17
今日は天気が安定しない日だった。昼間は土砂降りで、夜凪さんと出かけるのは断念して。夜になるころには小雨が降ったり、降らなかったり。
今日の夜凪さんが指定した時間は日付が変わった頃。
時間になったから僕は彼女の家に迎えに行く。玄関前に来たけれど、彼女はまだ出てきていなかった。
僕は玄関前で待つのだが、ふと、昨日ことが頭を過る。彼女の感触、忘れられない。これから会うのが気まずいとかはないけれど。距離の近さに心が騒めく。
玄関の扉が開く音がする。彼女が来たかと、顔を覗かせると、僕は顔をしかめた。
「夜凪さん……?」
「あ、安達君、おはよう」
夜凪さんがだらしなかった。何がって、ジャージなのはまだいいとして。髪がぼさぼさなのだ。眠そうな顔と欠伸。
「夜凪さん、もしかして今起きた?」
「まあね。寝坊するとこだったよ」
「いや、してるんだよ」
何の準備も出来てないじゃないか。
「夜凪さん、ヘアゴム持ってる?」
「一応」
「じゃあ後ろ向いて」
僕は夜凪さんからヘアゴムを受け取って、彼女の髪に指を通す。櫛がないけれど、ここは仕方ない。手櫛で彼女の髪を整えていく。
指通りのいい髪を纏めて、後ろで纏める。即席ポニーテールの完成だ。
「はい、できた」
「おお。安達君手際良いね」
「未耶の髪で散々やったから。一通りはできるよ」
「じゃあ次はもっと可愛くしてもらおうかな」
「自分でやりなさい」
「えー?」
「……まあ、機会があったらやってあげないこともない」
「じゃあ明日もぼさぼさでいこ」
「こら」
彼女が調子のいいことを言う。……明日は色々道具を持参しようか。というか、家に呼ぼうか。
僕が甘いことを考えていると、彼女は僕の隣に立つ。
「じゃ、行こっか」
「え? ああ、うん」
夜凪さんが自分勝手に歩き始めない。違和感だけれども。まあ、そういう日もあるか。
僕たちは散歩を始めた。彼女は隣を歩いていた。これはどうにも落ち着かない。
「ねえ安達君」
話しかけてくる彼女は、そんなこと気にしてはいなさそうだった。
「なに?」
「安達君って彼女いたんでしょ?」
「うん、いたね」
「私と前の彼女とのキス、どっちがよかった?」
「……」
また、答えにくいことを聞いてくる。そもそも、僕が雪菜とキスしたと明言はしていないのだけれど。
「あ、黙った。前の彼女のほうがよかったんだ」
「夜凪さん、君、面倒臭いって言われない?」
「別に」
「そっか。まあ、うん。そうだね。どっちがよかったかと言われると。……どっちもよかったかな。それぞれ別の良さがあったよ」
「そこはさあ……」
「まって、夜凪さんが言わんとすることはわかるよ。大変面倒臭いこと言おうとしてるよね? でもさ、僕も正直でありたいわけで」
「なんでもかんでも正直であればいいわけじゃないと思いまーす」
そう言われると、返す言葉もない。
「じゃあ、夜凪さんのほうがよかった」
「もう遅い」
「だよね」
彼女が珍しくつんつんしている。彼女にしては面倒で、女の子らしかった。
「夜凪さん」
僕は仕方がないのでうやむやにしにいった。
「今日はこれで許してよ」
彼女の手を取って、指を絡める。彼女ははっと顔を上げ、若干不服そうにしながらも、
「まあ、よしとする」
許してくれる。彼女にしてはちょろいものだった。
雨の匂いがする深夜。彼女の温もりが確かにそこにある。
「夜凪さん。昼間はなにしてた?」
「今日の子はね、可愛らしい女の子だったよ。中身まで乙女って感じで。恋する女の子だったから、私も、今日は安達君のことを考えて悶々としてみた」
それじゃあまるで僕に恋してるみたいじゃないか。とは、言えなかった。
「そしたらさ。安達君のこと、知りたくなったよ」
「そう。僕、NGは基本ないよ?」
「じゃあ質問。安達君のタイプの女の子は?」
「夜凪さんみたいな子かな」
