13
僕はインターホンの音で目を覚ました。きっと夜凪さんだろう。あれから夜凪さんとまた散歩して。朝に帰ってきて。ああ、短い睡眠だったな。
一階に降りて、インターホンの画面を確認する。そこには髪を寒色でグラデーションに染めた、スポーティーな恰好の女の子が立っていた。
僕は一応彼女本人か確認する。
「夜凪さん?」
『やっほー安達君、来たよー』
やっぱり夜凪さんだった。
僕は玄関の扉を開ける。彼女はにこやかに出迎えられて、「お邪魔します」と、家に上がった。
「安達君寝ぐせ凄いよ?」
「寝起きなんだよ」
全く、僕は大変寝不足なのだ。だからローテンションでも許してほしいところ。
彼女は僕の寝ぐせをまじまじと観察して、「馬鹿っぽい」と言い放ち、透ける手で僕の肩を叩こうとする。はて、彼女はこんなフレンドリーなタイプだったろうかと疑念が芽生えたが、一人で納得した。そういう子を引き当てたのだろう。
「ところで安達君、妹ちゃんは?」
「出かけてる。暫く帰ってくるなとも伝えてある」
「なんだよー、会いたかったのに」
「絶対ダメ」
何故なら説明が面倒だから。
僕は夜凪さんを家の中に通した。彼女が家にいるのは、なんだか違和感が過ぎるけれども。まあ、こういう日もあるか。
「安達君、お昼まだだよね?」
「うん」
「じゃあキッチン借りるね」
「え?」
夜凪さんは自然な流れでそう言ったけれど。
「待って? なにするの?」
「ご飯作るに決まってるじゃん」
「夜凪さんってそういうキャラだっけ」
「今日の私はそうなの」
そうだった。昼の夜凪さんは、彼女であって彼女ではない。
「でも夜凪さん、料理できるの?」
「勿論。この子は得意だよ?」
彼女は持ってきていた食材に手をつける。
「そうなんだ……。冷蔵庫、好きにしていいから」
「りょーかい」
僕が疑心暗鬼になっても彼女はそんなこと露知らず。キッチンで手早く準備を進めていく。本当に大丈夫そうだなと。僕は一安心してリビングの椅子に座った。
すると間もなく、眠気が襲って来る。夜凪さんが立てる包丁の音もまた眠気を誘う。僕は抗えず、机に突っ伏してしまった。
「安達君、寝ててもいいよ? できたら起こすから」
「いや……、おきてるよ……」
「そう?」
彼女の薄っすらとした笑い声が聞こえる。
僕は起きてるのか寝てるのか、曖昧な境界を行ったり来たり。
どれくらいそうしていただろうか。何かが床に落ちる音に驚いて、僕は目を見開いた。顔を上げるとそこには。買い物の袋を落として夜凪さんと見つめ合う未耶がいた。
「えっと……。お邪魔しました……」
未耶がそっとリビングから消えていく。
「ちょっと待った」
僕は慌てて呼び止めた。
「未耶、出てかなくていいから、そういうのじゃないから」
「でも兄さん! 私、そこまで野暮じゃないですよ!」
「だから! そういうんじゃないから!」
「でもでも兄さん! 今日は『帰り遅くなってもいいから』ってメッセージくれたじゃないですか! それってそういうことですよね⁉」
「だから! 未耶に見られるのはちょっと気恥ずかしくて言っただけでそういうんじゃないから! てかメッセージ見たならなんでわざわざ早く帰ってきたんだよ!」
「だって兄さん! 明らかに怪しいじゃないですか! つまりそういうことじゃないですか!」
「結局野暮じゃねえかよ!」
僕は眠気から急に覚醒したからか、頭がくらくらする。いや、今のしょうもないやり取りのせいかもしれない。
「兄さん、体調悪そうですね」
未耶が心配そうに僕に近寄る。
「きっと私のせいだね」
ここで夜凪さんが口を開いた。未耶の視線が夜凪さんに向く。
「えっと、もしかして。夜凪さんですか?」
「そう。よろしく。妹ちゃんで合ってるよね?」
「はい。安達未耶です。楓さんって呼んでも?」
「ご自由に」
