕の手を取ると疑問形で聞きながら、その行動は大胆で。容赦なく自分に胸に僕の手を埋めさせた。
「……やっぱり柔い」
「それが売りだから」
暫くして、彼女はその手を離すとなんてことなさそうにまた歩き出す。
「律って付き合ったらあんまり優しくなさそう」
「まさか。僕ほど甘い人間はいないよ」
「そうなの? 夜凪さんにはちゃんと愛情持って接してる?」
「それは勿論」
「じゃあ私には?」
「……やらしさ七割かな」
「身体だけの女じゃない」
「でも、ちゃんと思いやりもあるさ。多分、きっと」
「そこはあると言い切ってほしいな。それから、思いやりなんてものは示して、初めて意味を為すんだから」
「なら、セナは僕にどうしてほしい?」
「……。愛してほしい」
彼女はありふれたことのように言う。それから続ける。
「私を散々甘やかして、求めたら求めただけ君の欲を返して、君の一部を私で形成して、生きてる私を刻みたい――」
そう、とろけた眼で僕を追い詰めるように。
「って。言ったらどうする?」
彼女はあっけらかんと言い放った。
とは言われても。僕ができる返事なんて決まっていた。
「……」
友人としてなら。
そう言おうとしたのに。僕は躊躇ってしまっていて。声が出なかった。何も声にならなかった。
「なんてね。律は真面目過ぎるよ。こんな戯言、そこまで真摯に受け止めなくてもいい」
「……僕は基本、誠実でありたいからね」
「それはさ。私が怖いってこと? そんな、他人への壁、私にはいらないよ」
「壁なんて。そんなつもりはなかったんだけどな」
「じゃあ、興味の無さ、なのかな。やっぱり私は身体だけか」
「そこまで卑下することもないんじゃない」
「律は私の身体大好きだもんね」
「そうさ。僕はいつも君のおかげで満ち足りている」
「性欲が?」
「そう言葉にされると一気に妄りになる」
「でも間違ってはいないじゃない」
「僕、もうちょっと君への無遠慮な接触は控えたほうがいいのかな」
「別に? 今更だよ」
そう笑ってくれるから。笑って済ませてしまうから。僕はいつまでたっても欲に駆られるままだった。
趣の中を歩いて、僕らは千本鳥居を抜けた。そこから更に大社を巡って、見つけたのは石だった。なんでも、おもかる石とか言うようで。持ち上げたとき、思っていたより軽ければ願いが叶いやすいのだとか。
僕とセナは見合って。なんとなく試す流れで。僕としてはこういうの信じてはいないのだけど。まあ、やってやったっていい。
まずは僕から。石に手を伸ばすのだけど。肝心の願い事が特になかった。僕は今に満足しているのだろうか。とりあえず、石は軽かったような、そうでもないような。
「どうだった?」
「なんとも言えない。とりあえずセナもやってみたら」
彼女は徐に石に手を伸ばして、持ち上げる。
何を願っているのか。特に顔つきも変わらなくて。読めなかった。
「どう?」
僕が聞くと、彼女は何故か僕をじっと見つめる。
「……なに」
「どうだったと思う?」
「知らないけど。じゃあ、重かった、で」
「君は私の願いが叶ってほしくないの?」
「それは願いの内容にもよるかな。くだらなかったら叶わなくてもいい」
彼女は暫し間を空けて、真顔で、小さく口を開いた。
「私。焦がれたい」
僕も一呼吸、間を置く。
「何に」
「私の欲に」
彼女は至ってそれに一途そうだった。そんなだから、僕は彼女の願いが冗談なのか本気なのか。判別がつかなかった。
「まあこんなことで私の願いを計られてもね」
彼女は石を置いて僕に背中を向ける。
「行こ?」
彼女は顔を振り向かせて、そうはにかむ。僕はそれが眩しくて。ついつい、顔を背けてしまっていた。
そんなときに、ふと。僕は視界に収めていた。
長い銀の髪と、ほっそりとした身体。遠くに見えたけれど、多分。夜凪さんだった。彼女も来ていたのか。
「律?」
僕が立ち止まるものだから、セナが怪訝そうに僕を覗く。
「ああ、いや。多分だけど、夜凪さんがいて」
「なら声かけてきたら?」
「……」
僕はそうすべきなのはわかるのだけど。足が動かないでいた。
僕が見た夜凪さんは、とても。とても、一人で退屈そうで。普段ならそんな彼女に、駆け寄ってしまってもおかしくないのに。というか、そうして彼女を心地良くさせてあげたいはずなのだけど。僕はそうしたいと、思えていなかった。から。迷って。
「……いいよ」
僕は夜凪さんを選ばなかった。
「……律?」
セナが瞳孔を震わせて僕を見つめる。
「どうしたのさ、セナ」
「どうしたのって。だって。いいの?」
彼女はどこか慌てていて。僕はそこまでのことをしているだろうか。
「いいよ」
