将星相逢[1]
慶長五年七月某日。下野国。
晩夏の空は高く澄み、陣所の周囲には湿った草の匂いが立ちこめていた。上杉征伐に向かう諸軍がこの地に集まり、陣幕が幾重にも並ぶ。だがその喧騒の裏で、真田昌幸は一つの決断を迫られていた。
西か、東か。
天下の趨勢を分ける大戦が迫る中、どちらの陣営に付くか──それは家の存亡を賭けた選択である。
昌幸が選んだ道は、常人の思考を半歩外れたものだった。
どちらにも付く。
嫡男の源三郎は徳川家康の東軍へ。
昌幸と次男の源次郎は石田三成の西軍へ。
親子兄弟が敵味方に分かれるという異様な形ではあるが、どちらが勝っても真田の血は残る。
乱世を泳ぎ続けてきた昌幸らしい、生き残りの策であった。
このとき、父子兄弟の間で一つの約束が交わされた。
どちらが勝っても、勝者となった側は敗れた身内を必ず救う──。
そして、関ヶ原。
決戦の一日で天下の形は変わった。
石田三成は徳川家康を破り、西軍が勝者となる。さらに真田家は、徳川家の後継者、秀忠を捕縛するという大殊勲を立てた。
三万八千石にすぎなかった真田の領地は、一挙に二十七万石へと跳ね上がる。
昌幸は当然のように願い出た。
敗者として近江朽木谷に配流された源三郎──すなわち信幸の赦免を。
だが、その願いは退けられた。
勝者であるはずの家が、兄を救えぬまま今日に至っている。
源次郎の胸には、常に重たい棘が刺さっていた。
兄を救う。
それは戦の前に交わした約束だったはずだ。
別に、源次郎と源三郎が人並みに親しかったわけではない。
源次郎が生まれた頃、源三郎は武田家の人質として甲斐にあり、真田の居城、上田にはいなかった。やがて武田家が滅び、源三郎が帰参した頃には、今度は源次郎が人質として外へ出されていた。
豊臣秀吉のもとで元服し、大人になるまでを過ごす。
家族とは、遠くにある存在だった。
人質の暮らしは華やかであっても孤独だ。
豪奢な城の奥で、いつも自分が「預けられた駒」であることを思い知らされる。
そんな日々の中で、源次郎の心を支えたものがあった。
兄の存在である。
長男として家を背負う源三郎。
その下で軍を率い、采配を振るう自分──。
まだ見ぬ未来を、何度も思い描いた。
だが今、兄は生きてはいるものの、朽木谷で半ば軟禁の身に置かれている。
他人から見れば、それでも恵まれていると思う者もいるだろう。
だが源次郎には到底、そうは思えなかった。
助け合うと誓ったのに、兄だけが罪人のように監視下に置かれている。
その現実が、胸に重くのしかかる。
孤独な人質生活の中で、遠くに輝いていた兄という存在。
その影にすがるようにして生きてきた源次郎にとって、兄を取り戻すことは、もはや意地であり、祈りでもあった。
*
「無苦庵殿! どうか、どうか拙者も白雲城へお連れくだされ! 内ヶ島のお役に立ちます!」
畳に手をつき、深く頭を下げる。源次郎の声には、必死の響きがあった。
だが、その瞬間だった。
「若! 正気ですか!?」
座の隅で控えていた佐助が、思わず声を荒げた。
「他家の争いに首を突っ込むなど……真田の惣領である御自覚がなさ過ぎます!」
普段は主に対して慎重に言葉を選ぶ男が、思わず感情を露わにする。それほどまでに、今の申し出は常軌を逸していた。
兄を救うため、密かに内匠頭を探す。
それだけでも十分に危うい。
それが今度は、小早川家を相手にする戦に加わるという。
下手をすれば、一個人の暴走では済まず、真田家そのものを渦に巻き込みかねない。
佐助の背に、冷たい汗が伝う。
「黙れ佐助!」
源次郎の声が鋭く飛んだ。
「俺は正気だ。ここまで来て内匠頭に会えぬでは、何のために飛騨まで来たか!」
火の光を受けたその顔は、若さゆえの熱で赤く染まっている。
「されど大殿様になんと申し開きされますか! いつまでも飛騨に留まってはおれませんぞ!」
源次郎が松本を離れた名目は、朽木谷に配流された兄、源三郎への見舞いである。
その役目は腹心の矢沢頼康に任せているが、長くは誤魔化せない。いずれ頼康は戻り、源次郎の不在が露見する。
そのとき何が起こるか。
佐助には容易に想像できた。
「ならば文を書く」
源次郎はあっさりと言った。
「しばし近江に留まると。三十郎(矢沢頼康)に言わせれば済む」
「しかし……若が金吾様と戦など……世に知られれば一大事でござる……」
佐助の声はほとんど懇願に近い。
源次郎はわずかに笑った。
「六文銭(真田家の旗印)がなくとも戦は出来る。俺が真田と知られねばよい」
「されど……」
言葉が続かない。
源次郎はふっと目を細めた。
「なんだ佐助。それとも俺が敗れると思うか?」
挑むような一言だった。
「い、いや……そういう訳では……」
返答に詰まる。
主の腕を疑うことなど出来ない。だが賛同も出来ない。
佐助は歯を噛みしめるしかなかった。
その様子を横目に、源次郎は再び慶次郎へ向き直る。畳に手をつき、深く頭を下げた。
「どうか、拙者もお仲間にお加えくだされ。必ずやお役に立ちます」
若い武士の額が、畳に触れるほど低く沈む。
囲炉裏の火が、ぱちりと音を立てた。
「…………」
慶次郎は腕を組み、黙り込む。
この若者を加えるか、退けるか。
どちらの答えも、ただの一言では済まない。
(さて……どうしたものか)
慶次郎はゆっくりと息を吐いた。
大袈裟な考えかもしれない。
だが直感が告げている。
ここでの一言が──これからの戦局を変えるかもしれない、と。
読んでくださり、本当にありがとうございます!
この作品を「続きが気になる」と思っていただけたら、
ぜひブックマークとポイント評価をお願いしますm(_ _)m
応援が増えるほどヤル気が爆上がりします……!
感想も一言でもくれたら即返信+X(旧Twitter)で感謝ポストします!
次回もよろしくお願いします!




