表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last rewrite  作者: 蒼了一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

75/83

戦雲暗流[1]

「誰かと思えば、眸海か……」


 金沢城北丸の勝手口。十畳敷きの板の間は、雑然と積み上げられた荷の影に沈み、昼なお薄暗い。干し草と油の匂いが混じり、湿った木の香りが鼻をつく。人ひとりがやっと通れる隙間を、外気がかすかに這い込み、土間の冷えを運んでいた。


 女中からの言付けを受け取った佐助は上がり框に腰を落とし、無造作に胡座をかく。その視線の先、土間の奥に、影のように控える眸海の姿があった。


 その佇まいに、ふと胸の奥が引き締まる。


 ──相変わらず、隙がない。


 軽口を叩いたつもりだった。だが、返ってきたのは舌打ちと、氷の刃のような一言だった。


金沢(ここ)での儂は権助だ。お前は素人か?」


 声は低く、押し殺されている。それでもなお、空気がぴたりと張り詰めた。わずかな物音すら、敵に聞かれているのではないかと錯覚するほどに。


 佐助は肩をすくめ、わざとらしく周囲を見回した。


「こんなところで聞き耳を立ててる奴なんていないさ」


 だがその言葉を口にした瞬間、自分の中のどこかがわずかに軋む。


 ──油断、か。


「誰もいないからこそだ。己が甲賀者であることを忘れたか? ……松永殿」


 最後の呼び名に、佐助の顔が一瞬だけ曇る。


 間者として潜入してひと月。名も立場も偽り、他人として生きる日々。気を抜けば、本来の自分が顔を出す。


 それは死を意味する。


「……悪かったよ」


 軽く笑ってみせるが、その笑みの裏で、意識はすでに引き締まっていた。


 ──やはり、この男には敵わない。


 伊達政宗の影として動く眸海と、真田源次郎に仕える自分。同じ忍でありながら、その研ぎ澄まされ方は明らかに異なる。


 自分はまだ、どこかに「人」を残している。


 だが、眸海は違う。


 佐助は懐から小さな紙折を取り出し、指先で軽く弾いた。紙の感触とともに、この一月の潜入の日々が脳裏をよぎる。酒席での世間話、下働きの愚痴、何気ない噂話──それらを繋ぎ合わせて得た断片が、ようやく形を持った。


「これが北蔵に積まれた具足だ。ざっと三千。飛騨攻めの数と見て間違いない」


 差し出した紙を、眸海は一瞥しただけで受け取る。その目はすでに内容を読み終えたかのように静かだ。


「雷振筒は?」


 間を置かず飛んできた問いに、佐助は小さく息を吐く。


「数までは掴めん。だが……十は持ち出すだろう」


 その言葉に、土間の空気がわずかに重くなる。


 雷振筒──戦の流れを返る異次元の代物。


「どこから持ってきたのやら……」


 眸海の呟きは、風に溶けるほどに小さい。


「さあな。そればかりは、栢谷典膳(かいだにてんぜん)に聞くしかない」


「典膳……?」


「金吾様の側用人だ。元は宇喜多の人間らしい。最近は家老衆の評定にも顔を出してる」


「元宇喜多が雷振筒を……」


 理屈の合わぬ話だ。だが戦とは、往々にして理屈の外側で動く。


「深い事情はわからん。ただ、奴が持ってくる。それだけは確かだ」


 沈黙が落ちる。


 外では風が松を鳴らし、遠くで誰かの足音が響いた気がした。


 佐助は無意識に息を潜める。


 こういう一瞬が、一番危ない。


「ならば探るほかないな」


 眸海の声は変わらない。だがその奥に、わずかな決意の色が滲んでいた。


「守りは堅いが……やってみるさ」


「飛騨攻めの大将は?」


「名乗りは多いが……花房若狭が本命だとよ」


「……助兵衛か」


 その名に、空気がさらに冷える。


 歴戦の武将。油断の通じぬ相手。


 だが、佐助はあえて肩を竦めてみせた。


「なあに、若がいれば恐るるに足らん」


 軽口。しかしそれは、ただの虚勢ではない。


 あの男ならば──という確信が、どこかにある。


「別に恐れてはおらぬ。だが、用心に過ぎるということはない」


 淡々とした返答に、佐助は小さく笑う。


「戦が始まれば、あとは白雲城任せだな」


「松永殿は引き続き典膳を探られよ。儂は一度、飛騨へ戻る」


 短く、無駄のない指示。


 それを最後に、眸海は紙折に火を点けた。


 ぱち、と小さな音がして、炎が走る。


 紙は瞬く間に黒く縮み、灰へと変わっていく。その様子を、佐助はじっと見つめた。


 これで証拠は消えた。


 同時に、この場で交わされたすべての言葉も、なかったことになる。


 それが、彼らの生き方だった。


 灰が土間に落ちきるころ、ふと気配が消える。


 顔を上げたときには、もうそこに眸海の姿はなかった。


 風だけが、わずかに揺れている。


 佐助はしばらくその場に座ったまま、空になった土間を見つめていた。


 胸の奥に残るのは、わずかな緊張と、言い知れぬ昂り。


 戦が、近い。


 そう思った瞬間、唇の端をほんの少しだけ噛みしめた。

読んでくださり、本当にありがとうございます!


この作品を「続きが気になる」と思っていただけたら、

ぜひブックマークとポイント評価をお願いしますm(_ _)m


応援が増えるほどヤル気が爆上がりします……!


感想も一言でもくれたら即返信+X(旧Twitter)で感謝ポストします!


次回もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