死線[3]
歓声が、まだ村のあちこちで弾けていた。
だが賀津の胸の内には、その喜びは届いていない。
立ち上がる。
足が、自然と南を向く。
町屋村──あの小さな家と、チサの笑顔がある場所へ。
行かなければ。
確かめなければ。
無事かどうかを。
だが、一歩踏み出した瞬間。
肩を、強く掴まれた。
「どこへ行くつもりですか?」
振り向くと、藤四郎の目があった。
静かだが、鋭い光を宿している。
「町屋村に……チサが心配で……」
声が、わずかに震える。
藤四郎は、ゆっくりと首を振った。
「まだ危険です」
はっきりと言い切る。
「野伏せりたちは、全員死んだわけではないのですよ」
その言葉は、あまりにも正しい。
だからこそ、何も言い返せない。
賀津は唇を噛みしめた。
胸の奥が焼けつくように痛む。
分かっている。
今行けば、自分が死ぬだけかもしれない。
それでも──。
行きたい。
あの子が、泣いているかもしれないのに。
助けを求めているかもしれないのに。
何も出来ずにここにいる自分が、どうしようもなく歯痒かった。
そのとき、鋭い声が響く。
「怪我人を、手当てしやい!!」
七郎だ。
血に濡れた地面を踏みしめながら、村を駆け回っている。
「よかかッ! 傷口は心の臓ん上にして、血んこぼれを少なかすっのじゃ!!」
荒々しい口調だが、その指示は的確だった。
戦場で何度も見てきた光景。
何度も仲間を救ってきた経験。
村人たちは慌ただしく動き出す。
倒れた者を運び、布で血を押さえ、水を持ってくる。
さっきまで歓声を上げていた顔が、今は必死の色に変わっていた。
──戦は、まだ終わっていない。
その現実が、じわじわと広がっていく。
「まだ気ば抜くなッ!!」
七郎が怒鳴る。
「追い打っが、またくっかもしれんどッ! 竹槍ば整えっ、石も集めっくいやんせ!!」
その声に、何人かがはっと顔を上げた。
そうだ。
あれで終わりとは限らない。
むしろ──。
七郎の中では、まだ「続く」ことが前提だった。
戦を知る者の勘。
それは、しばしば最悪を呼び寄せる。
そして──。
その勘は、裏切らなかった。
「来た! 奴ら戻ってきた!!」
街道の方から、叫び声が飛び込んでくる。
振り向く。
物見役の男が、息を切らして駆けてくる。
顔は蒼白だった。
「ものすげぇ数だ!! さっきの倍はいる!!」
その一言で、広場の空気が凍りついた。
さきほどの戦いから、まだ一刻(二時間)も経っていない。
必死に気を張り続けていた者もいたが──。
村人の中には、張り詰めた糸が切れかけている者もいた。
それは無理もない。
彼らは武士ではないのだ。
「奴ら、まだ懲りてないのか!!」
賀津が歯を食いしばる。
悔しさが、声に滲む。
藤四郎は短く問う。
「七郎殿、いかがする」
七郎は、街道の先を睨みつけたまま答えた。
「おなじぐいん数なら、どげんかできっどん……」
だが、その声は重い。
「倍っちなれば、話にならん……」
その言葉は、決定的だった。
勝てない。
そう、はっきり告げていた。
七郎は振り返り、声を張り上げる。
「おのおの家い戻っ!!」
鋭い命令。
「持てっだっけん食いもんば持っくいやんせッ! 動けんもんは戸板に乗せっ運っのじゃッ!!」
間を置かず、さらに叫ぶ。
「はよせッ!! 逃ぐるっどッ!!」
その一言で、村人たちが動いた。
迷いはなかった。
戦うという選択肢は、もう消えていた。
敵は、こちらの力を知った。
次は正面からは来ない。
火を放ち、焼き払い、逃げる者を狩る。
それが野伏せりのやり方だ。
──皆殺しにされる。
その未来が、誰の頭にも浮かんでいた。
「七郎殿、殿は俺に任せてくれ」