「そこは空気読まなくていいよ」
「じゃあ。えーっと。どうだろ、顔のいい子」
「はいはい。じゃあ次の質問。藍那さん以外に友達いたことある?」
「ない」
「即答なんだね。じゃあ前の彼女以外に好きな子とかいた?」
「いなかったかな」
「じゃあ子供の頃の一番の思い出は?」
「親公認で学校さぼった日かな。一日中本と過ごして幸せだったよ」
「昔のクラスメイトとか覚えてる?」
「え? あー、どうかな……」
「あのさ」
彼女が真顔で見つめてくる。
「なに」
「安達君って人に興味なさ過ぎない?」
「よく言われる」
「言われる友達いないじゃん」
確かに。って、
「いや、一人いるから」
「藍那さんはちょっと違う気がする」
「どう違うのさ」
「うーん、安達君もわかってるんじゃない?」
「さあ。僕には皆目見当もつかないな」
「まあそれでもいいけどさ」
彼女はにこやかに、足を跳ねさせていた。
「なんか機嫌よくない?」
「別に? ただ、なんで安達君は私に興味持ってくれたのかなって」
まさか、例外でいれて嬉しいということだろうか。可愛いところもあるじゃないか。いや、いつも可愛いか。
「なんで、か。なんでだろうね」
「そこはまあ、運命ってことにしとこうよ」
「僕はそれでもいいけどさ。まあ、多分。らしくなかったから、かな」
「何が?」
「存在そのものが。女子高生にしては頭がおかしそうだった。当たり前を受け入れてないなって」
「そう、じゃあお揃いだね」
「酷いこと言うね」
「君から始めた」
そう、柔らかい笑みで肩をぶつけてくる。なんだか、今日の彼女はいつにも増して乙女だった。
「運命、か。ねえ夜凪さん。なんであの日、校舎裏にいたの?」
「え? うーん。なんとなく? かな」
「なんとなくって、それじゃあ本当に運命ってことになっちゃうな」
「ごめん、ちょっと嘘ついた。本当は久々に登校したはいいけど教室には行けなくて、それに人に会いたくなかったから。でもあそこを選んだのは偶然」
「僕もそうだったよ。じゃあ必然、かな」
彼女はそう聞いて、握る手の力を強める。
「必然。それいいね」
「夜凪さんは学校嫌い?」
「嫌い。学校って、私が私でいることを許さないから」
「許さない、か。そうかもね。僕も、自分の在り方に苦労したよ」
「安達君は我関せずって感じじゃないの?」
「そこに辿り着くまで紆余曲折あったんだよ。中学のときとかは、前の彼女のこともあって大変だったかな」
「安達君。今度卒アル見せてよ」
「いいけど。面白くはないよ?」
「私が勝手に面白くなるから大丈夫。いやでも……。ごめん、なんでもない」
彼女は何を思ってか、僕の中学時代を想像しているのだろうけれど。おかしそうに微笑んでいた。ただ、微笑んだ後に、俯いていて。情緒が安定しないなと。そんな感想を抱いた。
すると、突然彼女は足を止める。
「ちょっと、疲れちゃった」
珍しかった。アクティブな彼女ににしては。彼女は横の公園を指差す。
「休んでかない?」
「いいけど」
彼女は公園のベンチに腰かける。そして大きな欠伸。寝起きだからなのか、眠そうだった。
「夜凪さん、何か飲む?」
僕は公園横の自販機を指さす。一応聞きはしたけれど。彼女の指定する飲み物なんて一つに決まっていた。
「ああ、じゃあお茶で」
「……」
僕はつい黙ってしまった。オレンジジュースじゃないのかと。絶対頻尿になっているだろうと僕が想像してしまうくらいにはいつも飲んでいたのに。
僕は言われた通り、疑問に思いながらも飲み物を買って彼女に渡す。そうして彼女は一口飲んで、ベンチにだらしなく横になった。
「安達君、寝ていい?」
「こんなところで?」
「安達君、枕」
「はいはい」
僕はベンチに座って、彼女に自分の膝を提供する。
「あー。楽」
「夜凪さん疲れてる?」
「ちょっとね。なんか、いや。なんでもない」
