死線[5]
「賀津殿……」
──終わった。
そう思った瞬間に、世界がひっくり返った。
前方にはなお迫る骨喰党。
そして背後から、土を叩き割るような蹄の音。
挟まれた。
逃げ場は、どこにもない。
藤四郎は、ほんのわずかに目を伏せた。
「……そうか……」
声にならない声が、喉の奥でほどける。
頭の中に、光が走る。
走馬灯──そんな言葉が、どこか遠くに浮かぶ。
賀津の顔。
笑っている顔。
不満そうに唇を尖らせる顔。
無茶を言って、困らせる顔。
交わした言葉が、断片のように次々と蘇る。
守ると、誓った。
守れると、思っていた。
だが──。
(守れなかった──)
胸の奥が、静かに沈む。
退却戦は、完全な挟撃戦へと変わった。
前門の虎、後門の狼。
古い言葉が、妙に実感を伴って浮かぶ。
藤四郎は、七郎と背中を合わせた。
互いの体温が、かすかに伝わる。
それだけで、十分だった。
振り返る必要はない。
どちらがどこを見るかも、言うまでもない。
前を見据える。
ここが──死に場所。
ならば、せめて。
少しでも多くを道連れにする。
それが、残された役目だった。
不思議と、心は静まっていた。
さきほどまでの焦りが、嘘のように消えている。
藤四郎は銃に手をかける。
残弾を、冷静に数える。
何発撃てるか。
どこまで引きつけるか。
何人倒せるか。
計算が、淡々と頭の中を巡る。
七郎もまた、同じだった。
雷振筒の筒先にブラシを通す。
火薬の残滓を払い、次弾に備える。
その動きには、一切の迷いがない。
──最期の支度。
それを、二人とも理解していた。
そのとき。
「……し……ろう……さぁん……」
風のような声が、背後から届いた。
藤四郎は眉一つ動かさない。
幻聴だ。
そう思った。
だが──。
「ち……ろう……さぁん……」
今度は、はっきりと聞こえる。
近い。
確かに、近づいている。
それでも藤四郎は振り向かない。
目の前の敵から視線を外すことは、死を意味する。
だが次の瞬間。
「藤四郎さーん! 七郎さーん! 味方だー! この人たち味方だー!」
叫びが、戦場を貫いた。
はっきりと。
疑いようもなく。
賀津の声で。
藤四郎は、思わず七郎と顔を見合わせた。
「味方!?」
「味方なて、どこっから湧っでったとなッ!?」
反射的に振り返る。
そこにあったのは──。
土煙を裂いて突き進む騎馬の奔流だった。
先頭を駆ける、僧形の武者。
その背後で、大きく手を振る賀津の姿。
生きている。
無事だ。
その事実が、胸に一気に流れ込む。
「賀津殿!! ご無事か!?」
「俺は平気だー! 村の人達も!」
その声に、藤四郎の肩から力が抜けた。
だが次の疑問が湧き上がる。
「どこん軍勢じゃッ!? 大将は……大将は誰なッ!?」
答える暇もない。
騎馬の群れが、二人を避けるように左右へ割れる。
そして──。
「六左! 敵の左を突け! 源次郎は右だ! 一人も逃すな!!」
鋭い号令が響いた。
「委細承知ぃ!!」
「お任せくだされ!」
その瞬間。
馬群が、牙を剥いた。
左右に分かれた騎馬が、一斉に加速する。
地面が唸る。
風が裂ける。
──吶喊。
まるで猛獣の群れが獲物に飛びかかるように、骨喰党へと突き刺さる。
ドゴォッ!!
激突。
槍が閃き、刀が走る。
肉が裂け、血が噴き上がる。
野伏せりたちは、反撃の構えすら取れない。
速すぎる。
重すぎる。
統制された暴力が、一方的に蹂躙する。
一騎、また一騎と倒れる。
叫びが、悲鳴が、瞬く間に押し潰されていく。
さきほどまで優勢だったはずの野伏せりが、塵のように吹き飛ばされていった。
藤四郎と七郎の前に、一騎の武者が馬を止める。
僧形。
剃り上げた頭。
そして──右目を覆う布。
ただ立っているだけで、空気が張り詰める。
その背後から、賀津が飛び降り、駆け寄ってくる。
「賀津殿! ご無事で何より」
藤四郎の声に、安堵が滲む。
「助かったよ! この人たちは白雲城から来てくれたんだ! 野伏せりの討伐だって!」
その言葉に、すべてが繋がった。
昨夜の伝令。
馬借が運んだ知らせ。
それが──ここまで届いたのだ。
「拙僧は玄舜坊。ここの兵を預かっている。何より無事で良かった」
静かな声。
だが、その奥に潜む圧は尋常ではない。
「はっ、ご助勢、誠に有り難く存じます」
藤四郎は深く頭を下げた。
「よしてくれ。ここは内ヶ島の領内。野伏せり退治は我々の仕事だ」
玄舜坊こと政宗は軽く首を振る。
「そなたたちこそ、よく奮戦してくれた」
その言葉には、確かな敬意があった。
ふと、声が上がる。
「一人逃げたぞー!!」
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