「ところで楓さん。何故料理を?」
「安達君に食べてほしくて」
「やっぱりそういうことだったんですね……」
未耶が勝手に納得してしまっていた。これは一体どう弁明しようか。
「兄さん、どれだけいちゃいちゃしようが兄さんの勝手ですが、体調管理くらいしてくださいね?」
「いちゃいちゃはしてないから……」
僕はもう無駄だと知りつつ否定する。夜凪さんも苦笑いだった。ごめんね夜凪さん、妹がこんなんで。でも可愛いから許して。
「ごめんね未耶ちゃん。私がお兄ちゃん振り回しちゃって」
「いえ。それも含めて兄さんの責任です」
「そっか。それもそうだね」
果たしてそうだろうか? いや、未耶が言うならそうか……。
「はい。何があっても兄さんが悪いので。楓さんは好きに兄さんを振り回してください」
「容赦ないね」
「それくらいじゃないと、兄さん一人になっちゃうので」
「わかるかも。安達君って基本ぼっち気質だよね」
「そうなんですよ。だから楓さんみたいな人がいると私も安心なんです」
僕をおいて、二人で会話が弾んでいく。女の子同士の会話とは、なんとも華やかで、そして入りにくい。
あれよあれよと話は進んで、結果未耶は夜凪さんと連絡先を交換し、更にご相伴に預ることになっていた。
「兄さん、楽しみですね」
僕の隣の席で、未耶はそわそわと夜凪さんの昼飯を待っていた。
「未耶、僕がいうのもあれだけどさ」
「大丈夫です兄さん。私は弁えてる妹ですので」
本当だろうか。夜凪さんに迷惑かけなきゃいいけど。
あんまり思い出したくないが、雪菜のときもそれはもううざいくらい押しが強かった。まあそれはそれで、雪菜も未耶と仲良くできるのが楽しかったみたいだけれども。女の子は案外、うざいくらいが丁度いいのかもしれない。
「それで兄さん。楓さんとはどこまで?」
こそこそと、未耶が耳元で囁いてくる。妹のASMRか。悪くないな。
「どこまでって。どこもいってないよ」
「そんなまさか。家まで連れてくるのにそれはないでしょう。キスくらいはしましたか?」
「してない」
「じゃあハグくらいは」
「し……てない」
未耶が「なんだこいつ」、と、「今言い淀んだな?」みたいな顔をしていた。そんなあからさまに態度に出さなくても。
「未耶、僕たちはそういうんじゃないから」
「どうでしょう。そうは言ってもしれっといくとこまでいってるかもですし。度胸はないのに」
未耶がそうだろうと言わんばかりの決め顔だった。
「兄さん兄さん、楓さん、何作ってるんですかね」
「知らんけど」
「そんな興味無さそうにしても無駄ですよ? 妹にはお見通しです。兄さんは楓さんの手料理をこれでもかと楽しみにしています」
「はは、そんなまさか」
「雑な誤魔化しですね」
未耶に呆れられてしまった。兄さん、そんなに楽しみにしてそうかな。
「安達君、もうちょっとでできるよー」
タイミングよく、夜凪さんから声をかけられる。僕と未耶は、食器とか諸々の準備を始めた。
そうして食卓に夜凪さんの手料理が並ぶ。
「よし。こんなもんよ」
夜凪さんはテーブルを眺めて満足そうだった。
今日の献立はなんともまあ豪華なビーフシチューだった。夜凪さん曰く「安達君の好きそうなものがわからないから取り合えず豪華にしてみた」らしい。
三人で座り、手を合わせる。
「いただきます」
僕は一口、口に運んでみた。
「どう?」
夜凪さんがそわそわとしながら、じっと見つめてくる。僕はしかと味わって、感想を口にした。
「…………美味い」
「ほんと? ほんとに?」
「ああ、美味いよ。てかなんでそんな不安そうなの」
「だって初めて作ったから」
ああ、そうか。
記憶はあっても、実際にやったことはない。そういうことなんだろう。だったら、ここで僕が言うことは決まっていた。
「夜凪さん、ちょー美味いよ。毎日食べたいくらい」
