山寺[1]
山中村は、佐和山城下から関ヶ原へ向かって、およそ五里(二十キロメートル)の場所にある。
松尾山と城山。二つの山に挟まれた狭隘な土地であり、耕作には適さない。だが、中央を中山道が通っているため、古くから旅人や荷駄が行き交い、宿場町として発展してきた。
街道沿いに家々が軒を連ね、人の往来が絶えることのなかったこの村に、戦の気配がやって来たのは、慶長五年(一六〇〇年)九月十五日の未明である。
松尾山城を占拠していた小早川勢八千が、突如として山を下り始めた。
夜の闇を裂くように、無数の松明が山肌を埋め尽くす。大軍の足音が大地を揺らし、兵たちは中山道を塞ぐように関ヶ原へと進出して行った。
山中村に駐屯していた大谷吉継の軍勢は、その圧力に押し出されるように前方への移動を余儀なくされた。
あまりにも突然の事態だった。
兵を動かすだけで精いっぱいであり、村に集積していた物資を運び出す余裕などない。大谷勢は、膨大な荷駄の大半をその場に残していかざるを得なかった。
そして、戦が終わった後。
その荷駄の一部が、忽然と姿を消していた。
「ちょうどこの辺りから、あそこのお寺さんにかけて荷駄を積んでおりました」
勘兵衛の前で、山中村の百姓が街道の先を指差した。
男は関ヶ原の戦いの折、大谷勢の荷駄運びを手伝ったという。年の頃は五十ほど。日に焼けた顔には深い皺が刻まれていたが、あの頃の記憶は今も鮮明に残っているらしい。
「荷はすべて野ざらしだったのか?」
「いいえ。街道沿いの家々へ、大半の荷を運び入れました」
男は街道脇に並ぶ家々へ視線を移した。
「特に武具は雨に濡れちゃいけねえってんで、全部家の中へ入れたはずです」
「そうか……。その後、荷はどうなった」
「さあ……。あっしらが手伝ったのは、大谷様のお荷物だけでして。小早川様の荷駄のことは、なんも存じませんで」
男は申し訳なさそうに首を振った。
勘兵衛は短く頷き、改めて周囲を見渡した。
関ヶ原の戦いから、すでに四年。
それだけの歳月が流れているにもかかわらず、村にはいまだ戦の爪痕が残されていた。
街道沿いでは、いくつかの宿が営業を再開している。旅人を迎える声も聞こえるし、往来する人影もある。
だが、その賑わいの陰には、焼け落ちたままの家屋があった。
「あの焼け跡は?」
「戦の前に、小早川様のご指図で焼いたと聞いています」
男は焼け跡に目をやり、小さく息をついた。
「戦に使う武具はあらかた持ち出された後で、空いた家は退き口の邪魔になるってんで。もちろん荷が残っていた家だけは、手を付けられませんでした」
黒く煤けた柱。崩れた土壁。道端に積み上げられた廃材。
かつてそこに人々の暮らしがあったことを示すものは、わずかに残された礎石ばかりだった。
ここが直接の戦場になったわけではない。
それでも、戦は、刃が交わった場所にだけ傷を残すのではない。
勘兵衛は、焼けずに残った家々へ目を向けた。
あの中のどこかに、雷振筒と弾丸が置かれていた。
そう考えると、目の前の風景が、四年前の光景と重なって見えるようだった。
荷駄を運ぶ男たち。積み上げられた木箱。迫り来る小早川勢の気配。そして、混乱の中で荷を諦めて前進する大谷勢。
その荷を、栢谷典膳は持ち去った。勘兵衛は、そう見ていた。
胸の奥にわずかな焦りを覚えながら、思考を巡らせる。
置かれていた弾丸は、二万一千六百発。
尋常な量ではない。
輸送のために、専用の木箱まで作られていた。
箱は大人が一抱えするほどの大きさで、中には一千二百発の弾丸が収められている。重量は十一貫弱、四十キロほど。
箱には縄が取り付けられ、運ぶ際には大人が二人がかりで持ち上げなければならない。
雷振筒は一箱に六挺入りで、こちらもほぼ同じ重さがあった。
弾丸は十八箱。
雷振筒は十箱。
合わせれば、総重量はざっと三百貫。一トンを優に超える。
その数字を頭の中で繰り返し、勘兵衛は眉間に皺を寄せた。
──栢谷典膳はこれほどの荷を、いつ、どうやって運び出したのか。
軍が動くときの荷駄は、荷駄奉行が厳しく管理している。たとえ典膳がその一員であったとしても、荷駄方のひとりが、これだけの物資を勝手に持ち出せるはずがない。大軍の移動に紛れさせるのも無理がある。
ならば、人の目が届かぬ隙間を突くほかない。
勘兵衛は、街道の先に目を向けた。
「……たしか、小早川勢は戦の後、大坂へ入ったはず」
記憶を確かめるように、口の中でつぶやく。
関ヶ原の戦いで奮戦した小早川勢は、潰走する徳川勢を追って揖斐川まで進んだ。だが、そこで日が暮れたため、追撃を諦めたという。
翌日には他の軍勢とともに京へ向かい、その後、大坂城へ入った。
山中村に集積されていた小早川勢の荷駄は、その折に引き上げられたはずだ。残された荷も、ともに退いた大谷勢が引き上げている。
典膳が動けたとすれば、前線から本隊が戻ってくるまでの間だ。
戦が終わった九月十五日の昼過ぎから、小早川勢本隊と合流する翌日の午後まで。
ほぼ一日。
そのわずかな時間の中で、一トンを超える荷物を、どこかへ運び出さなければならなかった。
勘兵衛は、ゆっくりと息を吐いた。
不可能ではない。
だが、運び出した荷物を、どこかへ隠しておく必要がある。
誰にも見つからず、なおかつ、後から回収できる場所に。
「だとすれば……」
勘兵衛は、周囲の家々を見回した。
「この近辺に、一旦隠したのだろうな」
荷を運び出した者が、最初から遠方へ持ち去るつもりだったとは限らない。まずは目の届かぬ場所へ隠し、騒ぎが収まってから回収する。
そう考えれば、時間の制約にも説明がつく。
では、どこへ隠したのか。
勘兵衛は、男へ視線を戻した。
「この辺りに、人目につかぬ寺社はあるか?」
「……へえ?」
男は怪訝そうに首を傾げた。
勘兵衛は、あえて説明しなかった。
男はしばし考え込んだ後、ぽんと手を打った。
「それでしたら……」
そして、街道から松尾山城に通じる道へと歩き出した。
「山手にひとつお寺さんがあります。ちょいと、お連れいたしましょう」
勘兵衛はその背中を追った。
四年前に消えた大量の雷振筒と弾丸。
その行方を示す痕跡が、ようやく目の前に現れたような気がした。
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