将星相逢[2]
慶次郎が内ヶ島に加勢することを決めたのは、誰に命じられたわけでもない。
あくまで己の胸一つで決めたことだった。
だが、完全な自由というわけでもない。
目には見えぬ細い紐が、確かにその背に結ばれている。
その先を握るのは、直江兼続──そして、その背後に控える上杉家だ。
慶次郎が兼続に報告したのは、内匠頭の噂の真相と謎の雷振筒。
その話を聞いた兼続は、すぐに表立って動くことはしなかったが、慶次郎の行動を黙認し、密かに後ろ盾となることを約した。
すなわち、内ヶ島を助けながら、小早川家にあると目される謎の雷振筒を探ること。
それが慶次郎が負った新たな役目となった。
内ヶ島と小早川の戦。
そして、本来この世に存在するはずのない雷振筒。
天下の安寧を願う兼続にとって、どちらも看過できぬ兆しだった。
だが現時点では、確たる証拠は何ひとつない。ゆえにこの情報は、兼続の胸の内に秘められている。
とはいえ──慶次郎の背後に上杉がいるという事実は変わらない。
その立場から見れば、真田の惣領である源次郎を巻き込むことは危うい。
事態を余計に複雑にし、上杉と真田、両家に思わぬ火種を生む恐れもある。
だが同時に、まったく逆の考えも頭をもたげる。
(いっそ真田も巻き込んでしまえば……)
もし内ヶ島が小早川を退けるか、あるいは戦線が膠着すれば、それを口実に上杉が介入できる。
だが上杉だけが動けば、小早川との私闘と受け取られかねない。
そこに真田が加われば話は変わる。
小早川の横暴を見かねて、隣国の大名が手を貸した──。
そういう筋書きに仕立てることが出来る。
すべては慶次郎の脳裏に浮かんだ仮想の政略図だ。
だが、偶然転がり込んできた真田という駒を、何もせず捨てるには惜しい。
そして何より。
(この若造……)
源次郎の姿を横目で見やる。
将としての資質は疑いようがない。
昌幸に鍛えられ、山の戦を知る。飛騨の戦場で、これ以上の人材はまず望めぬ。
慶次郎はしばし黙考し、やがて口を開いた。
「……儂の立場からは、なんとも言えぬが」
慎重に言葉を選ぶ。
「来たいというのであれば、儂は構わぬ。内ヶ島の殿もお喜びになるだろう」
源次郎の顔がぱっと明るくなった。
「ありがたい! 又兵衛殿、六左殿、これからもよろしくお願いいたしまする」
「おお、楽しみじゃ」
又兵衛が愉快そうに笑う。
「真田の軍法、拝ませてもらうぞ」
六左も腕を組み、面白そうに頷いた。
源次郎に戦鬼の匂いを嗅ぎ取っていた二人には、願ってもない話だった。
だが──。
「若! お考え直しくだされ!」
佐助が立ち上がらんばかりの勢いで声を上げた。
「取り返しのつかぬことになりますぞ!」
顔色は青ざめている。主の軽挙を止めねばという焦燥が、言葉の端々から滲んでいた。
その様子を見て、慶次郎はやや柔らかな声で言う。
「佐助。小早川との戦が、今日明日にも始まるわけではない」
囲炉裏の火が、静かに揺れる。
「もしかすれば、すぐに内匠頭に会えるやもしれぬ。そうなれば源次郎殿が白雲城に留まる理由もなくなる」
ちらりと源次郎を見やる。
「若が戦に首を突っ込むとは限らんぞ」
「はっ……はぁ……」
佐助は言葉を失った。
不承不承ではある。だが、主の本来の目的はあくまで内匠頭探しだ。
そこが揺らがぬ以上、強く押し止めることも出来ない。
やがて、渋々と頭を下げた。
そのやり取りを見届け、源次郎はようやく険しかった表情を緩めた。胸の奥に溜まっていた張りが、すっとほどける。
──そのときだった。
ふと、源次郎は周囲を見回す。
「そう言えば……」
座敷の空気を一巡させるように視線を動かし、眉をひそめた。
「和尚は、どこへ行かれた……?」
「先程まではそこにいたんだがな」
又兵衛は盃を傾けながら、玄舜坊が座っていた場所を顎で示した。源次郎が佐助と言い合っている最中までは、確かにそこにあの異形の僧が静かに座っていた。
だが今は、空いた藁座布団一枚だけが残っている。
囲炉裏の火がぱちりと弾け、赤い光が座敷の影を揺らした。誰も出入りした気配はなかったはずだが、気付けばいない。
「厠にでも行ったんじゃないか?」
六左はまるで気にした様子もなく、串に刺さった岩魚へ豪快にかぶりついた。皮の焼けた香ばしい匂いが立ち上り、脂が火に落ちて小さく音を立てる。
戦場では人の出入りなどいちいち気にしていられぬ。姿が消えたところで、どこかへ用足しに行った程度だろう──そんな軽さである。
だが源次郎は、ふと胸の奥に引っかかるものを覚えた。
あの玄舜坊という僧、最初からどこか掴みどころがない。気配を消すのが妙に上手い男だった。
思案しかけたところで、慶次郎がゆっくり腰を上げた。
「では、儂も厠へ行くかな」
膝を伸ばしながら、わざとらしく腰を叩く。
「ジジイはゆばりが近うていかん」
軽口を叩きつつ立ち上がると、慶次郎はふらりと戸口へ向かった。足取りは酒の勢いを装っているが、その目はどこか冴えている。
襖を開けると、夜の空気がひやりと流れ込んできた。外では虫の声がかすかに鳴いている。
慶次郎は振り返ることもなく、そのまま廊下の暗がりへと消えていった。
読んでくださり、本当にありがとうございます!
この作品を「続きが気になる」と思っていただけたら、
ぜひブックマークとポイント評価をお願いしますm(_ _)m
応援が増えるほどヤル気が爆上がりします……!
感想も一言でもくれたら即返信+X(旧Twitter)で感謝ポストします!
次回もよろしくお願いします!




