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Last rewrite  作者: 蒼了一


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202/219

先手[3]

「先手を打たれたな……」


 夕暮れの光が、障子越しに細く差し込んでいた。


 その薄暗い部屋で、島左近は腕を組んだまま、重く息を吐いた。


「申し訳ございませぬ。拙者の手抜かりにございます」


 向かいに座る垣屋勘兵衛が、深々と頭を下げる。


 その声には、いつもの落ち着きがなかった。


 喜平が殺された。


 それは単なる寺男の死ではない。


 昨日まで手の中にあった、重要な証言そのものが消されたということだ。


「儂らが考えていたよりも、典膳は甘くなかったということだな」


 左近は苦い顔で呟いた。


「まさか、あの男が喜平の顔を覚えていたとは……」


 勘兵衛は唇を噛んだ。


 あの時、喜平を連れて行かなければよかった。


 そんな後悔が、胸の奥に何度も湧き上がる。


「それを悔いても仕方あるまい」


 左近の声は静かだった。


「実はな。荷駄方の二人とも、連絡が取れなくなった」


「なんと!」


 勘兵衛が顔を上げる。


 嫌な予感が、胸の底からせり上がった。


「それでは今ごろ……」


「さすがに小早川の家士だからな。喜平と違って、手荒な真似はせんさ」


 左近はそう言ったものの、表情は晴れない。


「ただ、金を掴ませたか……脅したか」


 それだけで十分だった。


 証言する者がいなくなれば、こちらの手は一気に狭まる。


 誰が、いつ、どこから雷振筒を持ち出したのか。それを裏付ける人間が消えれば、喜平の持っていた弾丸一つだけでは、典膳を追い詰める証拠にならない。


「もはや、一刻の猶予もございませぬ」


 勘兵衛が低い声で言った。


「どうするつもりだ」


「拙者が奴の元へ行き、力尽くでねじ伏せます」


 勘兵衛は平然と言い切った。


 左近は、思わず苦笑した。


「……随分と勇ましいな」


 だが、その笑みはすぐに消えた。


 冗談ではない。


 勘兵衛は本気なのだ。


 左近は黙り込み、目を伏せた。


 ──このままでは、掴みかけた尻尾を切られる。


 それが何より恐ろしかった。


 あと少しだった。


 典膳が犯人であることは間違いない。


 それを裏付ける証言も揃っていた。


 だが、敵はこちらが手を伸ばすより早く、その証拠を一つずつ消し始めた。


 このまま何もせずにいれば、最後には何も残らない。


 そうなれば、雷振筒強奪の真相は闇に葬られる。


 そして、そのツケを払うのは石田家だけではない。


 小早川と内ヶ島の戦いが始まれば、飛騨の山中にある内ヶ島は滅亡の憂き目を見ることになる。


 それを防ぐために、ここまで動いてきたのだ。


 ここで手を止めるわけにはいかなかった。


 左近は、思わず額に手を当てた。


 勘兵衛も左近も、警察ではない。


 証拠を揃え、裁きを待つような仕組みが整っているわけでもない。


 いざとなれば、武力に訴える。


 それ自体は、この時代の武士として不自然なことではない。


 だが、そうだとしても、大雑把すぎる。


「手向かいされたら、どうするつもりだ?」


 左近は呆れたように尋ねた。


「奴は腕利きの浪人を集め、用心棒にしていると聞くぞ」


「承知しております」


「承知していて言っているのか……」


 左近は深いため息をついた。


 今の典膳は、もはやただの側用人ではない。


 小早川秀秋から絶大な信頼を寄せられ、大坂ではまるで秀秋の代理人であるかのように振る舞っている。


 上役でさえ、典膳の専横を目にしながら、容易には手を出せない。


 その権勢を支えているものは、秀秋からの信頼だけではない。


 金だ。


 莫大な金。


