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 僕はどうやら、夜凪さんに大分と偏っていたらしい。長い夏休み、夜凪さんも誘ってくれないから何かすることはと、探してみたのだけれど。これと言って何もないのだ。強いて言えば、部屋に籠って読書。ただそれだけじゃ飽きてくる。

 よって、外に出てみた。だが一人だと暑さにばかり意識がいってしまって。僕はすぐに近場のショッピングモールに逃げ込んだ。

 その涼しさに身体が休まり、足を運んだ墓所は、書店だった。読書以外の何かを探しに来たのに。結局こうなるのか。

 気になる本を幾つか立ち読みする。

 気になる小説があったから、手を伸ばした。すると、大変ベタなことに、他の人もそれが欲しかったのか、手がぶつかった。


「あ、すいま、せん……」


 僕は戦慄した。いや、相手もしていたのだろう。

 僕たちは本に手を伸ばしたまま固まってしまっていた。


「…………久しぶりね」


 件の相手が、そう話しかけてくる。僕は、返事しない訳にもいかなかった。


「久しぶり、雪菜」

「名前で呼ばないで、寒気がする」


 僕が雪菜と呼んだ少女。髪を疎らに桃色に染めた、フリルの着いた、少女らしい恰好をした彼女は、なんというか。そう、今は古い知人とでも言うべき相手だろうか。

 僕は頭を掻くしかなかった。

 とりあえず、目的の本を取って彼女に渡す。するとどうだろうか。汚いものでも扱うように、彼女は本をひったくる。


「売り物なんだからさ」

「うるさい、喋るな」


 とんでもなく刺々しい態度だった。だが、それもそのはずなのだ。

 僕はとりあえず出会ってしまったことは棚に上げて、立ち読みを再開した。そして困ったことに、どうしてかは知らないけれど、彼女も横で読み始めてしまった。

 彼女は、杠雪菜は。まあ。言ってしまえば、僕の元彼女なのだ。中学の三年間、僕の青春を捧げた相手。

 前に夜凪さんにも言ったけれど、彼女は随分と横柄な態度を取る女性だった。そして僕はそれに応えるのが当たり前になっていた。

 付き合ったきっかけはどうだっただろうか。確か、本人は認めなそうだけれども、初めは彼女のほうからアプローチして。そうして仲良くなって、告白されて。そう、無難な始まりだった。始まりはなんてことなかった。

 だが最悪なのは別れ際だった。元々、別れる前から不満は溜まっていたのだろう。僕が理想と違うとか、私の気持ちを汲んでくれないとか、察してくれないとか。そんなことを言われた。そして最後は、とんでもなく暴言を吐かれた。ゴミとかクズとかはいつものこととして。陰険野郎、とか。すかすな、とか。存在が終わってる、とか。お前といると空気が汚染される、呼吸ができないとか。本当に散々な言われようだった。だが僕は慣れたもので。いつものことだったから軽く流した。今考えるとそれが良くなかったのかもしれない。彼女はきっと、反発して欲しかったのだろう。期待に応えてほしい男、寄り添いたい男として、何か、少しでもらしいところを見せて欲しかった。そんなところだろうか。

 だが甘い。僕は弱いのだ。弱かった、とても。彼女のエネルギーに応えられなかった。

 けれども。今思えば、楽しい思い出も多かった。よく出かけたし。会話はいつも彼女の一方通行だった気がするが、それも楽しかった。僕の貞操は守られたままだが、触れ合いもしたし、そういえば、一緒に寝たこともあったっけ。中学生にしては進んでいた。

 そうだな。今思えば、彼女はちょっとエッチな女の子だったかもしれない。そういうところも相性が良かったんだろう。

 それから、本の趣味もよく合った。先ほども、同じ本を手に取ろうとしたわけだし。お互いの部屋で、ひたすら本を読むだけのデートもした。親がいない日をお互い見計らって。

 彼女の手の体温は、どんなものだっただろうか。今じゃ思い出せないけれど、それはそれでいいかと、思わなくもない。

 こうして思い返してみると、本当に、本当に激しい女性ではあったが、とても良い子だった。また、今になって付き合ってみたらそれはそれで楽しいかもしれない。ただ、もう僕にそんな気はないし、彼女にもないだろう。

 だから、今僕たちはとても微妙な関係なのだ。一応未耶が持っているけれど、お互い連絡先は消したし、高校が違うから会うこともないし。もう出会いたくなかった関係、といったところだろうか。

 と、ここまで。耽って。僕は彼女を横目で観察する。どうして彼女は僕の横で立ち読みなんか始めてしまったのだろう。だが、ここで僕からいなくなるのも負けた気がするから、退くに退けない。

