化物[4]
「おい」
今まさに斬り合い。いや、一方的な処刑が始まろうとしている広間に、場違いな声が響いた。
緊張で張り詰めた空気を、まるで意に介さぬ間抜けた声。
勘兵衛の護衛。
それまで後ろに座り、気配を消していた男が、ようやく口を開いた。
「こいつら、殺していいのか?」
まるで、ひとつだけ残ったまんじゅうを食っていいか? と、尋ねるような口調だ。
あまりにも緊張感がない。
その一言だけで、広間に満ちていた殺気が、ほんの一瞬だけ途切れた。
何人かの用心棒が、思わず男を見る。
勘兵衛でさえ、返事に詰まった。
「て……手向かいすればなっ!」
ようやく絞り出した声は、僅かに上ずっていた。
無理もない。
これから命を奪い合おうとしているのだ。
平静でいられる方が、どうかしている。
「だ、そうだ」
男はあっさり頷いた。
そして、ゆっくりと周囲を見回す。
その目に、怯えはない。
怒りもない。
殺気すら、感じられない。
ただ、静かだった。
「俺は別に、人殺しが好きなわけじゃない」
淡々とした声が、広間に落ちる。
「だから、逃げる奴を追いかけてまで殺したりはせん」
そこで一度、言葉を切る。
男の視線が、用心棒たちの顔をひとりずつなぞっていく。
「だが──」
口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
「かかってくるなら、残らず冥府へ送ってやる」
脅しではなかった。
声を荒らげることもない。
威圧するような身振りすらない。
ただ、そうする。と、告げているだけだ。
男は最後に、ふん、と鼻を鳴らした。
その異様な態度に、用心棒たちは互いの顔を見合わせた。
だが、考えている暇はなかった。
「うおおおっ!」
ひとりの男が吠えた。
恐怖を振り払うように刀を振り上げ、そのまま一直線に飛びかかる。
次の瞬間。
チン──。
鋭い金属音が、広間に響く。
男の姿が、一瞬だけ霞んだ。
そして──。
どさり。
畳の上に何かが落ちた。
首だ。
遅れて、斬られた身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
畳の上が、みるみる赤いもので染まってゆく。
「…………」
誰も声を発しなかった。
斬った男は、そんな周囲の反応など気にする様子もなく、手にした刀を眺めていた。
「しまった、しまった」
困ったように頭を掻く。
「久しぶりだったんで、ちとやり過ぎた」
刃を傾け、月明かりと行灯の光を受ける刀身をしげしげと眺める。
「やっぱり刃がこぼれたか……」
男は小さく息を吐いた。
「首まで落とすつもりはなかったんだがなぁ」
その言葉に、勘兵衛は思わず息を呑んだ。
典膳も同じだ。
周囲を取り囲んでいた用心棒たちも、刀を構えたまま動けない。
誰もが、今の一撃を理解できずにいた。
勘兵衛の背筋を、冷たいものが走る。
──かかってくるなら、残らず冥府へ送ってやる。
「か、囲めっ!」
典膳の配下のひとりが叫んだ。
「囲んで斬るぞ!」
その声に、用心棒たちは我に返った。
刀を構え直す。
彼らも素人ではない。
戦国を生き抜き、幾つもの修羅場を潜り抜けてきた男たちだ。
関ヶ原で敗れた多くの大名が知行を失い、大量の浪人が世にあふれた。
腕に覚えがあっても行き場を失い、日々の糧さえ得られぬ者も少なくない。
そんな男たちを、典膳は拾い上げた。
金を与え、小早川家への仕官を餌にし、己の手足として使ってきた。
だからこそ、彼らはここで逃げるわけにはいかない。
逃げれば、すべてを失う。
目の前にいるのが化物であろうとも、立ち向かうしかない。
「うおおおおっ!」
三人が同時に飛び出した。
左右と正面。
三方向から刀が迫る。
普通なら、逃げ場はない。
だが、男は動いた。
大きく踏み込むこともない。
身体を僅かに傾け、刀を躱す。
まるで、三人の動きが最初から見えているかのように。
一人目の刃が空を斬る。
二人目の刀が男の肩を掠める。
三人目が間合いへ入った、その刹那──。
男の腕が閃いた。
一瞬。
ほんの一瞬。
三人の動きが、同時に止まった。
そして。
どさっ。
どさり。
どさり。
三つの身体が、ほとんど同時にその場で倒れた。
ひとりは首筋を押さえたまま動かない。
もうひとりも、喉元から赤いものが噴きでている。
最後のひとりは腹を押さえたまま、何かを呟こうとして、そのまま動かなくなった。
静寂。
広間にいる誰もが、息をすることさえ忘れていた。
だが、斬った男だけは違った。
三人の亡骸には目もくれない。
ただ、手にした刀を眺めている。
「こりゃ、もう駄目だな」
刃を指先で軽く弾いた。
鈍い音が返ってくる。
「鈍だ」
男はあっさりと言った。
そして、刀を畳へ突き立てる。
そのまま、最初に斬り倒した男の傍へ歩み寄った。
死体の腰に差された刀へ手を伸ばす。
「スマンが、借りるぞ」
鞘ごと引き抜く。
月明かりを受けた刀身が、すっと光った。
男はそれを一瞥し、口元を吊り上げる。
「代わりに、賑やかな黄泉路にしてやる」
勘兵衛は、刀の柄を握り直した。
男は新しい刀を軽く振った。
風を裂く音が、広間に響く。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
その目から、先ほどまでの間の抜けた雰囲気が消えていた。
あまりにも静かな目だった。
それが、かえって恐ろしかった。
「さ」
男は周囲を見回した。
「次に死にたい奴は、誰だ?」
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