七郎[4]
「七郎殿、鉄砲備の用意が調いました」
「そうか。こっちん用が済み次第、オイも行っど。贄玉ぁ、一人三十発じゃ」
「はっ!」
足軽が駆け去るのを見送り、七郎は口元を吊り上げた。
いよいよだ。
胸の奥で、何かが蠢いていた。長らく腹の底に押し込めていた獣が、ようやく鎖を解かれようとしている。そう思うだけで、全身の血が熱を帯びた。
白雲城において、七郎は二百名の鉄砲備を率いている。
内ヶ島家譜代の者もいるが、その多くは新たに雇い入れた浪人や農民の息子たちだ。生まれも育ちも違えば、武芸の腕も、戦場での経験も違う。寄せ集めと呼ぶのがふさわしい集団であった。
だが、今の彼らを見て、そう言う者はいないだろう。
号令ひとつで隊列を変え、寸分の無駄もなく銃を構え、撃ち、装填する。二百名が、一つの生き物のように動く。
その土台にあるのは、拓真が考案した内ヶ島銃だった。
火縄の代わりに撃発用のハンマーを備え、雷汞と火薬を塗り込んだ軸を叩いて着火させる。火縄を扱う手間が省け、従来の種子島銃の二倍から三倍の速さで射撃を繰り返せる。
二百挺でも、火力は六百挺分に匹敵する。敵が数を数えているうちに、撃ち終えたはずの銃口から次の弾が飛んでくるのだ。
しかも弾は、贄玉と呼ばれるプリチェット弾である。雷振筒には遠く及ばないが、従来の弾より有効射程は五割ほど長い。敵が届かぬと思っている距離から、こちらの弾だけが届く。
寄せ集めの鉄砲も、長吉たち職人衆が一挺ずつ手を入れ、ほぼ同一の規格に揃えた。
その内ヶ島銃を、七郎は足軽たちに与え、命じた。
──寝っ時も、食うっ時も、筒ば手放すなッ!
常に傍らに置き、磨け。分解して手入れし、組み直せ。目を閉じていても、どこに何があるか分かるようにしろ。
鉄砲は道具ではない。
己の手足だ。
足軽たちは、幾度となく同じ動作を繰り返した。銃を構え、撃ち、弾丸を詰め、再び構える。手元が狂えば怒声が飛び、動きが鈍ればやり直す。疲労で指が震えようと、日が暮れようと、七郎は容赦しなかった。
島津式の調練は厳しい。
だが、七郎にとっては当然のことだった。戦場で敵は待ってくれない。手間取れば死ぬ。迷えば死ぬ。たった一度の失敗が、隣にいる仲間の命まで奪う。
考えるより先に身体が動くまで、叩き込む。
当初は再装填に手間取っていた者たちも、今では早い者で七秒、遅い者でも十一秒ほどで次弾を撃てる状態に戻せる。暗闇の中でも、手探りで装填を済ませ、引き金を引ける。
七郎は、満足した。
自分の教えが、確実に彼らの身体に染み込んでいる。
彼らはもう、ただの浪人や農民の息子ではない。七郎が鍛え上げた鉄砲備だ。
その力は、すでに実戦で証明されている。可児才蔵との戦い。渡辺重綱との戦い。いずれも敵を完膚なきまでに打ち破った。
それでも、七郎は調練を休まない。
一度勝ったからといって、次も勝てるとは限らないからだ。敵が強くなれば、こちらも強くならねばならぬ。
何より七郎自身が、鉄砲を撃つことを好んでいた。
火薬の匂い。引き金を引いた瞬間の衝撃。銃口から噴き出す煙。そして、狙った場所へ弾丸が飛んでいく、あの確かな手応え。
何度味わっても、飽きなかった。
だが、今日はいつもとは違う。
大牧村の先で釣野伏を仕掛けてから十日。しばらく動きを見せなかった白川砦が、ついに進軍を開始するという。
しかも、今回は井伊兵部少輔直政が自ら指揮を執る。これまでとは比較にならぬ規模の兵が動く。
敵も本気ということだ。
七郎の胸が、どくんと大きく脈打った。
関ヶ原で果たせなかった思いは、もう言うまでもない。今度こそ、思う存分に戦える。
七郎は腰の刀に手を添えた。指先に伝わる柄の感触が、これから始まる戦の現実を教えてくれる。
目の前には、鍛え上げた二百名の鉄砲備がいる。
手元には、内ヶ島銃がある。
敵には、井伊直政がいる。
これ以上、何を望むというのか。
「待ちに待った大戦じゃあッ!」
腹の底から放たれた咆哮が、周囲の空気を震わせた。
「金吾ん青侍どもに、内ヶ島ん戦っちゅうもんを叩き込んじゃるどッ!!」
足軽たちが一斉に顔を上げる。その目に映った侍大将の姿は、いつもの七郎と同じでありながら、どこか違っていた。
瞳が輝いている。
笑っているのだ。
これから何千、何万という人間が殺し合う。銃弾が飛び交い、刃が肉を裂き、血が大地を染める。生きて帰れぬ者も出るだろう。自分がその一人になるかもしれない。
それなのに、七郎は身震いしていた。
その先に待つものが地獄であろうと、関係なかった。
地獄だからこそ、いい。
地獄でなければ、己のすべてを懸けるに値しない。
七郎は笑った。
戦場でこそ生を実感する男が、ようやく自分の居場所へ帰ろうとしていた。
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