16
夕方にはまだ早い時間。僕は駅で夜凪さんと待ち合わせしていた。スマホを確認すると、あと少しで着くとメッセージが来ている。僕はスマホをポケットに無造作にしまった。
正直、僕は今日がちょっと楽しみだったのだ。今日は約束した、花火を見る日で。そして、そう。事前に聞くことはしなかったけれど、もしかしたら浴衣で来てくれるかもしれないから。
「安達君」
人混みの中から、夜凪さんの声がする。僕は振り返ると、つい目を見開いてしまった。
勝った。夜凪さんが浴衣で来てくれたのだ。
白い浴衣と、あしらわれた紫の花柄。彼女の丁寧に纏め上げられたその髪と合わさって、とても綺麗だった。
「なんで黙る」
「ごめん。なんでもない」
「何か言うことは?」
夜凪さんは浴衣を見せびらかす。
「流石は夜凪さん、と言っておこうかな」
「まあ、いいとしましょう」
彼女は意気揚々と歩き出す。僕もそれについていった。
電車に乗ると満席で、夜凪さんは下駄のせいか少し立っているのが辛そうだった。つり革に掴まっても小さいせいで、大変そうで。
「夜凪さん」
僕は腕を差し出す。
「ああ、うん、ありがと」
彼女が僕の腕に掴まる。身体を預けられて、彼女の重さが伝わった。
「ねえ安達君。君は女の子が困ってたら誰にでもこういうことしちゃうのかな?」
「まさか。夜凪さんだからだよ」
「ふーん、嘘くさいけど。嘘でもそう言えるだけまだいいか」
「まあ、未耶を見てるみたいでさ。あいつも夜凪さんと身長同じくらいだから」
「そっか。でも安達君。妹みたいなもんだから、っていう男には碌な奴がいないんだよ?」
「そんなまさか。シスコンに悪い奴はいない」
「自覚はあるんだ」
「僕は自覚した上で妹を愛している」
「より質が悪い」
「でも夜凪さん。もし夜凪さんに未耶みたいな妹がいたらどう?」
「……シスコンもやむなし」
「だよね」
僕が頷いていると、電車が揺れる。彼女の抱き着く力が強くなる。伝わるのは、微かな柔い感触だった。
「安達君」
彼女は腕の力を弱める。
「……なに?」
「薄くてごめん」
「謝ることはないさ」
「でも、あったほうがやっぱり男の子は嬉しいでしょ」
「そうとも限らない」
「そう?」
「そう。大きい夜凪さんよりも、小さい夜凪さんのほうが、多分、いや、絶対可愛い」
「そう」
彼女はそれから、景色を眺めていたのだけれど。時折、瞼が落ちて、眠そうにしている。
「眠いの?」
「そりゃね。早起きしたから」
そうか。昼間は彼女の時間じゃないから。それは無理して起きてきたということ。
なら、なるべくこれ以上の無理はさせたくないのだけども。僕にできることは、まあ、いつも通り。彼女のお願いを聞くことくらいだろうさ。
電車は揺れる。一時間も経って、目的地に着く頃には同じように、浴衣を来た人が多く集まっていて。電車を降りるにも一苦労だった。
駅から出たらそこは人の海だった。
屋台が並び、人が並び、喧騒が聞こえてくる。
「夜凪さん、帰っていいかな」
僕はつい、悪いと思いつつ、そんな言葉が口を次いで出ていた。
「安達君」
彼女は僕の手を掴む。
「逃がさないから」
「……はい」
どうやら僕はこの人混みに突撃しなければいけないらしい。
でも、まあ。仕方ないな。そもそも今日は彼女の希望でここに来ているわけだし。なるべく、彼女を楽しませようじゃないか。
彼女に手を引かれて、僕たちは夜店を渡り歩く。僕はあまりこういうところに来ないから、と言っても、小さい頃は未耶と来たものだけど。色々とあるものだった。
「安達君はどれ食べたい?」
「どれでも。夜凪さんは?」
「うーん。とりあえずかき氷とか?」
「言われると食べたくなってきた。暑いし」
僕たちはかき氷の屋台目指して歩く。
ふと、気づいた。僕は彼女に手を引かれて、隣を歩いているのだ。いつもは後ろについてばかりだったから、新鮮。
彼女の横顔は、まあ知っていたけれど。綺麗だった。浴衣だから、尚更。祭りの淡い光と、非日常な雰囲気が相まって、彼女が煌めいて見えた。
すると彼女は僕の視線に気づいて、こんなことを言う。
「惚れちゃった?」
「……そうかも」
「まあ私可愛いからね、仕方ないね」
自信過剰だけれども。否定はできなかった。
かき氷の屋台に着くと、運がいいことに誰も並んでいなかった。僕はかき氷を二つ頼む。
「安達君は何色が好き?」
「黄色。とか?」
「そう。私は青が好き」
それは、彼女の瞳と同じ色だからだろうか。
彼女が髪を耳にかけそれを見つめる姿は、どこか儚げで、遠くを見ているようだった。
僕たちはかき氷を受け取ると、近くの空いていたベンチに腰かける。
「安達君、あーん」
彼女は遠慮なくこういうことをしてくる。僕も遠慮なくそれを受け取った。ついでに、お返しもする。彼女は薄く目を閉じて僕のお返しを受け取ってくれた。……なんて警戒心のない顔だろうか。
「ねえ安達君」
「なに?」
「今日はありがとね。ついて来てくれて」
「わざわざどうしたのさ。僕たちの仲だし、そんなの今更じゃない?」