「そこは言い切ろうよ」
「いや、眠気が取れないだけだから……」
彼女は僕の膝に顔を擦りつけて、ぐったりとする。完全に緩み切っていた。
「ねえ安達君。君、将来の夢とかある?」
「ない。正直引き籠っていたい。働きたくない」
「あはは。正直だ」
「夜凪さんは?」
「私もないよ。あっても意味ないし」
「そんなことはないでしょうよ。希望を持つくらい誰にだって許される」
「そうだね。希望か。そんなの、あったらいいね」
「悲観的」
「そうもなるよ。でも、私。安達君には幸せに生きていていほしいんだ」
「それは僕も同じさ。夜凪さんには笑っていてほしい」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」
僕は自然に、彼女の頭に手が伸びていた。さらりとした髪は、相変わらず指通りがいい。
「安達君」
「なに?」
「……なんでもない」
彼女は、そんなことはなさそうな顔だった。絶対言いたいことがあっただろうけれど。言わないのなら、僕も無理には聞かない。
そうやって静けさの中で時間を過ごして。
「そろそろ行こっか」
回復したのか、夜凪さんは立ち上がる。そして歩き出した。のだけれど。
僕は強烈な違和感に襲われた。つい、立ち上がりかけた足が止まるくらいには。
「夜凪さん……?」
僕はその、彼女の歩き姿に。後姿に全く見覚えがなかったのだ。あの、跳ねるような歩き方をしていなかった。
それに気づくと、今日の違和感が一気に襲って来る。妙に乙女チックで、眠そうで、でも上機嫌で、言い淀んで、嗜好が変わっていて。
僕は。
僕は誰と一緒にいたのだろか。
「夜凪さん、だよね……?」
つい、こんな焦点の合ってないような言葉が飛び出してしまう。
彼女は振り向いてはくれなかったし。弁明もしなかった。
「安達君。今日はもうお終いにしよっか」
「お終いって。僕は……」
「安達君」
彼女はぴしゃりと、僕を遮る。
「……私、帰るから」
彼女は僕を置いていく。見慣れない足跡を刻んでいく。
僕は到底、見過ごせなかった。
「待って」
追いかけて、歩みを止める。でも、彼女はそんな手を力強く振り払って、僕から遠ざかろうとする。
「待ってってば」
僕は正面に回り込んで彼女の肩を掴み、俯く彼女に問いかける。
「夜凪さん、どうしたっていうのさ。僕、そこまで気に障ること言ったかな」
「……別に。安達君は悪くないよ」
「だったら」
「でも。違うの。君は君のままでいなきゃだめだから」
何を言っているのかさっぱりだった。僕が僕のままって。その発言一つで、僕が変わってしまうみたいじゃないか。
「いいから。離して」
「駄目だ。僕がこのまま帰らせると思う?」
「……そういうところだよ」
彼女は、肩に添える僕の手を掴んで、優しく下ろす。
「安達君。私はね? 私のままで君の記憶に残りたいの。だから、もう君には会えない」
「会えないって。そんなこと……」
彼女が言い切るから、僕は否定したかったのに。彼女の顔がそうさせてくれない。どうして、そこまで悲痛な顔をしているのだろうか。
「でも勘違いしないで。私、安達君のことはちゃんといい人だって思ってるから」
「だったら」
「だったらも何もないの!」
突然、彼女が声を荒げる。そんな姿見たことないから、僕は肩を震わせた。
「怒鳴ってごめん。だけど、私はもう君とは会えないの」
「……」
僕は言葉がなかった。だって、こんな夜凪さん知らないから。だから、僕にかけられる言葉がなくて。でも、黙っているのも駄目な気がして。僕は彼女に手を伸ばすけれど。そんな手も彼女はそっと振り払った。
「じゃあね安達君」
別れの言葉を残して、彼女は僕の元を去っていく。
それが、最後の言葉になってしまうんじゃないか。そんな不安を残して、彼女はいなくなった。




