武辺者[3]
加賀と越中の境に横たわる二俣越は、すでに秋の気配に沈んでいた。山々はまだ緑を残しながらも、ところどころに赤や黄が混じり始め、風が吹くたびに乾いた葉がはらはらと舞い落ちる。空は高く、雲は薄く流れ、どこまでも澄んでいる。
その下を、三千の軍勢が進んでいた。
甲冑は秋の日差しを鈍く弾き、幟は冷えた風を受けて重たげに揺れる。だがその列は、山道の起伏に乱れ、ところどころで間が空き、締まりを欠いていた。
やがて国境を越え、最初の集落──小又村が見えてくる。
茅葺きの屋根からは白い煙が上がり、畑には刈り入れを終えた稲の匂いが漂っていた。実りの季節の、穏やかな光景。
だが、軍勢が近づくにつれ、村の空気は目に見えて強張っていく。人影は戸口の奥へと引き、犬の吠える声が遠くに消えた。
助兵衛は、その村に陣を布いた。
背後に山、前に開けた畑。簡素な本陣の床几に腰を下ろし、行軍の緩みを思い返していた、そのとき……。
駆け込んできた伝令の息が、荒い。
ただならぬ気配。
「なに……」
問い返すより早く、言葉が叩きつけられた。
「足軽どもが、村の娘を──拐かし、手籠めに……!」
一瞬、音が消えた。
風の音も、遠くのざわめきも、すべてが遠のく。
「なに!?」
助兵衛は床几を蹴るように立ち上がった。
胸の奥で、何かが弾ける。怒りが、熱を帯びて一気に全身を駆け巡る。
──やりおったか。
軍令は布いてある。乱暴狼藉は禁ずる。違えれば打ち首。
それを、承知で。
しかもここは敵地ではない。まだ戦は始まっていない。領内の村だ。
それでも、やった。
脳裏に、稲の匂いに混じる別の臭いが浮かぶ。押さえつけられ、泣き叫ぶ娘。笑いながらそれを囲む男たち。
喉の奥に、苦いものがせり上がる。
──獣以下だ。
視界が、わずかに暗くなる。
これは一人の愚行ではない。軍そのものが、腐り始めている証だ。
「狼藉者どもを儂の前に連れてこい!!」
怒声が、秋の空気を震わせた。
やがて本陣前に引き据えられたのは、四人の足軽。
いずれも面構えは荒く、幾度も修羅場を潜ってきたことが一目でわかる。だがその目にあるのは怯えではなく、どこか開き直ったような光だった。
後ろ手に縛られてなお、背を丸めることもない。
助兵衛は、その姿を冷たく見下ろした。
報せによれば、村に入るや否や女を物色し、二人を納屋へ引きずり込んだという。悲鳴はすぐに広がり、村人が騒ぎ、顔役が抗議に来た。
それでようやく発覚。
だが──。
目の前の四人には、微塵の悔いも見えない。
「お主らは、儂の布令を知っていたはずだ。乱妨取りは打ち首と……」
低く、押し殺した声。
「へえ……承知はしてましたがね。どうにも、息子が──」
返ってきたのは下卑た笑いを含んだ軽口だった。
瞬間、他の三人も噴き出す。
乾いた笑いが、本陣前に広がった。
助兵衛の中で、何かが静かに切れる。
──舐めている。
この程度で、本当に首を刎ねられるはずがない。
そう高を括っている。
それが、この笑いだ。
戦の世において、乱妨取りは珍しくない。禁じられながらも、黙認されることが多い。士気のため──そんな言い訳が、まかり通っている。
だが。
助兵衛にとっては、関係のない理屈だった。
「そうか」
ひとこと、落とす。
「ならば──その不始末、親がけじめを付けるのだな」
言い終わるより早く、腰の刀が抜かれていた。
風を裂く音。
次の瞬間、一人の首が宙を舞う。
血が噴き上がる。
笑いは、そこで途切れた。
何が起きたのか、理解する間もない。
二人目。三人目。四人目。
刃は迷いなく振るわれ、そのたびに肉を断ち、骨を断ち、首を断つ。
わずかな間の出来事だった。
地に転がる四つの首。
遅れて、血の匂いが広がる。
助兵衛の全身は、返り血で赤く染まっていた。頬を伝う血が顎から滴り、衣の上をゆっくりと流れ落ちる。
その姿は──まさしく赤鬼。
息を呑む気配が、周囲に満ちる。
武将たちは知っている。
人の首を斬るということが、どれほど刀に負担をかけるかを。一太刀で刃は傷み、脂が絡みつき、切れ味は鈍る。
本来、一振りで終えるべきものだ。
それを四人。
しかも、すべて一刀で。
誰もが、言葉を失っていた。
助兵衛は、ゆっくりと刀を振り、血を払う。
刃先から飛び散った赤が、地に点々と落ちた。
「この痴れ者どもの首を、村の出口に晒せ」
それだけを言い捨てる。
声には、もはや怒りの熱すらない。
ただ、冷たい決定だけがあった。
本陣の奥へと歩み去る背を、誰も引き止めることはできない。
翌朝。
村の外れに晒された四つの首は、通り過ぎる兵すべての目に入った。
ざわめきは、すぐに全軍へと広がる。
あの大将は、本当にやる。
躊躇なく、首を刎ねる。
その認識が、兵たちの背筋を凍らせた。
緩みは、消えた。
足並みが揃い、声は消え、列は締まる。
昨日までの寄せ集めが、別のものへと変わっていく。
もともとが、戦場を渡り歩いてきた猛者の群れだ。締める者さえいれば、その本性はすぐに顔を出す。
馬上からそれを見下ろしながら、助兵衛は静かに息を吐いた。
胸の奥にあった澱が、わずかに晴れる。
──これでいい。
いや。
──これで、ようやくだ。
まともな戦が、できる。
福光を抜け、城端関を越え、軍は飛騨街道を南へと下る。
秋の風が、幟を鳴らす。
その音は、もはや乱れていない。
助兵衛の率いる三千は、いつしか虎狼の群れと化していた。
その牙は、まっすぐに──白雲城へと向けられている。
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