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 僕はまた、ふざけた時間に生きる生活を始めた。毎晩、彼女の病室に忍び込む。毎晩、違う少女が昼間の活動を終えて、病室に訪れる。僕はその度、知らない人に「こんばんは」とだけ挨拶して、彼女を起こしてもらう。それの繰り返し。

 患者衣のままでは外をうろつけないので、毎晩僕の服を持って行く。正直、彼女を着せ替えてるみたいでちょっと楽しかったし、僕の服を着てくれているのは、なんだか受け入れられてるみたいで。僕の中の、何か欲が満たされていた気がする。それは彼女にも伝わっていたのか、


「お兄さん、私のこと好きすぎない?」


 と、若干呆れられていた。まあ、それはそれで、いいものだった。

 そうして着替えて、毎晩散歩に出かけた。

 行先は、あまり拘らなかったのだけれど。僕は無意識なのか、彼女と、夜凪さんとの思い出をなぞってしまっていた。例えばそう。彼女と歩いた夜道は今日も変わらず静かだった。


「お兄さん、歩いてるだけでつまんない」


 彼女はそうぼやく。


「なら何処か、まあ、こんな時間じゃファミレスくらいかな。寄ってこうか」

「お兄さんの奢りだよね?」

「まあいいけどさ」


 彼女は楽しみができたのか、僕の後ろで、まさかだったのだけれど。跳ねるように、前の彼女みたいに歩く。それがどうにも、僕は落ち着かなかった。


「ねえ、それ」


 わざとかと。聞こうとして、けれど。そんなわけなかった。


「なんでもない」

「えー? なになに」

「いいから。それよりさ。夜凪さんが行きたいとこ、ないの?」

「んーっと。よくわかんない。私ってどうしたいのかな」

「それもそっか。じゃあ、やっぱり僕は君を散歩に連れてくことしかできないよ」

「お兄さんってもしかしてつまんない人?」

「そう直接言われると効くな……。まあでも、合ってるよ。僕は自分でもつまらない人間だと思う」

「へえ。よく私、お兄さんのこと好きになったね」

「そこはほら、人には相性ってものがあるだろ?」

「お兄さん、自分で相性良かったとか言っちゃう感じ?」

「悪くはなかったと自負している。だって楽しかったからね」

「……じゃあやっぱり、私とは楽しくないのかな」


 彼女はしれっとそういうことを聞いてくる。何処に地雷が埋まってるかわかったものじゃなかった。


「それはまだわからないよ。これから次第、じゃないかな」

「なんか言い訳くさい。正直に言いなよ」

「正直だよ、僕は。そんな早々に決めつけられるものじゃないさ」

「じゃあ、私とちゅーできる?」

「極端だな……。まあできなくはないよ」

「ふーん」


 彼女は何を思うのか。まあ、悪い気は起きてはなさそうだった。

 暫く歩いて、ファミレスに着くと、彼女はメニューを物珍しそうに眺めていた。彼女はさんざん悩んで、ハンバーグと、デザートにパフェを頼んでいた。よく食べるな、僕の財布が痛む。

 彼女は食事が届くと、一口頬張る。今日一幸せそうだった。僕はそこまでお腹が減っていなかったから、頼んでおいたポテトをつまみながら彼女を観察する。

 飲み物がなくなったから、僕は席を立った。ついでに彼女のコップも手に取る。


「何がいい?」

「じゃあオレンジジュースで」


 僕はつい、身体が止まってしまった。


「? どしたの?」

「……いや、なんでもない」


 そんなことあるだろうか。いや、偶然だろう。

 僕は飲み物を汲んで席に戻る。夜凪さんは丁度運ばれてきたパフェに心が躍っているようだった。彼女に飲み物を渡して僕はパフェに夢中な彼女を眺めていた。


「美味しい?」

「うん。毎日食べに来ない?」

「僕を困らせる為に言ってる?」

「甲斐性なし」

「学生に無理言わないでくれ」


 彼女はパフェをスプーンに取るとそれを僕に差し向けてくる。


「お兄さんにもお裾分け」


 差し出されるまま食べる。うん、甘かったし、食べさせられるのは悪くないな。


「美味い」

「お兄さんってつまんないけど、なんだろ。面白くはないんだけどさ」

「そんなに否定しなくてもよくない?」

「違うの。褒めてるんだよ」


 どの辺が?