「兄さんの言う通りです。楓さん天才です」
未耶も口にあったのか、美味しそうに食べていた。
「そっか、ならよかったよ」
夜凪さんは安堵したのか、やっと自分の料理に口をつける。その顔は、なんともまあ、幸せそうだった。
*
昼食を取った後、僕は皿を洗い終えて自室に夜凪さんを招いていた。
「安達君、ベッドの下見ていい?」
「夜凪さん。僕はそこまで単純な男に見えるかい? 後僕は電子派だ」
「なんだ、残念」
夜凪さんは特に何も見つからないとわかると僕のベッドにダイブする。
「うーん、安達君の匂い」
僕の枕を抱きしめていた。
「変態さんを招き入れてしまったみたいだね」
「そう? まずは嗅ぐでしょ」
「僕が夜凪さんのベッド嗅いだ?」
「嗅いでないの?」
「嗅いでないよ」
「いい匂いすると思うよ?」
「いや、嗅がないからね?」
嗅ぐのが当たり前みたいな態度、やめてほしい。
「それにしても安達君の部屋は本がいっぱいだね」
「まあ、気づいたらこうなってた、みたいな?」
「汚さは私と同じくらいか」
「そこは目を瞑ってくれ」
「ねえ安達君、君もちょっと横にならない?」
……何を言っているのだろうか、この人は。
「夜凪さんが退いてくれたら横になってもいいかもね」
「それじゃあ意味ないじゃん」
彼女はわかりやすく不貞腐れる。
「あのね夜凪さん。僕も男の子だからね? その辺を踏まえて発言するように」
「ちゃんとわかってるって」
「わかってたらそんなこと言わないの」
「でもでも。この子は幼馴染とよくそういうことしてるんだよ?」
「この子って、今の見た目の子ってこと? でも僕に幼馴染を求められても困るよ」
「いいじゃん。ちょこっと私に抱き着かれるだけだから。この枕が安達君になるだけだよ」
「それが大問題なんだよね、てかあなた透けるでしょ」
「もう、甲斐性なし」
彼女は文句を言いつつも諦めてくれたのか、むくりとベッドから起き上がる。
「安達君、おすすめどれ?」
「おすすめって?」
「ここにいっぱいあるじゃん」
彼女は本棚を指差す。
「ああ、じゃあちょっと待って」
僕は本棚を漁る。お勧めと言っても、僕の好みになってしまうのだけれど。僕は何冊か見繕って渡す。彼女は「ありがと」と言って、僕はそっちのけで本を読み始めてしまった。
ベッドも占領されてしまっているし、僕は椅子を引いて座る。そして暇だから、夜凪さんを眺めていた。
こうして本を読む女の子を自室でみると、あれだな。雪菜を思い出してしまう。でもこれを口にするのはやめておこう。不機嫌になられそうだ。
今、こうして真剣に文字に視線を落とすのは、どの夜凪さんなのだろうか。今の子が読書が好きなのか。それとも夜凪さんそのものの興味なのか。時々、わからなくなる。僕が接している夜凪さんは誰なのだろうか。彼女は、散歩が好きで、案外見た目ほどクールじゃなくて。大胆で、それなりに影もあって。
全部夜凪さんなのだけれども。でも、じゃあ。今の夜凪さんは? どこまでが夜凪さんなのだろう。
答えので無さそうな問いに、僕は沈む。そんなことをしていたせいで、足りない睡眠時間が祟ってしまった。とても眠い。椅子でこのまま寝てしまいそうだった。
「安達君、眠い?」
「いや、眠くない……」
「眠いんじゃん」
彼女は僕を手招きする。横に座れということだろうか。僕は瞼をこすって立ち上がり、夜凪さんの隣に座る。
「違うよ安達君」
「違うってなにが」
「こういうこと」
彼女は枕を自分の膝元に置き、僕の頭に手を添えると、どうぞと、そのまま自分の太ももに引き寄せようとする。僕はその透ける手に抗うこともできたのだけど。それはしなかった。
「夜凪さん、どうしたのさ」
「いいでしょ? こういうのも。触れないから直接じゃないけどさ」
