山影騒然[3]
深夜二時過ぎ──。
山の闇が最も濃くなる、草木も眠る丑三つ時だった。
牛丸村はすっかり眠りに沈んでいた。
囲炉裏の火はとうに落ち、家々の灯も消え、聞こえるのは荘川の水音と、時折遠くで鳴く夜鳥の声だけ。
その静寂を、突然叩き破る音が響いた。
──ドン、ドン、ドンッ!!
戸板が壊れんばかりに激しく打ち鳴らされる。
権兵衛の家の中で、皆が飛び起きた。
眠りの底から無理やり引きずり出されたような感覚のまま、賀津も身を起こす。
胸の奥で、理由の分からない不吉な予感がざわりと動いた。
「なにごとだ!!」
権兵衛が慌てて戸口へ駆け寄る。
戸を開けた瞬間、夜の冷気とともに人影が倒れ込んできた。
行灯の光に照らされ、その姿が浮かび上がる。
全身が血で濡れていた。
「おめぇ! 町屋の久兵衛じゃねぇか! どうしたんだその格好は!?」
権兵衛の声が裏返る。
男は肩で息をしながら、血で濡れた背を押さえていた。
「の……野伏せりだ! 野伏せりが襲ってきた!」
その一言で、家の中の空気が凍りついた。
町屋村。
賀津たちが昨日の昼過ぎまでいた村。そこはここから一里と離れていない。
つまり──。
権兵衛の背筋を、冷たいものが走る。
すぐ隣まで、連中は来ている。
「野伏せりはどんだけいるんだ?」
権兵衛の問いに、久兵衛は必死に首を振った。
「わからねぇ……いきなり襲われて……二十か三十はいたと思う……」
言葉の合間に苦しい息が混じる。
「俺は背中を切られたけど……必死に逃げてきて……」
そこまで言った瞬間、久兵衛の膝が崩れた。
緊張が切れたのだろう。
知った顔を見た安心が、体を支えていた最後の力を奪った。
「おい、それで村の人達はどうなった!?」
賀津が飛びかかるように久兵衛の肩を掴む。
声は震えていた。
「わ……わからねぇ……殺されたのもいるし……とにかく逃げるので精一杯で……」
「そんな……」
賀津の脳裏に浮かんだのは、あの小さな笑顔だった。
──おねぇちゃん、これあげる。
小さな手。
得意げな顔。
キラキラした石。
チサ。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
今すぐ駆け出したかった。
夜の山道など構わず、町屋村へ。
だが、立ち上がりかけた賀津の腕を、藤四郎が強く掴んだ。
「賀津殿、どうされるつもりか!」
低く、しかし鋭い声だった。
「貴女一人が行って、どうこう出来るわけではないでしょう!」
「で、でもよ……」
言い返しかけて、賀津は言葉を詰まらせた。
藤四郎の言う通りだった。
いま町屋村へ行ったところで──。
自分一人に出来ることなど、何もない。
歯を食いしばる。
悔しさと無力感が胸の奥で渦を巻いていた。
その沈黙を破ったのは七郎だった。
「あいたちゃ……夜の明くれば、あいどんがここい襲いかかっきっど」
静かな声だったが、妙に現実味があった。
「戦すっなら、準備を始めんならんな。権兵衛どんは、どげんすっつもりなごわすか?」
その言葉で、全員がはっとする。
町屋村を襲った野伏せりが、この村を見逃す理由などない。
朝になれば──。
ここにも来る。
「わ……わしは……」
権兵衛は唇を噛んだ。
村長としての判断を迫られている。
今すぐ村人を集めて逃げるか。
それとも──戦うか。
逃げれば命は助かるかもしれない。
だが家も、蓄えも、田畑もすべて失う。
この山の中で、それは死と同じだった。
長い沈黙のあと、七郎が言った。
「もし戦をすっとなら、オイが助太刀をやっでん良かど!」
胸を張るその声には、不思議な安心感があった。
幾度も戦場をくぐってきた男の声。
血と鉄の匂いを知る者の声だった。
その響きに、権兵衛の胸の奥で何かが決まる。
そのとき、賀津が叫んだ。
「俺も戦う!」
拳を握りしめていた。小さな蛍石が掌の中で冷たかった。
「奴らを倒して町屋村に行く! 止めるなよ藤四郎さん!」
藤四郎は一瞬だけ賀津を見つめた。
そして、ふっと小さく笑う。
「賀津殿がそう決めたのなら仕方ありませんね」
静かに頷いた。
「及ばずながら、私も力を尽くしましょう」
その言葉で、空気が変わる。
「よし、決まりだ」
賀津が権兵衛を見る。
「権兵衛さん、総大将はアンタだ。どうする?」
女に言われたことが、逆に権兵衛の腹を据えさせた。
ぎゅっと拳を握る。
「よしっ!」
声を張り上げた。
「戦う! 家も、田も、俺達の村は俺達で守る!」
「じゃあさっそく準備だ!」
賀津は立ち上がる。
「おかみさん、村中の人を起こして広場に集めてくれ!」
「わかったよ!」
権兵衛の妻は叫ぶと、戸を開けて暗闇の中へ飛び出していった。
外はまだ深い夜だった。
冷たい風が家の中へ吹き込む。
賀津は荷物を解き、自分の雷振筒を取り出すと、七郎に差し出した。
「俺達の中で戦を知っているのは七郎さんだけだ」
真剣な目だった。
「この筒を預ける。存分に使ってくれ!」
「えっ!? よかっですか!?」
七郎の目が大きく開く。
「貸してくいやっとなッ!?」
「その代わり、戦の段取りを指示してくれ」
賀津は続けた。
「こっちは雷振筒が二挺。これで奴らを倒さないと」
七郎は胸を叩いた。
「十分でごわす!」
声に自信が満ちていた。
「雷振筒が二挺もあんとなら、野伏せりなどには負けもはん!!」
その言葉に、賀津と藤四郎は強く頷く。
外では、村人たちを呼び起こす声が次々と上がり始めていた。
牛丸村の静かな夜は、すでに終わっていた。
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