 どうしたものかと悩んでいると、彼女が口を開いた。


「あんま見ないで、うざいんだけど。殺したくなる」


 相変わらず、口が悪かった。そしてなぜ見られているとわかった。怖いんですけど。


「……どうして僕の横に居座る」

「は? あんたが勝手に消えればいいんじゃない?」

「僕は今読書に勤しんでるんだ」

「あっそ、奇遇ね」


 どうやら、彼女は退く気がないようで。僕は溜め息なんかが出てしまう。


「なんであんたが嫌そうにすんのよ」

「そりゃ嫌だろ。逆に雪菜は」

「だから名前で呼ばないで」

「……杠さんは嫌じゃないの? 僕と居て」

「私はね、あんたなんかのせいで自分の行動が妨げられたくないの」

「奇遇だな、僕もだ」

「そう、じゃあ消えて?」

「僕の話聞いてた?」

「あんたの話なんか聞く価値なくない? いいから早く帰りなさいよ」

「決めた。今決めた。絶対帰らない」


 彼女の肘が僕の脇腹に飛んでくる。結構痛かった。


「あのさ……」

「なに?」

「君、僕がやり返したら烈火の如くキレるよね?」

「当然じゃない。女の子に手出そうとするなんて最低ね」

「男女平等の観点は?」

「女の子は優遇される生き物なのよ。知らなかった?」

「それは君の中だけだろ?」

「そう。私は何事においても優遇されるの」


 なんて傍若無人なんだろう。


「君は」

「その君ってのもやめて」

「……杠さんは」

「名字で呼ばれるのもなんかきもい」

「……」

「やっと黙ったわね」

「僕は君と別れられて幸せだったらしい」


 今度は容赦のない蹴りが僕の足に飛んでくる。めちゃくちゃ痛かった。


「雪菜……、手加減して……」

「今のはあんたが悪い」


 それもごもっともで。

 僕は反省したところで、次に気になっていた本を手に取る。


「あんた、最近どうなの」


 雪菜は心底鬱陶しそうにしながらも、僕の近況を聞いてくる。


「どうって。そうだな。変わりないよ。毎日未耶がいて幸せだ」

「まだシスコン治ってないのね」

「治す気もないからな」

「それで?」

「それでって。他には……。ああ、ちょっと変な女の子と知り合ったよ」

「やらしいことしてないでしょうね」

「それはセナだけだって」

「それもどうかと思うけど。で? どんな子なの」

「だから、ちょっと変な子。ああでも、可愛いよ。君と同じくらい」

「あんた面食いだもんね」

「否定はしないけど」

「口ぶりからすると、仲良くなったの?」

「それはもう。僕の勘違いじゃなければ。僕の夏休みは充実しているよ」

「へえ」


 聞いてきた割には、気のない返事だ。


「雪菜はどう? 最近」

「変わらずよ。あんたと別れてからずっとつまんない人生だわ」

「それは悪かったね」

「後、男への憎悪が増すばかりね」

「じゃあ女の子とってのはどう?」

「それもありかも」

「ところで雪菜。聞きたいんだけどさ」

「なに? 内容次第では殺すわよ?」

「真面目な話だから……。さっきは充実してるって言ったけどさ、つい最近、その子が暫く会えないって言ってきたんだ。どう思う?」

「どうって。……そうね、愛想が尽きたんじゃない?」

「そんなはずはない」

「言い切るところがきもい。でも、そうじゃないならそれなりの理由があるんでしょ。わざわざ会えないって言うくらいだし」

「それは僕にもわかるよ。もっとこう、女子の視点からの意見が欲しい」

「そんなのない」

「役に立たないなあ」


 彼女の足が僕の足を踏みつぶす。とても痛かった。


「だから痛いって」

「私が悪いって言いたいの?」

「いえ、僕が悪かったです」

「それでいいのよ」


 彼女は読んでいた本を閉じる。


「あんたがどうしたいかじゃないの?」

「というと?」

「会いたいならあんたから誘えばいいのよ」


 僕は言葉を失った。


「……。そうか。確かにそうだ」

「バカなの?」

「いや、失念してたんだよ」


 いつも、夜凪さんに誘われてばかりだったから。そういうものだと勝手に思い込んでいた。


「ありがとう雪菜。今日君に会えてよかったよ」

「あっそ」


 彼女は買う本を決めたのか、そのまま僕の元を去ろうとする。それを黙って見送る、つもりだったのだが。僕は大事なことを思い出した。


「雪菜」

「なに」


 面倒そうに彼女は振り返る。そんな彼女に、これを言うのは憚られるが、言うしかなかった。


「あのさ。実は僕、今日財布を忘れたんだ」

「……」

「……」


 彼女が僕に近づいて来る。そして黙って僕のお腹に握った拳が突きつけられた。


「痛い……」

「何冊?」


 彼女は聞いてくる。僕は臆することなく答えた。


「五冊」


 もう一度拳を食らったのは、言うまでもなかった。


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