僕の頭は彼女の膝元に収まってしまう。彼女の温かさと、なにより、ほんのりと花の香りがした。
「ねえ夜凪さん、僕このまま寝てもいいかな」
「いいよ? てか、そのためにこうしたわけだし。因みに感想は?」
「温かくて良い感じです」
「もっとないの?」
「……心が高鳴る」
「素直でよろしい」
彼女の透ける手が僕の髪を撫でる。触れられていなくても。なんだか、このままでは本当に寝てしまいそうだ。
「あ。安達君。いいこと思いついた」
「これ以上にいいことって?」
彼女は一旦撫でるのをやめて、僕の机の引き出しを漁り始める。
「お、あった」
彼女が取り出したのは、まさかの耳かきだった。
「じゃあ安達君。大人しくしててね?」
彼女の顔がにやついている。僕はあまりの至れり尽くせりっぷりについ口を次いで出ていた。
「いいの? 夜凪さん。そんなにサービスしちゃって。後で後悔しない?」
「いいんだよ。この子はそういう子だから」
じゃあ、いいか。
眠いからだろうか。僕はそんな風に受け入れていた。
彼女がじっと耳を見つめて。そのまま耳かきが始まった。
「どう? 痛かったら言ってね」
「全然。気持ちいいよ……」
「それはよかった」
僕は眠気も相まって、口が軽くなっていたし、脳は溶けていた。
「夜凪さん、ありがとう……」
「急にどうしたの?」
「いや、なんか、夜凪さんと出会えてよかったよ」
「それは……。うん、そうだね。私もだよ」
彼女はそう言った。一瞬手が止まったのは気になるけれど。まあ、今はいいか。
「はい、こっち終わり。反対向いて」
「向いていいの?」
「深呼吸は禁止で」
僕は身体を反転させる。僕の顔は彼女のお腹に触れてしまいそうだった。より伝わる体温と、深い香り。今、このまま寝たら、さぞ気持ちがいいんだろう。
彼女は耳かきに慣れてきたのか、手つきが上手くなっていた。
僕はもう半分寝ているようなものだった。ただ彼女からの甘い施しを享受するだけ。こんな時間過ごしてしまって、いいのだろうか。
やがて、耳かきが終わった。彼女は寝かけている僕の髪にそっと触れようとする仕草をする。
「ねえ安達君。花火大会のこと、ちゃんと覚えてる?」
「ああうん……、行くんだよね……」
「覚えてるならいいんだ」
夜凪さんは撫でる手を止めた。
「私さ。……なんて言うのかな、こういうの。安達君は今の私、好き?」
その問いは、何を思ってのことか、僕には見当もつかない突拍子もないものだった。
「好きかって。……そうだね、僕は夜凪さんのこと嫌いじゃないよ」
「逃げの回答だね。安達君らしいや」
彼女はまた手を動かして、僕の頭を撫でてくれる。
「安達君、もし私が別人になったらどうかな」
「もうなってるじゃない」
「そうだけどさ。聞き方が悪かったか。中身まで別人になったらどう?」
「それは……。悲しいかな」
「そっか。そうだよね」
彼女からの問いかけは、なんだか本質ではないようで。釈然としなかった。彼女は、僕から何を聞き出したいのだろう。
「まあ、いいや」
彼女はそう言うと、僕の閉じかけの瞼を手で塞いでくれる。まだ寝たくないから、僕は抵抗するのだけれど、彼女はそんなのお構いなしだった。
「今夜もあるし、もう寝なよ」
「なるべくこの状況を堪能したい男心をわかってほしい」
「なるほど。そういうものなんだね」
彼女の撫でる手つきが、触れられないのだけど、それでも。更に優しくなる。本格的に寝かしつけにきているようだ。
僕はとりあえず抗ってみるのだけれど。それを意識すればするだけ、彼女の温かい体温とか、甘い香りとか、しなやかな指先とか。そんなことばかりに意識がいってしまって。安らぎばかり得られてしまうものだから、瞼が重くなる。
「おやすみ、安達君」
そんな掠れて、揺らいだ声を最後に、僕は意識を手放していった。




