山影騒然[4]
村の中央にある小さな広場へ、人々が次々と集まってきた。
暗い空の下、篝火がいくつも焚かれている。乾いた薪が爆ぜるたび火の粉が夜へ舞い上がり、揺れる炎が人々の顔を赤く照らし出した。
眠りから無理やり起こされた者も多い。
肩に上着をひっかけただけの男、子どもを抱えた女、杖をついた老人。
その数は百を優に超えていた。
誰もが不安そうな目で、村長の権兵衛を見つめている。
広場のざわめきは、風に揺れる木の葉のように落ち着かなかった。
権兵衛は深く息を吸い込み、声を張り上げた。
「ともかく時間がねぇ! 野伏せりどもを迎え撃つぞ!」
だがその言葉が終わる前から、人々の間にどよめきが広がる。
「迎え撃つって……」
「逃げた方がいいんじゃ……」
「相手は野伏せりだぞ……」
不安と恐怖が、ざわざわと広場を満たしていく。
それも無理はなかった。
野伏せり──。
戦場で生き残った落ち武者やならず者が徒党を組んだ存在。
殺しと略奪を生業とする連中だ。
ただの農民が敵う相手ではない。
その空気を感じ取ったのか、権兵衛は歯を食いしばって怒鳴った。
「逃げ出した所で行く先はねぇ!」
声は怒鳴るというより、必死に絞り出した叫びだった。
「野伏せりに追っかけられて、上手く逃げれたとしてもどうする!? 家は焼かれ、食い物も取られ、種籾だって残しちゃくれねぇ!」
村人たちのざわめきが少しずつ弱まる。
「それじゃ俺達、生きていけねぇぞ!!」
誰もが分かっていた。
本当は逃げたい。
だが逃げた先に、生きる道などないことも。
もし村を焼かれれば、田も、家も、蓄えもすべて失う。
それは、この山の中では死を意味していた。
ならば──。
ここで戦うしかない。
頭では理解できても、心がついていかない。
人々の顔には迷いが色濃く浮かんでいた。
そのとき権兵衛が続けた。
「運が良いことに、ここに三人の助っ人がおる!」
村人の視線が一斉に動く。
「この人たちが加勢してくれると言うておるんじゃ!」
広場の端に立つ賀津たちへ、数えきれない視線が集まった。
七郎と藤四郎は武士らしい体つきをしている。
だが──。
その横に立つ賀津は女だった。
村人の多くは戸惑いを隠せない。
(あれが……助っ人……?)
そんな疑いの気配が、はっきりと空気に滲んでいた。
残された時間は少ない。
本来なら野伏せりの討伐は役人の仕事だ。
だが役人は高山にいる。呼びに行くだけで数日はかかる。
しかも統治が小早川家に変わってからというもの、治安は明らかに乱れていた。
訴えたところで兵が来る保証すらない。
つまり──。
今この場で戦うしかないのだ。
それでも村人たちはざわめき続ける。
二人の武士と、ひとりの娘。
そんな者たちに自分たちの命運を託せるのか。
その迷いを見かねたのだろう。
藤四郎が静かに一歩前へ出た。
手にしているのは雷振筒。
彼は銃口を空へ向けた。
次の瞬間──。
ドンッ!
乾いた銃声が夜を裂く。
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
続けざまに、六発の銃声が山々へ響き渡った。
反響した音が谷を渡り、遠くへ遠くへ消えていく。
広場は、完全に静まり返った。
人々は呆然と藤四郎を見ている。
藤四郎は雷振筒を掲げ、声を張り上げた。
「よいか!」
その声は、普段の穏やかな彼からは想像できないほど鋭かった。
「これは雷振筒!」
銃を高く掲げる。
「今見たように、六発の玉を打つことができる鉄砲だ!」
ざわめきが広がる。
「我らにはこれが二挺ある!」
藤四郎の声がさらに強くなる。
「野伏せりどもは持っておらん!」
一瞬の間を置き、叫んだ。
「これさえあれば、落ち武者なぞ恐るるに足らん!!」
その声は、もはや檄だった。
村人の胸に、火が落ちる。
「や……やるぞ!」
誰かが叫んだ。
「村を守るのは俺達だ!」
「野伏せりなんぞに好きにさせるか!」
恐怖のざわめきが、いつしか怒りへと変わっていた。
七郎はその様子を見て、満足そうに小さく頷いた。
「よか」
低く呟くと、すぐさま指示を飛ばす。
「よかかッ!! 男衆は今から、あすこん藪で竹ば伐っくいやんせ!」
腕を振り上げる。
「竹槍と竹盾ばこしらっど!!」
男たちが一斉に動き出した。
四十人あまりが鎌や鋸を手に、夜の闇へ駆けていく。
「おなご衆は河原で石ば拾いくっのじゃ! つぶてにすっでな!!」
三十人ほどの女たちは、もっこや籠を背負い、荘川の河原へ向かう。
「わらんべと年寄いは、家々ん戸板ば外して木柵に立てかけっのじゃ! ありったけん縄ば用意しっくいやんせ!!」
子どもと老人たちも動き始める。
動けない者と乳飲み子は権兵衛の家へ。
残りは戸板を外し、簡易の矢防ぎと目隠しに使えるよう、木柵に集める。
村全体が、ひとつの生き物のように動き出していた。
まさに総力戦だった。
藤四郎と七郎は村を駆け回りながら指示を飛ばし、同時に戦の布陣を考える。
賀津は権兵衛の屋敷に籠もり、黙々と作業していた。
雷振筒を分解し、丁寧に拭き上げ、弾丸を並べる。
そして──。
炸裂弾を作る。
小さな手の中で、火薬の匂いが立ち上る。
夜は長かった。
それでも作業は止まらない。
やがて東の空が白み始める頃、ひととおりの準備が整った。
村人たちは炊き出しの粥をすすりながら、短い休息を取る。
誰もが疲れていた。
だが逃げようとする者は、もう一人もいなかった。
野伏せりがいつ現れるかは分からない。
だが──。
いつ来てもいい。
牛丸村は、すでに戦う覚悟を決めていた。
そして午前十時すぎ。
巳の三つ時。
街道の先で見張りをしていた男が、息を切らして駆け込んできた。
顔は真っ青だった。
「来た! 来よった!」
声が裏返る。
「野伏せりどもが来よったー!!」
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