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Last rewrite  作者: 蒼了一


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武辺者[1]

 武勇に秀で、戦場において比類なき働きを立てた者だけに与えられる呼び名がある──武辺者。


 それは単なる誉れではない。名を聞くだけで兵が震え、旗を見ただけで敵が道を空ける。幾十万といる武士の中で、その域に至る者は、ほんの一握りに過ぎなかった。


 ゆえに、大名たちはその名を欲した。武辺者一人を抱えることは、一国に等しい威を得る。


 かつて石田三成が、己の俸禄の半ばを割いてまで島左近を迎えたのも、そのためであった。左近の名は、ただそこに在るだけで、軍の威勢を倍加させた。


 ──名は、刃である。


 その刃を、自らの内に宿していた男がいた。


 花房助兵衛職秀はなぶさすけのひょうえもとひで


 美作の山野に生まれ、宇喜多の旗のもとで戦場を駆け抜け、幾たびも血煙の中から生還した男。その名は、いつしか戦場の風に乗り、諸国へと伝わっていった。


 だが助兵衛という男は、名声によって丸くなるような性質ではなかった。


 曲がったことを嫌う──などという生易しいものではない。彼にとって、筋が通らぬことは、それだけで斬るべき対象であった。相手が誰であろうと関係はない。主君であろうと、天下人であろうと、だ。


 その性根を世に知らしめたのが、あの小田原の陣である。


 天正十八年。


 二十万の軍勢が、小田原の城を取り囲んでいた。山を削り、野を埋め尽くすほどの兵の群れ。幾重にも張り巡らされた陣幕の白が、夏の日差しを弾いて眩しく光っている。


 だがその中心、豊臣秀吉の本陣は、異様な静けさに包まれていた。


 いや、静けさではない。むしろ、そこには戦場とは思えぬ華やぎがあった。


 能が舞われていた。


 笛の音が、戦の気配を切り裂くように高く響き、鼓がゆるやかな調子で応じる。舞台の上では、白粉を施した面が無表情のまま、優雅に首を傾けていた。


 血の匂いと、香の匂いが混じり合う。


 兵たちは、それを遠巻きに見つめていた。笑う者もいれば、ただ黙って目を逸らす者もいる。だが誰も、それを咎めることはできない。天下人の遊興である。


 その只中を一騎の馬が、砂を蹴って進んできた。


 蹄の音が、笛の音を踏み潰すように響く。


 馬上の男は、視線を前に据えたまま、速度を緩めようとしない。


 花房助兵衛であった。


 衛士たちが色めき立つ。


「下馬せよ!」


 怒声が飛ぶ。槍の穂先が、わずかに持ち上がる。


 だが助兵衛は、手綱を引くどころか、むしろわずかに顎を上げた。


 その眼には、明確な軽蔑があった。


 ──戦場で、能。


 胸の奥に、言葉にならぬものが渦巻く。これは何だ。ここはどこだ。血を流して死んでいった者たちは、何のために斬り合った。


 ふと、これまで斬ってきた敵の顔が浮かぶ。名も知らぬ男たち。彼らは、こうした光景のために死んだのか。


 喉の奥が、焼けるように熱くなる。


「戦場で能などして遊ぶ腰抜けに、下馬する理由はない」


 吐き捨てるように言った。


 その一言は、風のように広がり、場の空気を一瞬で凍らせた。


 誰もが息を呑む。


 衛士の手が震える。抜けば、ただでは済まぬ。だが抜かねば、面目が立たぬ。


 その逡巡を置き去りにして、助兵衛の馬は進む。


 その背を、誰も止めることはできなかった。


 やがて、この無礼は秀吉の耳に入る。


 激怒は当然であった。助兵衛の主君、宇喜多秀家に誅殺の命が下る。


 だが──その命は、二転三転する。


 怒りのままに斬るには、惜しい。あの男の胆力、あの眼の据わり方。あれは、ただの無礼者ではない。


 秀吉の胸中にもまた、言葉にし難い感情があった。


 結果、助兵衛は命を拾い、さらに加増されることになる。


 だが当の本人は、それを受け取らなかった。


 戦で手柄を立ててもいないのに、禄を増やされるなど恥である。


 ただそれだけの理由であった。


 秀家の胸中には、冷たいものが残った。


 なぜ、ここで折れぬ。


 なぜ、己のために折れてくれぬ。


 主君としての体面と、武人としての矜持。その狭間で、助兵衛は一切の迷いを見せなかった。


 その在り様は、頼もしいを通り越し、どこか異様ですらあった。


 やがて文禄四年。


 その歪みは、ついに破裂する。


 秀家の怒りを買い、助兵衛は宇喜多を離れることとなった。


 徳川家康の斡旋により、佐竹義宣の預かりとなり、後に徳川の旗本として取り立てられる。


 だが関ヶ原。


 戦はすべてを奪った。


 敗北とともに、所領は消え、名もまた風に散る。


 残ったのは、ただ一つ。


 己の矜持だけであった。


 浪人。


 その響きは軽い。だが、助兵衛にとっては、ただ在るべき姿に戻っただけに過ぎない。


 誰に仕えるでもなく、ただ己の剣に従う。


 それだけでよかった。


 ──はずだった。


 そこに、手を差し伸べた者がいる。


 小早川秀秋。


 若く、頼りなく、どこか覚束ない主。


 助兵衛は、その名を聞いたとき、わずかに眉をひそめた。


 この男に、何ができる。


 この男のもとで、何を為せる。


 だが──背後には、食わせねばならぬ者たちがいる。


 家族。郎党。飢えに怯える顔。


 助兵衛は、静かに目を閉じた。


 己一人の矜持ならば、いかようにも貫ける。だが、他者の命を背負った瞬間、それは刃にも枷にもなる。


 やがて目を開く。


 その瞳に、迷いはなかった。


 ──仕方あるまい。


 それは、諦めではない。


 戦場に立つ者の、冷徹な決断であった。

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