藤四郎が静かに言う。
その声音には迷いがなかった。
だが、七郎は首を振る。
「殿にゃオイが残っ!」
きっぱりと言い切る。
「孫市どんは五十間ばっかい後とい控っくいやんせ!!」
その意図を、藤四郎はすぐに理解した。
繰り引き。
交互に足止めを行いながら退く戦法。
普通なら数十人でやるものだ。
だが──。
この二人なら、出来る。
雷振筒という異質な力が、それを可能にしていた。
そのとき。
「俺も残るよ!」
賀津が叫んだ。
手には炸裂弾。
瞳には強い光。
だが、七郎はゆっくりと首を振った。
「いんにゃ賀津どん」
優しさすら滲む声だった。
「おはんは皆ん衆といっい逃げっくいやんせ」
そして、まっすぐに賀津を見据える。
「オイどんは戦ができんごっなれば、すぐい引っ退っこともでっど」
言葉を切り、続けた。
「そいなった時の最後ん砦は──賀津どん。おはんじゃっど」
その言葉が、胸に突き刺さる。
賀津は息を呑んだ。
「皆ば守っくいやんせッ!!」
七郎と藤四郎が殿に残る──。
それはすなわち、あの二人が戦場に取り残されるということを意味していた。
だが、あの二人ならば。
たとえ戦闘不能に陥ったとしても、単独であれば戦線から離脱する術を持っている。
問題は、その先だった。
もし二人が退いたとき。
その瞬間から、村人たちを守る術は一つしか残らない。
──賀津の、炸裂弾。
賀津は腰の袋に手を当てる。
中に収まったそれらの重みを、指先で確かめるように触れた。
ひとつ、ふたつ……。
全部で、八本。
決して多くはない。
だが、それが最後の砦だった。
この炸裂弾は、龍仙寺衆が関ヶ原で用いた手榴弾とは異なる。
火を点じてすぐ投げるものではない。
ダイナマイトのように導火線に火を移し、わずかな「間」を作る。
その猶予があるからこそ、仕掛ける側は距離を取れる。
安全圏から、確実に敵を叩く。
いわば──。
爆ぜるまでの時を、意図して操る武器。
賀津はその一本を取り出し、じっと見つめた。
黒く、無骨な筒。
だがその中には、命を分ける力が詰まっている。
これを──。
まとめて使う。
一度に、すべて。
脳裏にその光景を思い描く。
八つの炸裂。
連続する爆音。
地面を抉り、敵の足を止める衝撃。
それだけでいい。
殲滅する必要はない。
ただ──。
止める。
それだけでいい。
(それで……逃げ切る)
半里先の赤谷村。
そこまで辿り着ければ、態勢を立て直せる。
息を整え、守りを固める時間ができる。
そして──。
あの野伏せりどもも、容易には追って来ないはずだ。
牛丸村での戦い。
雷振筒の威力。
そして、この未知の爆発。
連中はまだ、この村の「底」を知らない。
だからこそ、恐れる。
だからこそ、追撃は鈍る。
──その一瞬を、逃さない。
賀津はゆっくりと息を吐いた。
胸の奥に渦巻いていた焦りが、少しだけ形を持つ。
やるべきことは、決まっている。
あとは──。
やるだけだ。
ふと、思い出す。
昨夜のこと。
上有知で雇った二人の馬借に、七郎が命じた。
北の村々へ、野伏せりの出現を知らせろ、と。
あのときは、ただの備えだった。
だが今は違う。
あの知らせが届いていれば──。
赤谷村も、備えているはずだ。
柵を固め、武器を揃え、迎え撃つ準備を。
希望は、繋がっている。
ここだけではない。
賀津はぎゅっと拳を握った。
炸裂弾の感触が、掌に食い込む。
──守る。
この手で。
逃げる人たちを。
その先で待っている誰かを。
そして。
あの小さな笑顔に、もう一度会うために。
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