僕は自分が思っているより、低い声が出ていた。
「……そっか。律がいいなら。いいけど」
セナはそうは言いながらも、持った疑問は拭えていないようだった。
*
今日はどうにも疲れる日だった。原因は明白で。僕がセナ相手に身構えてしまっていたから。大社を後にしてから、彼女のお目当てで。祇園だとか、公園だとか、巡って。そんな中、終始僕は会話に困っていた。一応、いつも通りでいられるよう努めたつもり。だったのだけれど。どうしても緊張感が拭えなくて。
僕は今日一日を終えて、ホテルに帰ってきて一人、反省会を開いてしまっていた。
あの言葉は不自然じゃなかったか、とか。自然に振る舞えていただろうか、とか。あまり表情に出過ぎていなかっただろうか、とか。
いやなんだこれ。僕は思春期の中学生か。
こんな調子でこれからどうしたものか。
そもそも。
僕はどうしてセナ相手にこんなにどぎまぎしないといけないのだろうか。でも、認めたくなくてもそれは事実なわけで。
僕は。僕は彼女に特別めいた何かを抱えているのか。
それを確かめようと、思考に耽ろうとする。僕はいつだって一人だったから、こういうのは慣れたこと、だったはずなのに。何故か彼女を思い浮かべると、その思考がもやがかかったみたいにとぎれてしまって。何度試しても僕はそれについて考えることをやめさせられてしまっていて。
僕は気づけば普段冴えているはずの思考が鈍り、口が半開きだった。これじゃあまるで、僕が、この僕が馬鹿になってしまったみたいじゃないか。
それでも、僕の頭はもやがかかったまま。全くそれらしい切れが戻らなくて。
段々と、僕のらしさが奪われていくみたいで、苛立ちが募っていたら。
スマホに一通のメッセージ。半ばひったくるようにスマホを掴む。確認すると、それは絶賛、今僕を悩ませている張本人からだった。
『今そっちいっていい?』
なんて。送られてしまっていて。僕は了承するしかなかった。断るのは悪い気がしていた。
胸の高鳴りと、悶々と。彼女を待つ。
五分、十分と待っていたら、部屋の扉がノックされた。
扉を開けると、彼女は安心したように顔を見上げる。
「お待たせ」
そこにいたのはとてもラフな恰好をしたセナだった。ショートパンツから覗く腿と、ちらと見せつけてくる肩ひもが大変、目に毒でして。
僕はひとまず彼女を部屋に入れる。こんな彼女、誰にも見られたくなかったから。
彼女はどこかそわついた様子でベッドに腰をかける。僕も隣に腰を下ろした。
「ごめんね、急にお邪魔しちゃって」
彼女はそう僕の顔を向ける。上気した頬と、ほのかな香り。風呂上がりなのだろうか。僕は心臓の鼓動を鮮明に感じ取っていた。
「いいけど。どうしたのさ」
「いや、ちょっと。話があって」
彼女は据わりが悪そうにして、下ろしている髪を指先で弄る。そうして意を決したように、僕に顔を寄せた。
「ねえ律。私のこと、さ……」
そこまで言って彼女は黙ってしまう。僕も彼女が何が聞きたいのか全く見当がつかなくて。ただ見つめ合う時間が過ぎる。
それが僕には堪らなくて。つい目を逸らしてしまった。
「律……?」
そんな僕が、彼女にはどう映ったのか。少なくとも好意的には見えていなかったようで。彼女は浅い呼吸をして、目を見開いていた。
「ねえ律、もしかして」
彼女は勢いに任せるまま僕の腕を取る。そのまま自分の足に僕の手を這わせた。それでも飽き足らず、彼女は手を僕の頬に伸ばし、添える。
それに僕は声すら出なかった。あまりに突然で、魅惑的で。彼女の指の、とろけるような、腿の感触が鮮明で。
僕は彼女に魅入られていた。
「……セ、ナ……」
身体が動かなくて、目が離せなくて。
そしたらどうだろう。彼女は目を伏せた。
「ねえ律。やっぱり、君もなのかい……?」
彼女は浮かない顔だった。僕はそんな彼女をどうにかしたくて、震える手で彼女が添えてくれている手を取る。
「……セナ。何がそんなに。そんなに、面白くないんだい?」
「何がって。だって君だけは……」
彼女は懇願するように僕に語りかける。それから僕の手から逃れて、縋るように胸の前で自分の手を握る。僕はそれを見逃したくなくて。それでもかける言葉がなくて。
静寂が流れる。彼女の呼吸だけがよく聞こえる。
暫くして、彼女は顔をあげて。なんだろう。悲壮そうだったのだけれど。
ある瞬間から、彼女ははっとしていた。
「そっか」
彼女は呟く。呟いて、人が変わったように僕ににじり寄った。
「律」
彼女はベッドの上で這って、着ているシャツからその胸を覗かせる。撫でるように、僕の足にその手を這わせる。
そうして、潤んだ瞳で。言うんだ。
「私の、彼氏にならない?」