 僕には皆目見当もつかないが、彼女は言葉を捻り出そうとしていた。


「まあ、なんだろ。悪い人じゃないかな」

「それはどうも」

「だからさ、もっと全力出してもいいよ?」

「全力って。僕はどうすればいいんだ」

「えっとさ、もっと男の部分をさ、こう、出してよ」

「そうは言われても。出せと言われて出るものでもないしなあ……」

「なんだ、つまんないの」


 彼女はそれから、パフェを黙々と食べていた。

 

 そんな日もあったし、また違う日も、僕たちは散歩に出かけていた。例えばそう。道すがら、彼女とコンビニに寄ったときのことだ。


「ねえお兄さん。感想教えてよ」


 彼女は僕に奢らせたアイスを片手に聞いてくる。


「感想って?」

「私とした感想」

「……ちょっと下品だから黙ろうか」

「ねえいいじゃんちょっとくらいさ」

「やだよ。言うもんじゃないし」

「けち」


 僕はお茶のペットボトルを片手に、若干動揺していた。とんでもないこと聞いてくるな……。


「もっとさ、他に聞きたいことあるんじゃないの?」

「例えば?」

「例えば。うーんと、僕たちの出会いとか」

「それよりは感想が聞きたいかな」

「じゃあもう一回してみる?」

「それはいい」


 あっさり断られてしまった。まあそれもそうか。

 彼女は壁に寄り掛かってしゃがみこんでいたのだけれど。その姿もまた、僕は見たことあったような気がして。僕はつい目を逸らしていた。


「夜凪さん、僕はこれからも君を、さ。夜中に連れ出して、こう、散歩に連れて行くことしかできないんだけど。君はどうしたい? 僕と、どうしたい? 何か、要望があったりする?」