 典膳は雷振筒と弾丸の対価として、小早川から巨額の金を引き出している。


 雷振筒の入手先は、秀秋にすら明かしていない。


 自分と繋がりのある闇の商人から手に入れた──そう偽っているのだ。


 秀秋はそれを信じ、大金を惜しみなく注ぎ込んだ。


 そして、その金はすべて典膳の懐へ流れ込んでいる。


 栢谷家の金蔵には、今や数万両もの金が積み上がっている。


 現代の貨幣価値に直せば、数十億円にも相当する莫大な財だ。


 金があれば、人も集められる。


 口も塞げる。


 そして──命さえ買える。


 典膳は郊外の曾根崎に屋敷を構え、そこを拠点として動き回っている。


 その屋敷には当然のように用心棒が置かれていた。


 二十人を超える腕利きの浪人たち。


 そんな場所へ、勘兵衛は乗り込もうとしている。


 無謀という言葉では足りない。


 ほとんど自殺行為だ。


「それでは、こちらも人数を集めて乗り込みます」


「馬鹿なことを言うな!」


 さすがの左近も声を荒らげた。


「御城下で戦を始めるつもりか!?」


 大坂城下で二十人、三十人もの武士を動かせば、ただでは済まない。


 ましてや相手は小早川家の重臣格。


 下手をすれば、石田と小早川の対立そのものへ発展しかねない。


 勘兵衛も、それくらいは分かっているはずだ。


「それでは拙者ひとりで行きます」


 勘兵衛は静かに言った。


「もし帰らなければ、それを名分として典膳を捕らえてください」


 左近の目が見開かれた。


 ただ無謀なだけではない。


 勘兵衛は勘兵衛なりに、典膳の身柄を押さえる方法を考えていたのだ。


 仮にも石田家の家老が、典膳の屋敷へ出向いたまま行方をくらましたとなれば、ただでは済まない。


 殺されたのであれば、なおさらだ。


 それを大義名分として、左近が典膳の屋敷へ踏み込み、その身柄を拘束する。


 筋は通っている。


 理屈の上では。


 だが、そのために自分の命を差し出そうという勘兵衛の覚悟は、もはや狂気に近い。


「よせよせ」


 左近は、力なく首を振った。


「典膳とお主の命では、到底釣り合いが取れぬわ」


「しかし──」


 勘兵衛は真っ直ぐに左近を見た。


「機を逃せば、取り返しが付きませぬ」


 その目に、迷いはなかった。


 喜平が殺された。


 証言者も消された。


 ここでさらに時間を与えれば、典膳は証拠をすべて消してしまうだろう。


 そうなれば、もう二度と手は届かない。


 左近はしばらく黙り込んだ。


 障子の向こうでは、夕暮れの町が静かに夜へ沈み始めている。


 遠くから、人の声が聞こえる。


 馬の蹄が鳴る。


 いつもと変わらぬ大坂の夕暮れ。


 だが、その静けさの下で、いくつもの思惑が蠢いている。


 左近はゆっくりと顔を上げた。


「……わかった」


 勘兵衛が目を向ける。


「典膳の屋敷へ行ってこい」


「はっ」


「ただし、ひとりだけ連れて行け」


 勘兵衛の眉が動いた。


「連れて行くとは、一体誰を……」


「お主の知らぬ男だ。が、腕は立つ」


 左近の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。


 それは先ほどまでの苦笑とは違っていた。


 何かを決めた男の顔だった。


「その時は、儂も人数を連れて近くまで行く」


 左近はそこで言葉を切った。


「後は……相手の出方次第だな」


 勘兵衛はしばらく左近を見つめた。


 やがて、その意図を察したように深く頭を下げる。


「承知いたしました」


 こうして、栢谷典膳捕縛のための計画が動き始めた。


 それはまだ、誰にも知られていない。


 典膳自身も。


 そして、この先に待ち受けるものを、勘兵衛たちもまだ知らなかった。

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