19
インスタに雪菜と撮った写真を定期的に乗せて、匂わせて。今日で三日目。雪菜の勘には目を見張るものがあった。ちゃんと三日で、夜凪さんから連絡があったのだ。それも、かなりぶっきらぼうなやつが。
チャットの文面には、『君は本当にどうしようもないね』と。若干の怒りを滲ませていた。
僕はどうしたものかと。自分から始めたはいいものの。悩んでいた。雪菜に言われて気づいてしまったから。
夜凪さんが僕との関係を終わらせたかったのなら、そうするべきなのではないかと。ただ、僕はそうは言いながらも、返信を始めていた。つまりは、未練がましく。
すると、夜凪さんから着信がある。出ようとしたら、すぐに切れた。そして追加でメッセージ。
『言いたいことはいっぱいあるんだけど』
『迎えに来て』
その一言で、僕は胸の内が舞い上がってしまっていた。
彼女の意思を無視してでも、やっぱり僕は彼女に会いたかった。それは自分勝手だろうか。思いやりに欠けるだろうか。それでも、僕は止まらなかった。
心躍らせながら支度を手早く終えて、僕は出かける。時間は深夜二時。
いつもの道のりだった。いつもより明るく見える道のりだった。
この角を曲がれば彼女の家で。僕は顔を覗かせた。
彼女がいた。退屈そうに、髪を靡かせていた。
「夜凪さん」
声をかけて駆け寄る。そして僕はその瞬間、とんでもない衝撃に襲われた。
まあ、簡単に言うと。夜凪さんに思いっ切り平手打ちをかまされた。
「……夜凪さん?」
「一発で許してあげる。感謝して」
「はい……、ごめんなさい……」
まさか。まさか匂わせがここまで効くとは。言いぶりからして、雪菜はここまで見越していたんだろうなあ……。
夜凪さんはそれから何も言わず歩き出す。僕もついていくのだけど、頬の痛みにばかり意識が向いてしまう。
「あの、夜凪さん」
「安達君とは話したくない」
「言いたいことあるって言ってなかった?」
「……死ね」
「ふっ、夜凪さん……」
雪菜みたいな幼稚なことを言い出すから、思わず笑ってしまった。それがまたお気に召さなかったのか、夜凪さんの歩幅が大きくなる。
「待ってよ。笑ったことは謝るから」
「それより先に謝ることがあるでしょ」
「うん。本当にごめん。夜凪さんがいながら、あんなことして」
「それもだけどさ。……ああもう」
彼女は勢いよく止まって振り返る。
「なんでわざわざ私と行ったとこばっかであんな写真撮るかな。てかそもそもあの女誰⁉」
夜凪さんがヒステリック気味だ。
「えっと、元カノ」
もう一発頬に貰った。
「一発で許すんじゃなかった……?」
「うるさい。安達君サイテー」
「それは認めるけど。――でも後悔はしていない。もう一度夜凪さんと会えたから」
「……あほ」
ほんのちょっとだけ。彼女の機嫌がよくなったようだった。
彼女は明確な目的地がないのか、色んな道をふらふらと。でも、散歩にしては足早で。ただ逃げているようだった。誰からって、それはまあ、僕からだろう。
このままでは埒が明かなかった。僕は今やったら怒られそうだけれど、彼女の腕を掴む。
「離して」
「ごめん夜凪さん、でも」
「離して!」
手が振り解かれる。
「私君のこともう大っ嫌いだから! 構わないで!」
「夜凪さん、落ち着いて」
「黙って! 私なんて放っておいて、元カノと楽しくやってればいいじゃない!」
「夜凪さん」
「うるさい!」
「夜凪さん!」
僕は彼女があんまりにも話を聞かないから、つい抱き寄せてしまった。これ以外、今の彼女の捕まえ方がわからなかった。
彼女は肩を震わせる。
「なに? こんなんじゃ許さないから。私がどんな気持ちで君とお別れしたのか知らない癖に。調子いいんだよ。バカ」
「ごめん。でも僕にはわからないから。君がどうして僕から離れようとしたのか。だから、ちゃんと話をしよう」
彼女は僕の腰に腕を回す。そしてか細い声を出した。
「……おんぶ」
「え?」
「おんぶ。君の家まで連れてって」
「わかった」
僕は彼女を背負って、家まで帰った。
*
夜凪さんを部屋まで連れてきたのはいいのだけれども。彼女は隅っこで縮こまるばかりで何一つ、一言も話してはくれなかった。静寂が流れるばかりで、ちょっかいを出すには。まあ、そういう雰囲気でもないし。どうしたものだろうか。
僕としては、聞きたいことがあるのだけれど。
どうして、僕と距離を取りたかったのかもわからないし。
言い方からして、態度からして、多分、僕が自惚れていなければ。彼女も僕と同じ気持ちを抱いているだろうし。
怒っているなら、尚更話も聞いてほしいし。
僕が手を伸ばそうか、口を開こうかまごついていたら。彼女は突然奇行に走った。
