死線[6]
視線を向ける。
遠く、街道の先。
一騎の騎馬が必死に駆けている。
──赤城弾正。
間違いない。
それを追う騎馬たち。
だが、距離はある。
道は曲がり、追撃は届きそうにない。
そのとき。
藤四郎は、すでに動いていた。
手に取ったのは──長竿。
静かに筒先を木柵に据える。
頬を寄せる。
覗き玉。
蛍石のレンズが、わずかに赤みを帯びた光を返す。
その先に。
逃げる背が、はっきりと浮かび上がる。
距離、風、揺れ。
すべてを一瞬で計算する。
「…………すぅ」
細く、長い呼吸。
引き金に、指がかかる。
──止まる。
世界が、止まる。
そして。
撃った。
ドンッ──!!
轟音が、遅れて響く。
視界の中で。
赤城弾正の体が、ぐらりと揺れ──。
馬上から、崩れ落ちた。
「なっ……」
「何が起こった!?」
「今のは鉄砲か!?」
周囲がどよめく。
距離にして、四百メートル以上。
それを──。
たった一発で。
仕留めた。
「わっぜかッ! わっぜかッ!」
七郎が手を叩きながら叫ぶ。
「流石なごわす、孫市どんッ! あんごたっ遠当て、誰もでけんどッ!!」
その声に応じるように。
白雲城の軍勢が、鬨の声を上げた。
勝鬨が、山々にこだまする。
空気が震える。
すべてが、終わった。
野伏せりは、完全に消え去った。
*
政宗の軍勢に護られながら、賀津たちは町屋村へと辿り着いた。
だが──。
そこにあったのは、もはや「村」ではなかった。
風が吹くたび、乾いた土とともに血の匂いが舞い上がる。
家々は荒らされ、戸は破られ、道は踏み荒らされている。
そして。
そこかしこに、転がる影。
人の形をしたものが、あまりにも無造作に、地面に捨てられていた。
路上に。
田の中に。
家の軒先に。
老いた者も、若い者も。
男も女も。
区別はなかった。
ただ──。
命だったものが、そこにあるだけだった。
賀津の足が、止まりかける。
だが、次の瞬間には駆け出していた。
迷いはない。
善兵衛の家へ。
あの場所へ。
胸の奥で、何かが叫んでいる。
間に合え。
まだ、間に合え。
願いとも祈りともつかぬ思いを抱えたまま、戸口をくぐる。
そして──。
見た。
倒れている二つの影。
善兵衛と、その妻。
そのすぐ傍らに。
母の裾を掴んだままの小さな体が、寄り添うように横たわっていた。
「…………っ」
声が、出ない。
空気が喉に張り付いて、息すらうまく出来ない。
足が震える。
それでも、一歩、また一歩と近づく。
手を伸ばす。
触れる。
冷たい。
あまりにも、冷たい。
賀津は、その小さな体を抱き上げた。
軽い。
信じられないほど、軽い。
まるで、そこに命があったことすら、嘘のように。
喉の奥から、声にならない音が溢れた。
泣き声ですらない。
ただ、壊れたような息。
震える肩。
視界が滲む。
涙が、止まらない。
──おねぇちゃん、これあげる。
あの時の声が、はっきりと蘇る。
小さな手。
差し出された石。
無邪気な笑顔。
胸が、引き裂かれる。
賀津は、チサを強く抱きしめた。
壊れてしまいそうなほどに。
遅かった。
自分は、遅かった。
あの日、この村を離れた。
その選択が、頭の中で何度も繰り返される。
もし──。
あの時、残っていれば。
もし──。
ここに、いれば。
全員は無理でも。
せめて、この子だけでも。
救えたかもしれない。
その考えが、何度も何度も胸を抉る。
だが同時に。
それが、どうしようもない幻想であることも分かっていた。
この世は、まだ戦の中にある。
野伏せりは各地に現れ、無数の村を襲っている。
町屋村が襲われたのが、一昨日だっただけのこと。
それが十日後だったら。
ひと月後だったら。
自分は──。
この事実すら知らずに、どこかで笑っていたかもしれない。
後悔する資格すら、なかったかもしれない。
だからこそ。
この痛みは、逃げ場がなかった。
賀津は、ただ泣いた。
声を押し殺しながら。
腕の中の温もりが、もう戻らないことを知りながら。
やがて。
現実が、容赦なく押し寄せてくる。
生き残った者は、ほとんどいない。
このままでは、遺体はすぐに腐敗する。
春の終わりの気温。
放置すれば、疫病が広がる。
悲しみに浸る時間すら、与えられない。
政宗の指示が飛ぶ。
荘川の河原へ。
材木を集め、積み上げる。
即席の火葬場。
村人たちの亡骸を、一人、また一人と運ぶ。
重い。
冷たい。
だが、それでも運ぶしかない。
火が入る。
ぱちぱちと音を立てて、炎が立ち上る。
煙が、空へ昇っていく。
誰もが無言だった。
泣く者も、叫ぶ者もいない。
ただ、見ている。
燃えていく命の名残を。
すべてが灰になるまで。
数日後。
逃げ延びた村人たちが、ぽつり、ぽつりと戻ってきた。
だが、かつての町屋村は、もうどこにもなかった。
焼け跡と、灰と。
記憶だけが、残されている。
その光景を背に。
政宗が、静かに口を開いた。
「その方らの働き、実に見事であった」
労いの言葉。
だが、その声には、戦場を知る者だけの重みがあった。
「礼を兼ねて慰労したい。ぜひ我らの城へ」
断る理由はなかった。
もとより、目指していた場所。
白雲城。
賀津は、そっと懐に手を入れた。
そこには、あの蛍石がある。
小さな光。
失われたものの証。
それを握りしめる。
痛みは、消えない。
きっと、これからも消えない。
それでも。
歩くしかない。
賀津たちは、政宗の軍勢とともに進んだ。
やがて──。
白雲城の門が、静かにその姿を現した。
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