山影騒然[2]
牛丸村は、山の裾にわずかに開けた平地へ、肩を寄せ合うように築かれた小さな集落だった。
西には荘川、東には白川街道。道と川に挟まれた細長い土地に、家々が南北へ寄り添うように並んでいる。
村は庄川を背に、集落を囲むように粗末な木柵がぐるりと囲んでいた。
太い丸太を打ち込んだだけの簡素な囲いだが、獣を防ぐにはそれでも十分なのだろう。
高い場所から見下ろせば、きっと空豆のような形をしているに違いない。
そんなふうに思わせる、不思議に丸みを帯びた村だった。
賀津たちが辿り着いたころ、ちょうど日が山の端に沈もうとしていた。
西の空が燃えるような橙色に染まり、荘川の流れがその色をゆらゆらと映している。
村の屋根からは夕餉の煙が細く立ち上り、冷え始めた山の空気の中へ溶けていった。
旅人を見つけた村人たちは警戒の目を向けたが、事情を話すと、村長の権兵衛という男が泊めてくれることになった。
粗末ながらも広い囲炉裏のある家だった。
夜になると山の闇は深い。
外では虫の声が途切れ途切れに響き、川の流れが遠くで絶えず鳴っている。
行灯の淡い光の下で、賀津はじっと掌を見つめていた。
「お賀津どん、よっぽどその石が気に入ったごわすな。ずっと見っちょっど」
七郎が半ば呆れたように笑う。
賀津の手の中にあるのは、町屋村でチサにもらった蛍石だった。
行灯の火をかざすと、半透明の青と緑がゆっくり溶け合い、まるで石の中に小さな水の流れが閉じ込められているように見える。
賀津はそれを指先でくるりと回しながら、小さく息を吐いた。
「不思議なんだよ。なんでこんなにキレエな石があるんだろうって」
山の中で拾われたただの石。
だがその輝きは、まるで誰かが磨き上げた宝石のようだった。
しばらく黙ってそれを眺めていたとき、藤四郎がふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば賀津殿、蛍石と言えば長竿にもありますよ」
賀津はぱっと顔を上げた。
「本当かい藤四郎さん!」
「本当です」
藤四郎は落ち着いた声で答え、荷物袋に手を差し入れた。
長竿──。
それは内匠頭が作らせた、異様なほど長い銃だった。
狙撃のためだけに作られた特別な鉄砲。
この世にわずか二挺しか存在しない。
四百メートル先の標的を撃ち抜くという、常識外れの代物だ。
だがそれを扱えるのは藤四郎ただ一人だった。
普段は分解して運んでいるため、荷の中に鉄砲があるとは誰にも分からない。
藤四郎は袋の中から、小さな筒のような部品を取り出した。
「この覗き玉に使われているのが蛍石だそうです。以前、内匠頭様に教えていただきました」
それは長竿に取り付けるターゲットスコープだった。
かつて拓真が、マカオに住むポルトガルの眼鏡職人へ発注した特注のレンズ。
蛍石を丹念に研磨して作られたそれは、最大八倍の倍率を誇る。
遠く離れた四百メートル先の標的さえ、はっきりと視界に収めることができる。
レンズは完全な透明ではなく、ほんのわずかに赤味を帯びている。
だが、それがかえって奇妙な深みを生み出していた。
「こいは何でごわすか? 鉄砲にこげなもんを付くっですか!?」
七郎が目を丸くし、思わず顔を近づける。
恐る恐る覗き込んだ次の瞬間、彼は息を呑んだ。
「……おおっ! な、なんちゅう見え方でごわすかッ!!」
遠くの壁の節目まで、はっきりと浮かび上がって見える。
七郎は子どものように何度も覗き直していた。
その様子を見ながら、賀津は蛍石を指で転がし、ぽつりと呟いた。
「タクミサマって、本当に何でも知ってたんだな……」
その声には、驚きと、少しの寂しさが混ざっていた。
遠い場所を思うような目だった。
あの人はいま、どこにいるのだろう。
生きているのか。
自分たちのことを捨ててしまったのか。
そんな思いが胸の奥で静かに揺れる。
すると藤四郎が、柔らかな声で言った。
「きっとまた会えますよ」
賀津は顔を上げる。
「そうしたら、もっといろんな事を教えてもらいましょう」
藤四郎の言葉は、慰めというより、どこか確信めいた響きを持っていた。
賀津はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……そうだね」
行灯の灯が静かに揺れる。
囲炉裏の火はすでに落ち、家の中には眠気を誘うような静けさが広がっていた。
旅の疲れもあり、やがて一人、また一人と横になる。
外では川の音が絶えず流れ、山の夜は深く、静かに更けていった。
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