膝立ちで僕のベッドまで歩いたと思ったら、頭ごと布団の中に突っ込んでいく。そして呪文のように独り言をぶつぶつと呟き始めた。
これは……。若干ドン引きだけれども。僕はどうするのが正解だろうか。
「夜凪さん……?」
彼女は布団から顔を出した。
「安達君。ぶってごめんね?」
「ああ、うん。それはいいよ。僕が悪いし」
「ううん。私が悪いの。いきなり距離置いて。不安にさせたよね」
彼女は虚ろな目をしていたけれど。幾分か落ち着いたのか、話はしてくれそうだった。
「あのさ、夜凪さん。不安には確かになったけど。君が理由もなくそういうことしないってものをよくわかってるから」
「うん」
「だから、何かあるならちゃんと話してほしい」
彼女はびくともしなかった。まるで人形のように冷め切ってきて。そんな夜凪さんから僕に向かったのは、言葉ではなかった。
彼女は徐に僕に近寄ると、首の後ろに手を回す。僕の膝に跨って、身体を摺り寄せる。
「夜凪さん?」
彼女は何も言ってくれない。何か話す気は。なさそうだった。こうすれば、僕が黙るとでも思っているのだろうか。
彼女の香りがする。今までより一層、強く香って。僕の心臓は跳ねる。
でも、彼女の抱き留め方は、女の子だけれども、紳士的で、軟らかくて、熱が伝わって。きっと、僕が自惚れていないことはよくわかった。それだけ、彼女の気持ちが伝わった。
「夜凪さん。改めてさ、ごめん」
彼女は軽く頷く。髪が僕と擦れる。
「僕は……。そう。君に伝えたかったんだ」
何を?
それを今言葉にするのは、憚られた。だってそうだろう。ここは彼女に倣うべきだ。
僕は手を回して、強く彼女を抱きしめた。ありったけ、伝わるように。
それに応えるように、彼女の手も僕の背中を弄る。
僕は黙ってしまった。彼女の思惑通り。それだけ、話したくないのだろう。僕の話したいという気持ちは、一旦置いて置こう。
静寂が流れる。触れる体温と、彼女の息遣いと。悪くはなかった。むしろ良かった。今、世界は僕たちだけだと思えた。
「安達君」
彼女は顔を離して、僕を見つめる。
僕も目線を返した。
近づいて、そっと触れた。唇が、重なった。
それは互いに伝わって、伝えて。もう十分だった。
僕は彼女を抱えて、ベッドに寝かせる。上から見下ろす彼女は、綺麗だった。潤んだ瞳が、熱っぽい吐息が、触れた指先が。僕を誘う。
髪に触れて。耳に触れて。指を絡めた。僕は顔を下ろして、彼女と熱の交換をした。服の下に手を伸ばして、地肌に触れる。漏れる吐息に、僕は肩を震わす。
顔を逸らさず、僕を見つめる彼女は僕を受け入れる。
「ありがとう。安達君」
そう言って、彼女は僕の手を誘った。容赦なく、身体に触れさせた。
夜は耽る。身体は火照る。静けさに、澄んだ声が混ざる。
今宵。僕は知った。彼女の冷たささえ知った。
*
夢を見た。ような気がする。
見覚えのない女の子が、ベッドに横たわる僕をじっと見つめているのだ。僕はそれが現実なのか、夢なのか、判然としなくて。ただ一つ言えることは、その女の子は、愛おしそうな顔をしていた。僕を見て微笑むのだ。そして手を伸ばして、触れようとして、躊躇って。また頬杖をついて僕を見つめる。
そんな、昼間の明かりが差し込む頃。
僕はそれが心地良くて、また眠りこけた。
*
やがて、目が冴えてくる。
僕はどうにも狭いベッドで寝返りも打てず、隣の肌に触れていた。その肌が、手が震えた。震えることはないだろうと、僕はどうして彼女がそんな、今更他人みたいなことをするのか、気がかりで。目が覚める。
瞼を開くと彼女はもう起きていた。外はもう真っ暗で、柔く白い肌をした彼女は、身体を起こして、シーツで隠すように胸元に手繰り寄せて僕を見下ろしていた。目を見開いて見下ろしていた。
「おはよう、夜凪さん」
僕が声をかけると、彼女はまた震える。
そして、言ったのだ。
「お兄さん、誰……?」
僕は声すら上げられなかった。そしてそれは、冗談とも思えない声色だった。から。僕は信じられなくて、彼女に手伸ばす。すると彼女は身を引いた。
「あの、夜凪、さん……?」
「ごめんなさい、えっと……」
彼女は早口で、僕から遠ざかろうとする。
その反応が単純にショックなのもあるけれど、あまりに唐突なことで、僕は理解が追いつかない。
そして更に困惑することとなった。
彼女が、夜凪さんが突然、ぷつりと、意識を失ったように倒れる。
「夜凪さん……?」
声をかけても反応がなくて。
僕は焦った。なにか、尋常ならざることが起きているのではないかと。彼女の身になにか、なにか異常が起きているのかと。
身体を揺すっても、声をかけても一切反応がない。
僕は焦って震える手でスマホに手を伸ばした。




