武辺者[2]
金沢城を発した三千の軍勢は、うろこ雲の下、街道をゆるやかに進んでいた。
朝の光を受けて、甲冑は新しい漆を鈍く照り返し、幟は風を孕んで鮮やかにたなびく。遠目には、まるで祭礼の行列のようであった。色とりどりの旗が波打ち、槍の穂先が陽を弾くたび、きらきらと光が散る。
だが、その中枢にいる花房助兵衛の目には、まるで違う景色が映っていた。
馬上から見下ろす列は、どこかだらしない。足並みは揃わず、列はところどころで歪み、間延びしている。兵たちの顔には緊張よりも、気の抜けた安堵が浮かんでいた。
──緩みきっている。
胸の内で、低く吐き捨てる。
勝ちは決まっている。そう思い込んでいる空気が、軍全体に染みついていた。
笑い声が混じる。無駄口が飛び交う。槍を肩に担ぐ手にも、力が入っていない。
助兵衛は、ゆっくりと視線を巡らせた。
寄せ集め──その言葉が、これほど似つかわしい軍もない。
浪人たち。腕に覚えのある者ばかりなのだろう。だが、腕の強さと、軍としての強さはまるで別物だ。戦とは、個の力ではなく、統の力で勝つ。
号令一下、一つの塊となって押し潰す。それができぬ軍は、ただの群れに過ぎない。
──これでは、いざというとき崩れる。
脳裏に、幾度も見てきた敗走の光景がよぎる。列が乱れ、誰かが逃げ、連鎖して崩壊する。血と土煙の中で、名もなき者たちが踏み潰されていく。
その未来が、今の行軍の中に透けて見える。
本来であれば、出陣前に叩き直すべきであった。足並みを揃え、隊列を覚えさせ、声一つで動くように鍛え上げる。時間さえあれば、それは不可能ではない。
だが、その時間は与えられなかった。
飛騨攻めの総大将。
その任が、あまりにも唐突に下されたからだ。
助兵衛は、わずかに歯を噛み締めた。
後に知ることとなる。
この人事が、小早川秀秋の側用人、栢谷典膳の献策であったことを。
典膳。
その名を思い浮かべると、胸の奥に微かな違和が残る。
かつて同じ宇喜多の家に仕えていたというが、顔を合わせた記憶はない。いや、正確には、見えていなかったのだろう。
あの頃の助兵衛にとって、典膳のような下役は、視界に入る存在ですらなかった。
──今は、逆だ。
皮肉なものだ、と内心で嗤う。
助兵衛自身は、身分の上下など気にもかけぬ。だが、典膳にとっては違う。かつて仰ぎ見ることすら叶わなかった武辺者を、己の裁量で動かす。
それだけで、どれほどの優越を感じているか。
考えるまでもない。
──馬鹿げた話だ。
吐き捨てるように思うが、その「馬鹿げた」思惑の上に、今の自分が立たされている現実もまた、動かし難い。
助兵衛は、ふと視線を遠くへやった。
街道の先は、淡い蜃気楼に溶けている。
その向こうにあるはずの戦場を思い描く。
そして脳裏に浮かぶのは、徳川の軍勢だった。
無駄のない動き。揃った足並み。静まり返った行軍の中に潜む、張り詰めた気配。
あの精鋭たちであれば。
助兵衛の胸に、鈍い痛みが走る。
──せめて、徳川の家士を預けられていれば。
思わず、奥歯が軋んだ。
三千。
同じ数であっても、中身が違えば意味はない。あの鍛え抜かれた兵であれば、白雲城など造作もなく呑み込める。己もまた、何の憂いもなく、存分に刃を振るえたはずだ。
だが、それは叶わぬ夢だ。
徳川の中での己の立場を、助兵衛はよく知っている。
旧旗本とはいえ、その歴は浅い。井伊直政のような重臣を差し置いて軍を預かるなど、あり得ぬ話だ。
そして、今回の布陣にはもう一つの意図がある。
典膳の策。
加藤清正、井伊直政。
いずれも、一国を背負って立つに足る武将。その名を並べただけで、軍の威は跳ね上がる。
だが強すぎる力は、ときに主を食う。
秀秋の影が薄れる。それを恐れた典膳は、均衡を求めた。
二ではなく、三。
互いに牽制し合い、どこにも寄らぬ形。
そこに差し込まれたのが、花房助兵衛という駒である。
清正にも、直政にも及ばぬ。
だが、武辺者としての名はある。
その微妙な位置。
劣等と矜持の狭間で揺れるであろう心。
それを煽り、競わせることで、三すくみを成立させる。
──よく考えたものだ。
感心すら覚えるが、同時に、胸の奥に冷たいものが沈む。
人を、駒として扱う発想。
それ自体は珍しくもない。戦とは、そういうものだ。
だが。
助兵衛は、己がその盤上に乗せられていることを、はっきりと自覚していた。
飛騨攻めの総大将。
浪人ばかりを与えられた理由。
すべてが、一本の線で繋がる。
──試されている。
それも、戦そのものではない。
この男は、使えるか否か。
その一点だ。
助兵衛は、静かに息を吐いた。
胸の内に、わずかな熱が灯る。
侮られているわけではない。だが、値踏みされている。
それが、気に食わぬ。
馬の首を、軽く叩く。
歩調がわずかに整う。
だが後列までは伝わらない。やはり、群れだ。
──ならば。
群れを、軍に変えるしかない。
それができなければ、この戦は──いや、この先すらない。
助兵衛の目が、わずかに細められる。
その奥に、戦場で幾度も見せてきた、あの鋭い光が宿る。
だがその光が、全軍に届く前に。
歯車は、早くも軋み始めていた。
出陣から三日目。
事件は、起こるべくして起こった。
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