12
過剰気味に効いた冷房と、女性特有蕩ける香り。カーテンを閉め切った部屋は薄暗く、間接照明だけを頼りにページを捲る。
今日、僕は夜凪さんの家にお邪魔していた。そして漫画を読み漁っていた。何故って、他にすることがないから。
「夜凪さん、これの続きないんだけど」
僕はゲームに熱中する彼女の背中に話しかける。
「その辺にない?」
「ないから聞いてる」
「じゃあないかな」
今日の昼間の彼女は、彼女曰く、引きこもりゲーマー、らしい。ぼさぼさの黒髪で彼女はパソコンの画面に貼りついていた。後、台パンが多いのは触れないでおこう。理由は怖いから。
「夜凪さん、これ、僕いる意味ある?」
「昼にも会おうって言ったの安達君じゃん」
「そうだけど」
こんな仕打ち、予想してなかった。
今日は家に来てと連絡が来たから足を運んだら。彼女はゲームに夢中で僕は放置。暇だから彼女の部屋を観察したら、彼女の部屋はそこそこに汚かった。服は脱ぎ散らかしてあるし、ゴミも放置してあるし。ただ、本棚の大きさには驚いた。漫画がぎっしり並んでいるのだ。なのに、シリーズは揃って並んでないし、続きは行方不明だし。
そんなこんなで、僕は彼女の部屋で転がった漫画を探しながら一つのシリーズの読破を目指して励んでいた。
「安達君、飲み物持ってきて」
「一応僕客人だよね」
「勝手に冷蔵庫漁っていいから」
「はいはい」
僕は渋々了承する。
彼女の家は、まあ。外観で前からわかっていたことではあるけれど。とにかく広かった。財力を感じる家だ。
申し訳程度に僕は「失礼します」とリビングへの扉を開ける。そして冷蔵庫の中を覗き見ると。なんということでしょう。オレンジジュースが山のように並んでいた。僕は少々呆れながら二、三本拝借して夜凪さんの部屋に戻った。
「夜凪さん、オレンジジュースでいいよね」
「違う。この子はエナジードリンク」
僕は部屋の入り口で固まってしまった。
「あのさあ、そういうのは先に言ってよ。てか、冷蔵庫にそんなのなかった気がするんだけど」
「じゃあ買ってきて」
「……」
とんでもない我儘お嬢様だった。しかし、僕は甘い男だった。
「わかったよ、じゃあ行ってくる」
「いってら」
雑な言葉を背中に僕は彼女の家を出て、コンビニへ向かった。
僕は近所のコンビニに着くとエナジードリンクを探す。
それにしても、前からそうだったけれど。彼女の役の徹底っぷりには頭が上がらないが、少々呆れも混じる。きっと今回の子は彼女以上に雑な子なんだろう。なんせ引きこもりのゲーマーだ。碌なものじゃない。
僕はエナジードリンクの他にも、彼女が好きそうな。と、そこで止まってしまった。
僕が選ぼうとしているのは、彼女の好きそうなものではなく、彼女が今為っている子の好きそうなものだ。それはなんだか、なんだか。
上手く、言葉にできなかった。
買い物を済ませて、僕は彼女の家に戻る。
部屋に戻ると、彼女はベッドで寛いでいた。
「ゲームはもういいの?」
「ちょっと休憩」
彼女は腰を下ろすベッドの枕元に手をかざす。そこには眠っている夜凪さんがいた。
こう、改めて見ると、目を疑いたくなる光景だった。今ベッドに腰かけている黒髪の少女も夜凪さんだし、眠って横たわっているのもまた、夜凪さん。紛れもなく、彼女が二人存在している。いや、でも。意識は一つか。
僕はコンビニの袋を机に置いて彼女にエナジードリンクを渡す。彼女は待ってましたと言わんばかりに勢いよく栓を開けた。
「安達君」
彼女は自分の隣を叩く。座れということか。
僕も彼女の隣に腰かける。すると、不敵に笑った。
「ねえ安達君。今の私って、人に触れないの」
「ああ、うん。僕の眼球貫通してたね」
「だからさ」
彼女は寝ている自分の服に手をかける。そのまま、寝ている夜凪さんのさらりとした肩が露になっていく。
「今安達君が悪戯しても、私にはどうしようもできないんだ」
とんでもないことを言い出した。僕としては正直、ちょっと手を出すくらいならまあ満更でもないかな、なんて考えたりもしたけれど。一旦落ち着こう。
「夜凪さん、もうちょっと自分を大切にさ……」
「そういうのいいから。安達君は悪戯、してみたくない?」
彼女が迫ってくる。僕は弱ってしまった。だって悪戯したいから!