 その質問は少し踏み込んだものだった。僕が避けていたこと。今の夜凪さんには何もないから、聞くのも憚られていた。けれど。僕にだけ合わせてもらうのも、なんだかな。


「私は。……うん、そうだね。特にないんだけど。あ、でも」


 彼女は一度息を吸った。


「前の私とは行かなかったところとか、連れてってよ。て、言ったら困っちゃうかな?」

「……その。夜凪さん的にはやっぱり、前の記憶とは、距離を置きたいのかな」

「うーん。なんていうかさ、私は何だっていいんだけど」


 彼女は僕をじっと見つめる。その瞳は、静かに揺れていた。


「君が、寂しそうだから」

「……そうかな」


 彼女はそれには応えてくれない。僕も、これ以上何もいう気はなかった。

 黙ったまま、しんとした時間が流れる。偶に車が通って、それをなんとなく目で追って。

 ふと、彼女が立ち上がる。それから、いきなり僕のポケットを弄ったと思ったら、財布を取ってそのままコンビニまで入っていってしまった。

 僕が呆気に取られていると、彼女はものの数分で戻ってくる。


「はい」


 彼女は袋からアイスを取りだすと、それを二つに分けて片方僕に渡した。それで彼女は満足したのか、また座り込んでもう片割れのアイスに口をつけ始めた。

 何がしたいのか全くわからないのだけれど。とりあえず僕もアイスを食べ始めた。


「美味しい?」


 彼女は聞いてくる。


「え? うん」

「ならいい」


 彼女はほんのりと、笑っていた。

 これは、あれだろうか。彼女なりに、僕を励まそうという試みだろうか。あまりに雑で不器用で。僕は噴き出してしまった。


「なに?」

「いや、なんでもない」

「嘘だ。今私のこと笑ったでしょ」

「まさか」

「段々わかってきたよ。誤魔化してるのとか、内心馬鹿にしてるのとか」

「じゃあ認める。誤魔化したし、ちょっと馬鹿にした」

「ほら、他人の好意を素直に受け取りなよ。そんなんだから友達いないんじゃない?」

「一人いるからいいんだよ」

「懐が狭いね」

「それはまあ、そうかな。僕は小さい人間だよ」

「自分で言うな」


 彼女は僕の足を小突いてくる。


「ねえ、お兄さん」

「なんだい」

「キス、してみよっか」


 そんな真顔で言い放つ彼女の申し出は、なんだか彼女みたいで、懐かしくて。


「夜凪さん、冗談は程々に」


 僕は軽くあしらった。その発言は一度体験済みだから、あんまり衝撃らしいものがない。あの海の夜と同じようなことを言うのには多少、驚いたけれど。


「冗談じゃないって言ったら?」

「尚更程々にしてほしいよ。僕はそこまで軽い男に見えるかい?」

「見える」

「……もうちょっと遠慮してよ」

「だって。私としては? キスの一つくらいしてみれば何か変わるのかなって」

「夜凪さんは不満が募ってるの?」

「……別に」


 彼女はそれ以上何も言わない。まあ、不満の一つや二つや三つ。あるだろう。不満と言うか、不安か。でも、だからって。その解決策は安直が過ぎる。


「私、何もないの」


 彼女のその言葉は、僕には重たかった。し、僕から言えることなんて何もなかった。

 結局、その日はそれきり会話らしい会話もなく、夜が終わった。

 

