残酷[3]
「なんだ! 何が起こったッ!!」
渡辺忠右衛門重綱の怒号が、混乱に沈む山道を切り裂いた。
だが、その叫びに答える者はいない。
答える余裕など、誰にもなかった。
迫撃弾がもたらした混沌が収まるより早く、背後から新たな敵が殺到したのである。
山の反対側にある水堀から躍り出た兵たちは、まるで地中から湧き出してきたかのようだった。
槍を構え、足並みを揃え、互いの動きを補いながら突き進んでくる。
つい先ほどまで山の向こうに意識を奪われていた重綱の兵たちにとって、それはあまりにも唐突な襲撃だった。
「敵だ! 後ろから敵が来たぞ!」
「どこから現れた!」
「押し返せ! 槍を構えろ!」
怒号が飛び交う。
だが、命令は命令として届いても、それを実行するだけの統制が失われていた。
敵は、こちらが混乱の極みであることを知っている。
だからこそ、迷いなく踏み込んでくる。
もはや軍と呼べる状態ではない。
重綱の兵は、二つの大きな塊に分断されていた。
それらをかろうじてつないでいるのは、細長く伸びた道に並ぶ兵たちだけ。
その一方の塊には、およそ三百の兵がいる。
そこへ、ほぼ同数の敵が襲いかかった。
数の上では互角。
だが、戦いの始まる前から勝敗は決していた。
六左の兵たちは、互いの間隔を保ち、隣の者の死角を補いながら、組織的に攻撃を仕掛けてくる。
一方の重綱の兵たちは、突然の奇襲に浮き足立ち、各々が目の前の敵に対処するだけで精一杯だった。
誰かが押されれば、その隣が救援に入る。
その隣が動けば、さらに別の場所に隙が生じる。
統一された指揮のもとで動く三百と、混乱の中で個別に戦う三百。
同じ数であっても、その意味はまるで違っていた。
槍が閃く。
怒号が上がる。
悲鳴が途切れる。
そしてまたひとり、兵が地面に崩れ落ちた。
重綱は馬上から戦場を見渡す。
兵たちが押されている。
このままでは、隊列そのものが食い破られる。
何とか立て直さねばならない。
そう思った矢先だった。
「おお、そこにいるのは渡辺忠右衛門ではないか!」
聞き覚えのある声が、混乱の中から響いた。
「親父殿は息災か?」
槍を肩に担いだ男が、悠々とした足取りで近づいてくる。
水野六左衛門勝成。
その顔には、戦場にいるとは思えぬほどの余裕があった。
重綱の胸の奥で、怒りが一気に燃え上がった。
「六左衛門!! 貴様ッ!!」
叫び声が喉を裂く。
だが、六左は眉ひとつ動かさなかった。
「お前では俺の相手は務まらんよ」
槍を担いだまま、口元を歪める。
「勝ちたければ、半蔵殿を連れてくるんだな」
そして、腹の底から笑った。
「はっはっはっ!」
その笑い声が、重綱の耳を逆撫でした。
半蔵殿。
それは、重綱の父である渡辺守綱のことだ。
父の名を出し、自分をその息子としてしか扱わない。
ひとかどの武将として兵を率い、戦場に立っている自分に対して、まるで子供をあしらうかのような物言いだ。
しかも、今は自分が押されている。
兵たちの前で。
敵の前で。
重綱は奥歯を噛みしめた。
分かっている。
六左がわざと挑発していることくらい、分かっている。
だが、分かっていても、怒りは抑えられなかった。
胸の内に渦巻く屈辱が、冷静な判断を押し流していく。
「殺せーッ!」
重綱は刀を抜き放ち、六左を指し示した。
「奴らを皆殺しにしろ!! 一人も逃がすなッ!!」
檄に応じる声は、まばらだ。
誰もがそれどころではない。
目の前の敵に押され、足場を奪われ、必死に槍を振るっている。
重綱の命令が戦場全体に届くことはなかった。
その時、後方からにわかに騒ぎが起こる。
山の向こうへ進んでいた兵たちが、ようやく異変に気づいたのだ。
後方で何が起きているのかを知り、慌てて隊列を反転させた。
「後ろだ! 後ろが襲われているぞ!」
「戻れ! 忠右衛門様をお助けするのだ!」
およそ三百の兵が、細い道を引き返してくる。
その姿を見た六左は、ちらりとそちらへ目を向けた。
敵の増援。
数は多い。
だが、慌てる必要はなかった。
六左は周囲の戦況を見渡し、わずかに口角を上げた。
「……そろそろ潮時だな」
目的は果たした。
敵を散々討ち取り、十分な混乱も生じている。
これ以上深入りすれば、こちらが不利だ。
六左は槍を掲げた。
「引けーーッ!」
その声が、戦場を貫いた。
次の瞬間。
それまで激しく攻め立てていた兵たちが、まるでひとつの生き物であるかのように、一斉に動きを変えた。
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