僕はここで軽く咳払いをして誤魔化しておく。
「悪戯は正直そそられるけど、しないよ」
「どうして? 私がいいって言ってるんだよ?」
「どうしてって。倫理的に良くないってのが一つ」
「安達君にそんなものないよ」
「それはごもっても。でもね、もう一つ。なんだか、夜凪さんらしくないからさ」
「らしくない?」
「夜凪さんだったら、もっとこう。正面から触れって言ってきそうだから」
「そう。……、まあそうだね。でもいいんだよ安達君」
彼女は更に寝ている自分の服をはだけさせていく。
「今の私はこういう子だから。遠慮しないでいいんだよ?」
こういう子か。今日の夜凪さんはえっちな子を引き当てたらしい。
僕はちょっとだけ。ちょっとだけ悩んだけれど。寝ている夜凪さんのはだけかけた服を元に戻した。
「いいの? 安達君。こんなチャンス滅多にないよ?」
「いいんだよ」
「つまんないの」
彼女は拗ねてしまったのか、パソコン前に戻ってまたゲームを始めてしまった。
「夜凪さん」
「なに」
無愛想な返事だ。
「夜凪さん、僕はね、思うんだよ。夜凪さんの良さはそこじゃないって」
「そこってどこよ」
「華奢でまっさらな肌も素敵なんだけどさ。そこだけじゃないんだよ」
彼女は少し興味があるのか、ゲームの手が止まる。
「夜凪さんの良さはね、『私、そういうの慣れてるから』みたいな態度を取りつつ実は内心胸が高鳴ってる、初心さを残してるところだと思うんだよ」
「は?」
彼女の態度が一変した。
「いやいや、そんなことないから。安達君勘違いも甚だしいよ?」
「ほら、そうやって焦る」
「焦ってないし!」
彼女から空き缶が飛んでくる。
「夜凪さん、図星だからって暴力に訴えかけるのはよくないよ。それは負けを認めたも同然」
「うるさい」
今度はマウスが飛んでくる。
「痛い……」
「ざまあみろ」
彼女はすっかりご立腹だった。
「夜凪さん」
「黙れ」
「夜凪さん、そういうところも可愛いよ」
「……」
直球な物言いに彼女は狼狽えたのか、先程までの威勢が消えていく。やっぱり初心じゃないか。
「……安達君は小賢しいね」
「それはどうも」
「褒めてないから」
彼女は溜め息を一つ吐くと、漫画を一冊投げてくる。僕の頭に直撃したそれは、僕が探していた漫画の続きだった。どうやら、コンビニに言ってる間に探してくれていたらしい。
「それでも読んで大人しくしてて」
僕は夜凪さん可愛いなと、ついこぼれてしまう笑みを隠しながら、漫画の続きを読み始めた。
また、ページを捲る音と、キーボードの打鍵音だけの部屋になる。それも心地良かったのだが、僕はふと一つ思い至った。
「ねえ夜凪さん」
「まだ何か?」
「いやさ、今後の予定でも決めておこうかと」
彼女はゲームの手を止める。
「安達君、私に一つ提案があります」
「なに?」
彼女はスマホを手に取るとなにやら調べ始める。そして僕にスマホを投げ渡しきた。
画面を見ると花火大会のホームページが開かれていた。
「夜凪さん、これは?」
「いちいち言わせようとするな」
駄目か。もっとそれらしく誘ってほしかったのだけど。
夜凪さんはこれに行きたいようで。ただ、場所がちょっと遠かった。
「駄目、かな」
そう、いじらしく尋ねてくる。駄目ではないけれど。
「遠くない?」
「そう?」
「まあ、夜凪さんがどうしても行きたいって言うなら? 考えなくもないけど」
「じゃあいいや、やっぱなしで」
あっさり身を引かれてしまう。僕は咳払いをして誤魔化しておいた。
「まあまあ、いいよ、行っても」
「ほんと?」
心なしか、彼女の心が躍っているような。全く、僕が夜凪さんのお願い事を聞かない訳がないのだから、こんなこと一つで上機嫌にならなくてもいいのに。
「でも夜凪さん、どうして? 近くでも祭りやってるよね」
「それはさ、ほら。花火が豪華らしいから、そっちのほうが」
「へえ」
今、なんとなくはぐらかされた気がする。まあ、追及はやめておこう。
「後ね安達君」
「まだ行きたいとこあるの?」
「うん。私の家に呼んだわけだし、次は安達君の家行きたいかなって」
「僕の家。か……」
それは大変な問題があった。
「何その反応、駄目なの?」
彼女の目つきが険しくなる。
「いやー、駄目と言いますか、その。ね」
未耶がいるのがなあ……。
別に、家に上げてもいいのだけれど。絶対未耶からあれこれ聞かれる。面倒臭い。それはそれで可愛いけれども、超面倒臭い。
「安達君は自分の部屋に可愛い女の子を上げたくないの?」
「自分で可愛いって言っちゃう?」
「事実だもん」
「まあそうだけどさ。……わかった、来ていいよ」
「全く、初めからそう言えばいいんだよ」
彼女は要望が通ってご満悦だった。
僕は弱い、夜凪さんに。
「じゃあ明日行くから」
「明日? いや、もうちょっと待ってほしい」
「やだ、明日行く」
言っても聞かなそうだった。仕方ない。部屋は汚いままでいこう。ありのままということで。
「わかったよ、じゃあ明日ね」
「うん、昼に行くから」
「……は?」
昼って、それはつまり別人の見た目で来ると言うことだろうか。
「夜凪さん? せめて夜にしない?」
「無理。夜は散歩があるから」
「そっか。うん、そうだよな」
駄目そうだった。これも仕方ない。未耶にはなんて言い訳しようか。まあ、夜の夜凪さんに会わせなければいいか。