 そんな日もあって。

 また僕たちは散歩に出かけていた。例えばそう。車一つない道路の真ん中を、ひたすら二人で歩いていた。


「ねえねえねえ、お兄さんっていつもこんな時間に出かけて、家族に心配されないの?」

「されてる、のかな。両親は知らないけど、妹にはよく心配かけてるよ」

「シスコンお兄さんは私の親には会ったの?」

「ああ、うん。一回、お母さんには会った」

「そっか。私、昼間は起きてないからさ。誰か来ててもわかんないんだよね。お兄さんは前から知ってたんでしょ? 私が昼間別人になってるのは」

「そうだね。夜凪さんは、どう? 他人の記憶が介在するっていうのは」

「えー? どうだろ。特に何も。眠りながら記憶の追体験? をして。ただそこにあるなーってだけで。あ、でも」


 彼女は走って僕を追い越すと、僕の前で振り返る。


「私、一個行きたい場所ができたよ」 


 何もない彼女から、何かが生まれた瞬間だった。


「へえ」

「んっとね、学校に行ってみたい」

「……へえ」


 あの夜凪さんが、学校に行ってみたい、か。なんと皮肉が効いたことだろうか。


「あれ、あんまりお兄さんは行きたくない感じ?」

「いや、僕はいいんだけどさ」


 君はいいのかい? と、聞いたところで。意味はないか。


「じゃあ、明日は学校へ行こうか」

「うん」


 彼女はそう微笑む。楽しみなのか、後ろに組んだ腕が揺れていた。


「でも、どうして学校?」

「なんかね、今日の夢、今日の私が行ってて。楽しそうだったから」

「そっか。でも夜中に行っても何もないし、誰もいないけど」

「君がいるじゃん」


 僕はつい、そんなことを言われて言葉に詰まってしまった。これは、単純に嬉しいのだろうか。


「……僕がいても大して変わらないだろうけどね」

「そう? 少なくとも、退屈はしないんじゃないかな」

「何言ってんのさ。いつも君はつまんないって言うじゃない」

「最近はそうでもないよ? お兄さんの扱い方がわかってきたから」

「例えば?」

「えい」


 彼女は後ろから僕を軽く小突く。それから、両手で突き飛ばしてくる。


「何するのさ」

「そしてこう!」


 彼女は僕の腕を掴むとぐるぐると周り、僕を振り回す。彼女の腕力では一回転そこそこが限界だったのだけれど、彼女はそれでも楽しそうだった。


「お兄さん、可愛い子に振り回されるの好きでしょ」

「だからって物理的に振り回さないでくれ。後、可愛いのは認めるけど、認めるけど。自分で言う?」

「だって、自覚してる子はもっと可愛いからね」


 なんて不遜な態度だろうか。


「お兄さんって弄れば弄るほど味が出るよね」

「そうかい? でも疲れるから程々にしてくれ」

「やだ」


 いい笑顔でそう言い切られると、僕も抗う気がなくなってしまうな。

 彼女は空を見上げると、ふと僕に尋ねてくる。


「ねえお兄さん」

「はいなんでしょう」

「お兄さんは私のどこが好きだったの?」

「…………」

「黙秘はなしで」

「……」

「もう」


 彼女はしょうがなさそうに僕の背中を叩く。


「だって、そう聞かれてもさ。好きなところね……」


 僕は考えてはみたのだけれども。


「ぱっと思い浮かばないかな」

「はあー? それはなしだよ、前の私が可哀想、乙女的にノー」

「そうは言われてもさ。まあ、顔は好きだよ」

「体つきも好きだよね?」

「うん。細身の脚とかね」

「わあえっち」

「聞いてくる君も大概だよ」

「他には? 私ってどんな子だったの?」

「それは……」


 言ってしまって、いいのだろうか。それは彼女にどんな影響を与えるだろうか。僕は迷って、


「……魅力的な子だったよ」


 はぐらかした。


「どの辺が魅力的だったか聞いてるんだけど?」

「内緒。何故なら言いたくないから」

「なにそれ。味気ないね」


 彼女はそれ以上追及してこなくて、僕は内心ほっとしていた。


「ねえお兄さん、なんか面白い話して?」

「夜凪さん、それ僕以外には絶対言っちゃ駄目だよ?」

「こんな無茶ぶり君にしかしません」

「それならいいけど」

「で、面白い話は?」

「そうだな。これは僕が昔、彼女と別れたときのことなんだけど」

「え?」


 夜凪さんは心底信じられないといった声を出す。


「お兄さん彼女いたの……? 私以外に……?」

「そっか、言ってなかったっけ。いたよ、雪菜って言うんだけどさ」

「待って、お兄さん童貞じゃなかったの? 私とが初めてじゃないの?」

「それは、あー。夜凪さんが初めてだったけど」

「へえ……。え? じゃあお兄さん、キスは? 手繋いだりはした?」

「どうだったかな」

「へえ……」

「なに」

「別に」


 彼女はなんとも、不満げだった。女の子はこういうところがある。まあ、それが可愛さでもあるから、僕から文句は言わないけれど。


「前の私はそれ、知ってるんだよね?」

「まあ、言ったけど」

「そっか。お兄さん、やっぱキスしよっか」

「だからしないって」

「駄目、なんか上書きしないと気が済まない」

「だから、そういうのはそう気軽にすることじゃなくてさ」

「いいじゃん、前の私はしたんでしょ? だったら一緒だよ。一度も二度も変わんないって」

「変わるから、大分と変るから」

「いいじゃん!」

「だからよくないって」


 それから、押し問答が続く。彼女はどうしても僕に迫りたいらしく、退くことを知らなかった。僕に掴みかかって、いいから手を退けろとか、黙って目を閉じろとか、散々だった。


「夜凪さん、一回落ち着こ、ね?」

「……」


 彼女は僕に腕を掴まれたまま黙って睨みつけてくる。怖いって。


「夜凪さん、どうしたのさ」


 僕は尋ねる。彼女は言った。


「……何か、私にもほしいの」


 そんなことを、いじけたように言われて。僕も思うところはあった。何もない彼女に、何か。何か、今を生きてる印があれば。そういうことなんだろう。

 それでも、だからって。そんな軽々しくしていいとも思えない。僕は長考の末、ほんの少し、触れた。

 彼女の髪に触れて、頭をなぞった。


「……何それ」


 彼女は戸惑っていた。けれども、僕は続ける。彼女の和らぐ髪を梳かしていく。


「夜凪さん、今はこれで我慢して」

「我慢って。私は別に……。まあ、いいけどさ、これでも」


 彼女はすんなりと受け入れてくれていた。だから僕も遠慮なく続ける。やがて彼女は僕の手に手を重ねて、「もっと強く」と要求してくる。

 そうして続けていると、やがて満足したのか彼女は張り詰めた面影を薄くしていた。


「そろそろやめて」

「はい」


 僕が手を退けると彼女はそっと微笑んだ。気が済んだなら、なによりだ。


「で? お兄さんの面白い話って?」

「ああ。えっと、やっぱり妹のほうが大事だって告げたら真顔で言ったら膝蹴り食らったって話」

「とんでもない彼女だね」

「うん。大変だった」

「その割には良い思い出っぽいけど?」

「まあ、悪い時間ではなかったよ」

「じゃあ、前の私とはどうだった?」

「……それは内緒」

「やっぱりけちだ」


 そう言って、僕と夜凪さんはまた歩き始める。

 今日の散歩もまた、緩やかなものだった。


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