「それはそうだけどさ。私は嬉しいんだよ、安達君とここに来れて。……私ね? 昔一回、来たことがあってさ」
彼女は一口、かき氷を口に放り込む。その顔は先ほどと同様に、遠くを見ていた。
「お父さんと来たの」
彼女はそう言って、深く息を吸う。
「安達君。私さ、安達君と花火を見られたら、もう心残りないんだ」
父親と見た思い出をもう一度、ということか。だが、その言い方はちょっと引っかかった。まるで最後の願い事みたいじゃないか。
「夜凪さん、他にはないの? 心残り」
「ない」
「そう。……夜凪さんのお父さんって、どんな人?」
「そうだな。日本の漫画とか、そういう文化が好きだった。それから、優しかった。我儘も聞いてくれたし、よく遊んでくれた。……でも、いなくなっちゃった」
夜凪さんは明るくそう言う。
「ここに連れてきてくれたときさ、一緒に花火見て。それがどうしても忘れられなかった」
それは、彼女の思い出。また彼女は、遠くを見つめていて。それは過去を振り返っているのだと、僕はそう理解した。だから、勝手な妄想が膨らむ。過去にも、こうしてかき氷を食べたんじゃないのかと。瞳と同じ、青いそれを。そんな妄想が止められない。
「安達君は、私がいなくなったら嫌?」
「それ、聞く意味ある?」
「そうだね。安達君は私にご執心だもんね」
「そうそう。この夏で、大分と。僕の中に入り込まれちゃったよ」
「それは、よかった」
彼女はやっぱり。心ここにあらずだった。僕としては、もうちょっと気さくに揶揄ってくれてもよかったのだけれども。
「……夜凪さん、花火までまだ時間あるよね」
「え? うん」
「ならさ、ちょっと僕の我儘に付き合ってよ」
彼女がこの調子だと、僕の調子まで狂ってしまう。から。いい機会だし、楽しむことにしようじゃないか。
「夜凪さん、僕折角だからいろいろ食べたいんだ。未耶にもお土産買っていきたいし。だから、付き合ってよ」
「……そうだね。そうしよっか」
それから僕たちは、この夏祭りを満喫した。
色々と食べ歩いた。個人的に美味しかったのはりんご飴だろうか。小さい口でかぶりつく彼女が可愛かったのは言うまでもないだろう。それから、大き目な綿菓子と小さな夜凪さんはベストマッチだったと思う。焼きそばも無難に美味しかったし、じゃがバターなんてのも良かった。
こう振り返って見ると食べてばかりだな、僕たち。まあ、それも悪くなかった。なんてったって、彼女が笑顔になってくれていたから。僕との時間を楽しんでくれたのならよかった。
そうして、未耶へのお土産も溜まっていった頃合いで、そろそろ花火が始まる時間がやってきていた。
僕たちは手近なところに場所を取って座る。
「はい、夜凪さん」
「ありがと」
僕は買ってきたオレンジジュースを渡す。それを飲む夜凪さんは、暗がりの中でどうしてか頼りない顔を浮かべていた。
「安達君、いっぱい食べたね」
「ほんとにね。夜凪さん、浴衣きつくない?」
「意地悪なこと聞かないでよ。きついに決まってるじゃん」
彼女はむくれてお腹の辺りを擦る。
「ごめん。全然考えず回っちゃって」
「美味しかったからいいよ」
彼女はまだ花火が始まっていない夜空を見上げると、それから何事か、僕に擦り寄ってくる。
「安達君、ちょっと」
彼女は僕の肩に頭を預ける。それから、瞳を閉じた。
「もしかして眠い?」
「結構。だからこうさせて」
「それはいくらでもどうぞ」
彼女の、浅い呼吸が聞こえてくる。動いたら折角の髪が崩れてしまうから。僕はじっとそれを聞いていた。
「安達君」
小さく、彼女が呟く。
「今日はありがと」
「それはさっきも聞いたよ」
「私は感謝を忘れない女なんだよ」
「なら僕も。今日は楽しかったよ」
彼女は軽く頷く。
「ねえ。安達君」
それから彼女は、こう口にした。
「キス。しよっか」
僕は、不思議なことに、それに抵抗感がなかった。
今までの、彼女のその提案はどこか焦りがあって。投げやりさがあって。それは違うと僕は思ったのだけど。今回は違った。彼女の真摯なしたいという気持ちが、伝わってくる。
「いいの? 僕とで」
「それ。言わせるの?」
彼女は黙って、目を閉じていた。するもしないも、僕次第か。
して、いいのだろうか。でもしなかったら。今の彼女の気持ちを台無しにしてしまうのではないだろうか。こんなに純粋に、想ってくれているのに。
僕は迷った。けれど。はなから、しようと言われた時点で決まっていたのだ。
僕はそっと、唇を重ねた。
そうして、花火が始まった。
爆ぜる音の中で。柔い唇。彼女の暖かさ。華やぐ香り。確かな吐息。ぐっと、彼女に近づいた気がした。
顔を離すと、薄く微笑む彼女がいた。困る。そんな幸せそうな顔されたら。
それから僕たちが話すことはなかった。じっと、花火を見上げていた。
花火の中で、何故だろうか。僕は思い出を見ていた。夜凪さんとの思い出。過ごした時間。今隣にいる彼女は、何を思っているのだろうか。
幸せな時間になっていてくれたら、それがいい。彼女の思い出に重なって、新しい記憶になってくれたら、それでいい。




